第10話:かんのひみ

 授業が終わる。


 また今日も、アルバイトだ。


 帰りのホームルームが終わると同時に、無言でぬるりと教室を後にする。人ひとりいない生徒用玄関というのは静謐で、どこか神秘的だ。


 ローファーに履き替え、校門を出る。当然、御堀さんは待ち伏せしていない。


 代わりに、外壁に背中を預けるスーツ姿の女性がいた。グレーのパンツスタイルだ。


 意志の強そうな瞳、その上にはつりあがった眉。ばりばりのキャリアウーマンといった雰囲気だ。二十代前半くらいだろうか。ミヤコさんとはまた違った、きつい雰囲気がある。


 そこを横切ろうとすると、落ち着いた声が耳に届く。


「御堀優羽さんの事件のことで、少しお話を聞かせてくれないかしら」


 またか。


 僕は無視してそのまま歩く。女性はこういった対応に慣れているのか、僕の横に並んで話を続ける。


「何もしゃべらなくていい。歩きながらで構わないわ。あなたはあたしの推論をただ聞いてくれるだけでいいの」


 記者というのは相手から話を引き出すのが仕事だと思っていたが。こういったタイプの人もいるのか。


 あいにく音楽を聴く習慣がないのでイヤホンを持っておらず、耳をふさぐことができない。


 一瞥すると、女性は前を向いたまま話を始める。


「あなたは事件のあったあの日、御堀さんと一緒に下校したのよね。ああ、答えなくていいからね。駅前の本屋に立ち寄ってから、あなたたちは別れた。御堀さんは誰かから恨みを買っている話は出てこないし、遺体は暴行を受けた形跡もない。警察は行きずりの犯行と見ているみたいだけれど、それにしては変なのよ」


「変?」


 思わず返事をしてしまった。この手のやり取りには慣れていたはずなのに。まだまだだな、僕は。


「まず、監視カメラのついていない場所で発見されたって点。住宅地にもうじゃうじゃ設置されているこの時代に、駅の周辺でそんなポイントを見つけるのは至難のワザよ。そりゃ中にはダミーカメラもあるけれど、よっぽど詳しくなければ区別できないわ。

 目撃情報が極端に少ないのも違和感がある。まるで途中から透明人間になったみたい。だからあたしはね、誰かが御堀さんを意図的に殺害現場まで誘導したんじゃないかって考えているの。そこまでの道のりも計算して」


 誘導。この話の組み立て方も、一種の誘導のように思える。


 女性は瞳を細め、話を続ける。


「数少ない目撃情報の中にね、あの日あなたと、若い女性が一緒にいるのを見ていた人がいたのよ。女性っていうのは御堀さんのことじゃないわ。黒っぽい服装で、銀髪の女」


 僕は歩いたまま、隣の女性を見やる。


 頭の中に、言葉の裏に隠された意図が流れ込んでくる。


 しかし直後、その真意は女性の口からはっきりと告げられた。


「その銀髪の女が御堀さんを殺したんじゃないの?」


 疑問形。しっかりと僕を目で捉えて離さない。


「そうだとしたら、どうします?」

「あたしは正義のジャーナリストなの。お金にはそんなに困っていないし、名誉にはもっと興味ないわ。犯人が捕まって、相応の制裁を受けてもらう。それが筆頭候補かしらね」


 年上を相手に言うことではないだろうが、若いのにしっかりした考えの持ち主だと思った。いや、もしかすると見た目より実年齢はずっと上なのかもしれない。


 もし犯人が逮捕され、僕がその協力者、たとえば御堀さんがどうなるかを知ったうえでひと気のない路地裏に連れていったのだとしたら、殺人ほう助に該当するのだろう。


 ただもしも。


「もしも犯人が人間じゃなかったら、逮捕できるんですかね?」


 女性はふふ、と笑みをこぼした。ようやく年相応の表情になる。


「それは考えてもみなかったわ。法律の盲点を突いた完全犯罪ということかしら。若い子の発想力には脱帽するわ」

「あなたは若くないんですか?」

「来月で二十四よ。おばさんに片足突っ込んでいるわ」

「両足までずぶずぶじゃないですか」

「そこは、お姉さんはまだぴちぴちですよ、って言わなきゃ」

「人を思いやるのは苦手なんです」


 相手のためとか、自分のためとか、誰かのためとか。


 苦手だ。


 視界の彼方にあったはずの伊佐神いさかみ駅が、もう目の前にあった。そろそろどうやって撒こうかを考えていたのだが、女性は僕から離れ、肩にかけたカバンから電子マネーを取り出した。


「今日はこの辺にしておくわ。他にも仕事抱えてるからね。正義の味方が日曜日の朝にしか仕事をしないように、戦士には休息も必要なのよ」


 一枚の名刺を僕に差し出す。


 刊野日美かんのひみ


「でも本当にあなたが犯人と関わりのある人物だとしたら、あたし、殺されちゃったりして」


 下から僕の顔を覗き込み、含みのある笑いを見せる。


「口封じで第二の殺人なんて、二時間サスペンスじゃないんですから」


 名刺を受け取ると、刊野さんは僕に背を向け改札へと歩いていく。


 僕は想像する。


 もしこの人を殺める理由があるのだとしたら。


 声が届かない距離になったところで、僕はつぶやく。




「あなたは、善人ですか?」

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