第7話:“取材”

 会社の外でミヤコさんと対面するのは実に三か月ぶり、初めて会った日以来のことであった。


 前回は真冬で肌を刺すような風が吹き荒れていたので、ずいぶんと分厚いコートを羽織っていたが、今回は春物らしい薄手の黒のロングコートだった。そこから伸びたしなやかな足には同じ色のストッキングがはめられ、ブラウスやブーツにいたるまで黒一色だ。それとは対照的に、夕日が銀色の髪をきらめかせている。両手に綿手袋をはめるのも忘れていない。


 外向きのミヤコさん。事務所でのパジャマ姿とは大違いで、ぴしっと決まっている。さながら執事のようだ。


「勤務時間になっても事務所に来ないから、迎えにきたよ」

「学校終わってから本を買いにいくので遅くなるって言ったじゃないですか」

「それはわかっている。頼んだのは私だからね。資料収集も大切な業務の一環だ。私が問題にしているのは、横にいる楚々とした淑女のことだ」


 顎で僕の隣を指す。


 御堀さんが僕に耳打ちで「もしかして、アルバイト先の人?」と尋ねる。息がかかってくすぐったいのを堪える。僕が小さく首肯すると、ちっとも嫌そうな顔を見せず、一歩前に出てぺこりとお辞儀をした。


「はじめまして。この春から安室さんと同じクラスで勉強することになりました、御堀優羽と申します。お仕事に支障をきたしてしまい、申し訳ございません。わたしから彼を誘って連れまわしてしまったんです」

「いや、気にしないでくれ。むしろ安室くんに君のような異性の友人がいたとは、喜ばしい限りだ。見ての通り、安室くんは感情表現が乏しい男でね。少数精鋭の我が職場と違って、高校は集団生活の場だ。ぜひ仲良くしてやってほしい」


 鋭い目つきをわずかに緩め、にっこりと口元をほころばせる。まったく、どの口が言う。


 こうして向き合っていると、三者面談をしているような気分になる。生徒と保護者と教師。どの役割を誰が担うかはわざわざ言うまい。


「礼儀正しい子じゃないか。どうせならこのまま恋仲にでもなってくれれば、身近でつぶさに男女の機微を観察できるな。安室くん、君はこの子に恋慕するべきだと私は進言しよう」

「そういうのは本人を目の前にして口にしてしまったら、フラグもへったくれもないですよ」

「フラグ……。ああ、『恋愛フラグが立つ』というやつだな。昨日読んだ漫画にも載っていたぞ。ルート、とも言い換え可能だったか? つまり私が君を迎えにきたせいで、この子とのルートが消滅してしまったというわけだ」

「一定の期間までに好感度を上げれば、まだルートに直結するイベントに発展する可能性はありますよ。それに友人ルートでしか回収できないCGもあるかもしれませんし」

「ちなみに一つのルートが潰えたという条件のもとで、私のルートが発生するという見込みはあるのか?」

「ミヤコさんはそもそも攻略対象外のキャラクターなんで無理ですね」


 くすくす、と堪えるような笑い声が漏れる。隣を見ると、御堀さんが手を口に当てていた。


「上司っていうより、なんだか友達みたい」


 これまでに御堀さんの笑みを何度か見たが、こんなに楽しそうにしているのは初めてかもしれない。僕とミヤコさんは友人関係ではないし、ただの上司と部下というのとも少し異なる気がする。


「で、本当に僕を迎えにきたんですか」

「いや。昨日君に渡す予定だったリストは実は全部で三枚あってね。残りの二枚を渡しそびれてしまったのだ。本屋に行けば君がいるだろうと予想していたから、追加で頼もうと思って外に出たら、偶然君たちに出くわしたというわけだ」


 僕は携帯電話を所持していない。理由は簡単、家族とアルバイト先以外、人付き合いがないからだ。女の子だったら防犯用に無理やり持たされるのかもしれないが、小さい頃から放任主義だった僕の家庭において、必要性は限りなくゼロだ。


 というか、わざわざ本屋に探しにいってまで、僕に全部探させるつもりだったらしい。今でも指の肉に紙袋のひもが食い込んでみちみちといっている。この三倍の量となったら御堀さんに手伝ってもらったとしてもいっぺんには持ち帰れないぞ。


 しかしそんな僕の主張(これから言うつもりだった)を無視して、四つ折りにした二枚の紙を紙袋に勝手に突っ込んだ。ミヤコさんはくるりと踵を返し、「では頼んだぞ」と手をひらひら振って離れていく。


 え、本当に帰っちゃうの?


 隣の御堀さんもさすがに少々面食らっているようだった。それでもすぐに表情を持ち直し、僕に微笑みかけた。


「わたしも最後まで付き合うよ。だからひとまず、半分持たせて?」


 今頃クラスメートたちは楽しく歌ったりおしゃべりしたり、あるいは山盛りのポテトフライをつまんでいるというのに、この子は肉体労働を買って出るという。


 どこまでも都合がよすぎる。


 御堀さんはわかっていない。正しい行いが、人の心を正しい方向に導くとは限らないということを。


 もし、他人の痛みや苦しみを自分も分散して引き受けるという自己犠牲の精神ならば、別に構わないと思う。


 だが御堀さんにそんな葛藤ははなから存在していない。


 他人が困っていたら助けるべき。孤立していたら手を差し伸べるべき。悲しんでいたら一緒に泣いてあげるべき。


 僕は想像する。


 もし自分のクラスでいじめが発生したら、御堀さんは見過ごすことはせず、加害者に向かって堂々と「いじめはやめなさい」と言うだろう。いや、仮定の話なんかではなく、きっとこれまでに何度か口に出している。揺るがない正しさを己の中に持っている。何が正しくて、何が間違いなのかをわかっている。


 ただし、その後のことはわかっていない。被害者がさらにいじめを受けたり、もしくは自分にいじめのお鉢が回ってくることまでは頭にない。


 御堀さんが持っている正しさとは、社会から保証された正しさだ。


 そうあるべき、と、そうしたい、が混同している。


 モラリスト。善人。


 どっちでもなくて。本当は。


「ああ、そうだ」


 視界の彼方で小さくなっていたミヤコさんが突然声を上げ振り返り、つかつかと歩み寄ってくる。


 僕の右手が軽くなる。ミヤコさんに気を取られているうちに、御堀さんが無理やり奪ったらしい。足元でがさごそと紙袋の中身を半分に仕分ける音がする。僕は下を向かない。


「すまない。ひとつ大事なことを忘れていた」


 そうだと思った。


 いくら人間観察が趣味だからって、パジャマっ子のミヤコさんが着替えてまでお使いを頼みに来るわけがない。


 というか前提として、ハーレムもので恋愛感情を学ぶのは難しいですよ。ミヤコさん。


 念のため僕は、ミヤコさんにちゃんと言葉で確認を取る。


「一体何ですか、忘れていたことって」

「仕事だ。君が昨日言っていた女の子に『取材』を申し込もうとしていたのだ」

 詰め替えが終わり、量が半分になった紙袋を提げた御堀さんがゆっくりと立ち上がる。


「わかっているとは思いますが、この御堀優羽さんが、今回の『善人』です」


 ミヤコさんは手を軽く握って、綿手袋をきゅっと鳴らした。





「では早速、この子を殺すとしよう」





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