第9話:それから
教室の後ろ扉を開ける。
先に登校していた数人のクラスメートたちが、品定めのように僕をちらりと見る。現れたのが僕だとわかると、それまでのおしゃべりに戻る。
二度目の席替えで、廊下側の最後方の席を獲得した。扉から一メートルにも満たない距離で出入りが楽なのと、必要以上に他人と干渉しないで済むベストポジションだ。体育のサッカーではディフェンダーとして試合を傍観し、化学の班ごとの実験では記録係として観察に終始。まるで皆で示し合わせたように、この教室で僕は空気だ。無視やいじめとも違う、はなからそこにはいないような存在。それは僕に関わるということは、彼女のことを連動的に思い出してしまうからだろう。
連日連夜、報道番組では御堀さんの話題で持ちきりだ。
学校の前にはマスコミが押しかけ、担任からは「余計なことは言わないように」というお触れが出た。それでも取材という形式に浮き足立ってぺらぺらと彼女のことを語る生徒はなくならないし、僕もインタビューを受けたのは一度や二度ではない。街を一人で歩いていると、無精ひげを生やしたフリーライターのような人に声をかけられたこともある。
もちろん僕は何も答えない。これまでと同じように学校に通い、授業を受け、放課後になればすぐに下校する。
変わったこともある。
ますます僕は教室で、学校で、居場所を失ったということだ。
あの日、僕と御堀さんが放課後に出かけていたという噂は事件後にたちまちに広まった。さすがに僕が殺したとまでは思っていないようだったが、周囲との埋められない溝がはっきりと確定したように感じる。誰も溝の内側に入ってこようとはしないし、僕も外側に行こうとはしない。むしろ質問攻めにあわなくてラッキーだ。
僕は想像する。
殺されたのが別のクラスメートだったら、僕のそばにはまだ御堀さんがいたのかもしれない。彼女はもちろん告別式に参加して、手を合わせる。それだけじゃ飽き足らず、亡くなった子のご両親のところへ行って「このたびはご愁傷様です」と挨拶するだろう。そして高校を卒業するまで、月命日には線香をあげに家を訪問するのだ。
警察からの事情聴取には素直に応じておいた。初めての体験だったが、ドラマのように高圧的に詰め寄られたり、机を叩かれたりすることもなかった。ただセリフとしてよく使われる「形式的な質問ですので」というフレーズを生で聞くことができたのは役得だった。
実際、彼らは形式的に僕を呼んだのだろう。御堀さんの当日の足取り確認のために。自分たちに与えられた役割を果たすために。
担当の男刑事は取り調べ中、終始ニコニコしていて疑うそぶりなど微塵もなかった。彼は心の中で、「付き合っていたのかねえ。若いっていいよなあ」なんて考えていたくらいだ。そればかりか帰りにはジュースをごちそうになってしまった。
今日もいつもと同じように淡々と授業を受け、一人で昼食を済ませる。昼休みを一緒に過ごすグループはだいぶ固定されたようだ。教壇の横には並んで腰かけて、パンにかぶりつく男子三人。その手前には、机を四つに固めて食事よりも会話に花を咲かせる女子たち。部室で食事をする者もいるだろうし、小規模ではあるが学食もある。メニューはカレーとそばとラーメンだけなので、利用者のほとんどは体育会系の男子だというが。二度目のクラス替えともなれば、皆の順応は早い。
僕は残った時間で午後の道徳の宿題を終わらせるために、前回の授業の最後に受け取っていた原稿用紙を机から引っ張り出す。
テーマは、「なぜ、人を殺してはいけないか」。
小学校から何十回と提示されてきたテーマだ。高校三年生にもなって今さらではあるが、ある意味タイムリーでもある。
もちろん年齢とともに価値観は変わってくるだろうから中身も都度同じではないが、たいていの生徒は四百字程度であれば、書く内容はほぼ丸暗記している。ただ今回に限っては、時事ネタとして、教師陣も内容に期待しているのではないか。
僕も中学時代には脳内テンプレートが完成している。四百字バージョンと八百字バージョンの二通りあるので、今日の課題も、十分もあれば余裕で完成だ。
僕はシャーペンを走らせる。
昼休みはまだ三十分以上残っている。教室に話相手もいなくなってしまったし、きっと時間を持て余すことだろう。
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