第6話:モラリスト
放課後に他人と寄り道をしたことがなかったため、どうしたものかと僕は考えた。御堀さんも似たようなもので、人付き合いはそれなりにあるものの、二人きりで、しかも相手が男というのは初めてだったらしい。
カフェでドリンクとスイーツを並べて何時間も会話のみで費やす、いわゆる「おしゃべり」という行為はハードルが高そうである。かといってゲームセンターなんか行ったこともないし、御堀さんもそういった場所に興味があるようには思えない。まさかカラオケに行くわけにもいくまい。
視界に駅が小さく入ってきたところで、ミヤコさんにお使いを頼まれていたことを思い出す。危ない危ない。忘れていたら言葉責め百烈拳の刑になるところだった。
というわけで向かった先は、駅から五分ほど離れた位置にある書店だった。
この辺りでは二階建ての店舗が丸ごと本屋になっているのは珍しい。かなりの蔵書数だ。レジの横には検索機も置いてあるし、目的の本を探す手間はさほどかからないだろう。
そう思いきや、一台しかない検索機の前には小さな行列ができていた。操作をしているおじいさんが機械に不慣れなのか、それとも探している本がなかなかヒットしないのか、一向に列が進む気配がない。
そんなわけで、店に入ってから早速の自由行動である。御堀さんは探すのを手伝うと言ってくれたが、これから探す小説や漫画の中にはR―18のものも含まれているので、優等生で評判の女子高校生に探させるわけにはいかない。ちなみに僕の誕生日は四月二日なので、ネット通販を使わずとも堂々と購入ができる(さすがにこの制服姿のままというのは非常識かもしれないが、違法でも条例違反でもない)。
漫画やアダルトな内容を含む書籍は二階にあるようなので、入り口横の階段で移動する。
上着の胸ポケットに入れていた四つ折りのメモを開き、一冊ずつ探していく。さすがは大型店、棚に陳列されていないものでも、店員に訊いてみると(エロ漫画除く)、棚の下の引き出しを漁ってくれる。
十五分もしないうちに目的の本はすべて見つかり、そのまま二階のレジで会計を済ませた。羞恥心があったわけではないが、普通の漫画に混ざってエッチな物が混ざっているとあらぬ誤解を受けてしまうかもしれないので、少し大きめの声で「領収書切ってください」と頼んだ。制服姿に特に突っ込まれることもなく、年齢確認をされることもなかった。淡々と手提げの紙袋に詰めて渡される。重さで底が破れることを危惧してか、袋は二重に施されていた。
用事が思いのほか早く済んでしまった。他に行くあてもないが、目的もなく店に残ってだらだら立ち読みをするのもたちが悪い。早いとこ御堀さんと合流しよう。
一階に下りてフロアを歩き回る。等間隔に置かれた棚は二メートル以上あり、おまけに店は混み合っている。一人の人間を探し出すのは困難に思われたが、案外あっさりと発見できた。
御堀さんは心理学関連のコーナーで四六判の本を読んでいた。
はじめからこのエリアにいるとわかっていて直行したのではない。僕はてっきり現代小説でもぱらぱらめくっているのではないかと、小説が置いてある棚をまずは目指した。階段からはちょうど対角線上の場所にあるので、奥まで直進してから右折するルートを選択した。しかしちょうど角に差しかかったところで、見覚えのある、艶やかな黒髪セミロングの女子高生が、僕に左の横顔を見せる形で耽読していたのである。僕がすぐそばまで近寄っても気づく様子はまるでない。
一体どんな本をそこまで真剣に読みふけっているのかと、少し視線を下げて表紙のタイトルを確認すると、『凶悪犯罪と道徳心』という女子高生の立ち読みにはいささか不釣り合いにも思えるチョイスだった。
やはり僕のようなはぐれ者を放置することが、後々に大量殺人などの凶悪犯罪者を生むバックボーンになってしまうかもしれない、そんな加害者でもあり社会的弱者でもある僕を持ち前の道徳心によって救済しよう、とでも考えているのだろうか。
実際、一緒の教室で授業を受けるようになってからまだ一週間にも満たないが、彼女の道徳の授業への積極さは熟知している。教科書の音読であそこまで感情的に読む人に僕は十二年間の学び舎生活で初めて出会った。
いや、この本を読んでいることと、僕に声をかけてきたことはおそらく無関係だ。第一、他意がないのは僕が一番よくわかっているじゃないか。
横にぴったり張りついていても顔を上げるそぶりを見せないので、御堀さんの肩を叩いた。
「ああ、ごめんなさい。もうお使いは終わったの?」
視線を僕の右手に向ける。紙袋から溢れんとばかりのボリュームにはさすがに驚きを隠せないようだった。
そして「半分持つよ」と、自然と言い出すのだ。
いくら人付き合いが皆無に近い僕であっても、女の子に重いものを持たせるつもりはない。だが御堀さんはなおも食い下がった。
「紙袋が二重になってるから、それをふた袋に分けて中身も半分こにすればいいじゃない」
ここまで来ると、もはやモラリストという肩書きがふさわしいのではなかろうか。
本屋を出てもしばらくは「持つ」「持たせない」の応酬が続いた。横断歩道を渡り、スイーツ店が立ち並ぶ道を横切り、ストリートミュージシャンの演奏を無視してまで主張してくるので、さすがに根負けしそうになった。
だがその前に確認しておきたいことがあった。
「さっき立ち読みしていた本なんだけど」
「本?」
「あの、犯罪がどうとか道徳がなんとかってやつ。普段からああいうの読んでるのか?」
「たまたまよ。『話題の本』ってPOP付きで紹介されていたから、ちょっと興味がわいただけ」
その割には読みふけっているように映ったけれど。きっと僕が二階にいる間もずっとあそこにいたに違いない。
御堀さんは目を伏せ、少し苦しそうにつぶやく。
「もしも実際さ、家族とか友達が殺されたりしたら、きっと穏やかじゃいられないわよ。今は毎日楽しく高校生やっているけれど、そんなことが身近で起きたら学校どころじゃないし、もしかしたら一生立ち直れないかもしれない」
「だから最近は高校でも情操教育に力を入れているじゃないか」
遠くない昔、この国の教育制度が抜本的に改革された。小中学校はもちろん、高校でも道徳の授業が義務化され、個人での福祉活動も進級のために必須となった。いじめや校内暴力への社会的関心はさらに高まり、それが発覚することで学校は信頼を失う。学校の存続に関わる大問題へと発展しかねないため、学校関係者どころか全校生徒も加担して、いじめの事実を隠したとする報道もあるくらいだ。大小を問わず犯罪が厳罰化されたのは言うまでもない。
「それでも殺人はなくならないよ。絶対に」
御堀さんはつぶやいた。黒髪が揺れ、表情を隠す。
御堀さんはいつの間にか後ろで立ち止まっていた。僕も数歩先で足の動きを止め振り返る。周りにひと気はなく、ビル風が僕の横顔を撫でた。
「絶対に?」
「うん、絶対」
傷害致死や危険運転致死も人を殺したことに変わりはないし、中絶だって、既に母親のおなかに宿った命を奪うことになる。それらと殺人は違うのかもしれないが、人を殺めることに差異を作ること自体、本来おかしなことだ。
御堀さんは、ひょっとするとモラリストなんてものじゃないかもしれない。
答えたくなかったらいいけど、と前置きをして僕は尋ねた。
「過去に身内の誰かが殺された、とか?」
三か月前の僕、具体的にはスタジオミヤコでアルバイトを始める前の僕でも、こんな立ち入った話を誰かとしたことはなかった。ただ今日に限っては、訊かなければいけないような気がしたのだ。
「……違うの。ただわたしは、人より少し、ネガティブなんだよ」
そう言って、おどけるように笑った。
まさか御堀さんの口からネガティブという単語が出るなんて思ってもみなかった。きっとそんな端的な問題ではない。
繊細とか、人の心に敏感とか。僕のボキャブラリーが貧困なせいでうまく例えられないが、もっと複雑な話のような気がする。それでもなお、僕を困らせまいとあえて若者の日常会話にありふれたフレーズを使ったのだろう。
あくまで想像にすぎないが。
僕は「想像」することはできても、他人を心から心配したりいたわったりすることができない。
それと同じくらい、自分自身にも無頓着で鈍感だ。
だから想像、もとい妄想で、一言だけ意見を述べてみた。
「世界中の人がみんな御堀さんみたいだったら、その時に殺人はなくなるかもしれないね」
率直に、端的に。
御堀さんの心に届くように。
まただ。
心の奥底から、何かが湧き上がってくる。
この感情は。
この感覚は。
「仕事を放ったらかしにして女の子とデートかい? 安室くん」
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