第5話 神様

 ワンワンベーカリーは、自由ヶ崎高校の最寄りである「自由ヶ崎じゆうがさき駅」からローカル線で一駅。「出地でじ駅」という無人駅に隣接しているところにあった。俺は全く知らなかったのだが、その方面から通学している生徒たちの間では、放課後に立ち寄るスポットのひとつとしてそれなりに有名らしい。

 その建物の裏に、確かに「高蜂」と書かれた表札があった。設置された小さめの門にはインターホンがあり、小冬は到着するなりすぐにそれを押した。

 ピンポーンという音に続き、受話器を上げる音がする。少女の側頭部に取り付けられたアンテナはぴょこんと、すぐさまそれを察知した。

「すみません! 高蜂亜美先輩のおうちで間違いないでしょうか」

 相手の声を待つこともせず、小冬はインターホンに問いかける。

「はい、私ですが……。ご用件はなんですか?」

「本人だ! 神様! パンをつくってうぐぐぐ」

 俺は話をぶっ飛ばしそうだった小冬の口を慌てて塞ぐ。

「ちょっと、お話がしたくて。先輩はいまお時間ありますか?」

 知らない生徒の訪問など十中八九追い返される案件だと思ったが、俺がこれ代弁しないと会話が始まらない。

「……大丈夫。よくわからないけどとりあえず上がって」

 対して返答は、あっさり、予想外のものだった。


 *   *   *


 突然の訪問にも関わらず、先輩の対応は親切だった。

 玄関を上がってまず目についたのは、積まれたダンボール箱だった。

 廊下を歩く高蜂先輩の凛とした後ろ姿を見る。とても問題のある生徒のようには思えない、というのが最初の印象だ。

 おっとりした顔立ちに長い黒髪。先ほどまで生徒会室にいた面々と学校生活を送っている様子を想像するのは少し難しいくらいに思えた。

「で、聞きそびれたけど要件は何?」

 本当に心当たりがないのだろう。高蜂先輩は卓袱台の向こう側で礼儀よく正座すると、自分で運んできた手元のお茶をすすった。

「色々伺って、先輩のことが気になって……。先輩は今、なんで学校を休んでいるんですか?」

「どうして、そんなことを聞くの? あなたたちは、何なの?」

 怒りとは少し違う感情。高蜂先輩の本心はよく見えなかった。

「あたし、先輩のファンなんです」

「……は?」

 先輩はせき込む。

 顔が赤いのはそのせいか、それとも言い慣れていないことを言われて照れているのか。その判断は難しかった。

 小冬はうそぶく様子もなく続ける。

「購買で売ってるしらたまクリームあんぱんを作ってるのって、亜美先輩ですよね? あたしあれが大好きで、毎日買ってるんです。ずっと気になってたんです。どんな人が作ってるのかなって。それが今日、なくなってた。聞いて回ったら自由ヶ崎の生徒が作ってるって知って、あたし嬉しくなっちゃって、握手しに来ました」

「あ……そう」

 勢いに気圧けおされた様子の高蜂先輩は、「はぁ」と一つため息をついて手を差し出す。どうやら本当に握手をしてくれる気らしい。

 小冬の手を握ると、高蜂先輩は静かに告げた。

「私、転校するの」

「……え?」

 空気が凍った。

 密度が上がって音が伝播しやすくなったのか、そこには近くを走る車の電車の音だけが響いていた。

「転校、ですか」

 俺は聞き間違えがないか確認をとる。

「ええ」

「引っ越し先は?」

「九州の高校よ。聞きにくいだろうからこちらから言うけど、理由は両親の離婚」

 間を置かず俺たちを家に上げることができたのも、片付けがある程度済んでいたからかもしれない。

「そう、ですか」

 正直、言葉が出なかった。いま彼女がどんな気持ちでいて、どういう思いでその事実を述べているのか想像もつかなかったからだ。

「副会長に、立候補していたのに?」

「……うっ、うっぐ、えぐ」

「立候補を決めたときは、まだ転校は決まってなかったわ。皮肉にもその日の夜に、お母さんから引っ越すことを告げられたのよ。もともと人をまとめるなんて、向いていなかったのよね」

「……うっ、うっ」

「うるさい、小冬」

 俺はずっと避けていた小冬の方に目を向けて小さく小突く。

 ……顔をぐちゃぐちゃにするほどの号泣だった。

「ぜんばいが、しらたまあんばんをづくっでいだんでずよね」

「え、ええ。そうだけれど」

「おねがいじまず! ずっとづぐってぐだああああい!」

「すみません、こいつ、信者でして」

「そうみたいね……」

 先輩は若干呆れ気味で返す。

 ややあって我に返った小冬は、俺に続いて質問する。

「転校のショックで、パンが作れなくなってしまったんですか……?」

「いいえ、お店には出していたわ。だって、白々しいじゃない? 学校を休んでいるのに、パンだけ出席なんて」

 まあ、たしかに。

「さっき、副会長のような立場は自分には向いていないって言ってましたよね。どうして、立候補したんですか」

 辞退の理由はわかった。しかし、辞退するには立候補が必要なわけで、そちらの理由については全くわからなかった。

「……言ってもらったの。彩夜に」

 彩夜というのは、副生徒会長の一人、森野彩夜のことだろう。

「彩夜先輩に?」

「うん。『あたしも出るから、亜美も出よう』って。幼馴染なんだ、私たち」

 二人の関係性はわからない。でも多分、彩夜先輩は、前述したように引っ込み思案な高蜂先輩に気を使ったのではないだろうか?

「彩夜にはまだ、転校することは言っていない」

「どうして……」

「私が生徒会できないなんて知らずに、彩夜は頑張ってた。言えないよ。一緒に出ようって、自分と対等だって言ってくれた友達に黙ってて、しかも辞退だよ? もう、無理よ」

 先程の口ぶりから、心から生徒会をやりたかったという気持ちがうかがえる。しかし……。

「それからは、どうなんですか」

「全く連絡はないわ。私、携帯も親から禁止されて持ってないし。もう、遠ざけられてしまったのよね、多分」

 小冬の表情は見て取れない。しかし、今まで感じたことのないような静かに熱い何かを俺は傍で感じていた。

「学校には」

 小冬は震えた、低い声で言う。

「学校には、行かないんですか」

「私ね、怖いの」

 決して気が弱くはなさそうな高蜂先輩は、恐怖など見えない表情を保っている。

「隠すのが上手いだけ。私が弱いからって、多分あの子は許してくれない。きっともとから対等だって思ってくれてる。だからこそ、今の私を、多分嫌ってる」

「……話してきます」

「え?」

「あたし、彩夜先輩と話してきます! もう一度先輩が、美味しいパンを作れるくらいに楽しい生活が送れるように!」

 小冬は荒立った様子で、しかし何かに立ち向かうように言い放った。「残り少ない自由ヶ崎での学校生活、行かないなんてもったいないです!」

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