第3話 放課後のきつねと生徒会
「それでケンは、その場面を目撃することになったわけだ」
広めの机を挟んで向こう側でそうつぶやいたのは
「ああ、かなりヒステリックな感じだった」
そう言って、今日の昼起こったことを想起する。姿は見ていないが、不満を漏らす女生徒を男子生徒が咎めている、ということくらいは察知できた。
「それにしても小冬ちゃん、相変わらずだね……」
こちらの小さな声の主は
放課後、西棟三階化学資料室。
別名、占い研究部室。
今俺たちが集まっているこの部屋は、さほど広くない。
単に人数の少ないこの部に適切な広さの部屋が与えられただけだとは思うが、占いを冠としている部活に科学方面の教室をぶつけてくるとは、何か陰謀めいたものを感じてしまう。
ちなみに「今日は休むよ」とあんぱんショックでこの場にいない小冬も、この部のメンバーだ。
「その話、今生徒の中で話題になっている不正当選と、関連性が高そうな気がするの……」
沙妓乃が不穏なワードを持ち出す。
俺とツネは目を丸くし、顔を見合わせる。ややあって、代表してツネが聞き返した。
「……不正当選?」
「うん……。この前、今年度の生徒会役員選挙があったでしょ。会長の枠は一つだけど、副会長の枠は二つ。結局立候補者数が少なかったからその他の役員も含めて信任投票で決まったけど、選挙前日まで副会長候補は三人いたんだって。それが何かの圧力で二人になって、信任投票に変わったらしいの」
「そうなんだ、僕も生徒会の一人ではあるけど、全然気づいていなかったよ。でも言われてみれば、たしかに選挙前は何人かの候補が呼びかけをしていた気がするね」
ツネは「ちょっと待ってね」と一言置くと、エナメルバッグをごそごそと漁り一枚の紙を取り出す。
「今日の朝もらったんだ。これが、新生徒会の役員名簿だよ」
向かい合っている俺たちに見えるよう、ツネはその名簿を横にして机の上に置いた。
生徒会 役員名簿(配当学年)
生徒会長
副生徒会長
書記
会計
「会長以外は二人ずつなのね」
「うん、一年生が入れるのは会計くらいだね。特に書記は、当選した副会長候補の推薦人がそのまま受け持つことになっているんだ」
たしかに、中学時代は役員演説に無駄があると感じていた。生徒会にもならない推薦人の演説の必要性については多くの生徒が疑問符を浮かべていたと思う。
「確か、学校のホームページに候補役員演説の様子、とかいう動画も上がってたな」
「最近は、そういう場でのアピールも大事だからって聞いたよ。それに、映像に残っていればそのマニフェストを守ろうと当選した人も頑張る、という意識付けの意味もあるらしいの……」
演説の様子を回想してしたこの発言から、話題は少しずれたものに切り替わる。
「そうだ、昨日の動画見た?」
「そんな毎日見ねぇよ」
「ふむ。沙妓乃ちゃんは?」
「昨日はゲームのイベントでラストスパートしてて、そのあとサッカーの代表戦を見てたの……」
「それは残念」
ツネの言う「昨日の動画」とは、昨日ツネが俺たちに紹介した動画、などではない。
「じゃあちょっと流すよ」
そう言うとツネは慣れた手つきでスマホを操作し、件の動画を流し始めた。
『どーも、こんこんちわー! 今日も動画の屋敷へようこそ! コンコンでーす。はい、今日は久しぶりのレビュー動画です』
ここまではいつも通りの流れなのだが、俺は妙な違和感を覚えた。
「ここ、もしかして……」
「そう、部室! 昨日誰もいないうちに撮ったのさ! 照明の位置を考えると案外、撮影のロケーションとしても悪くないんだよね」
もうお気づきだろうが、この動画に映っているチャンネル『動画の屋敷』のコンコンは、目の前にいるツネである。狐の面をかぶり声も加工しているので本人と判別はできないが、いつも会っている俺たちからすれば身振り手振りが一目瞭然でツネのそれだ。
コンコンはチャンネル登録数二十万人を超える、そこそこ人気の動画配信者で、当然ながら校内にも名前が知れ渡っている。今回の動画も五分に満たない短さであるが、すでに再生数は十五万回を超えていた。
一分半ほどのところまでは何でもない世間話だった。その後コンコンが商品を取り出すと、聞き慣れた陽気なBGMがあとに続く。
『というわけで、今日紹介するのはこちら! エレファント、オーブントースター! はいこちら、つい昨日届いた未開封のものなんですけれども、今、一番売れてる、安くてしっかり焦げ目がつくと噂のトースターなんですねー。今からこれを開けて、うちの購買で買ったパンを焼いていこうと思います!』
「お前、カメラだけじゃなくこんなものまでここに持ち込んだのか……」
「今は、そこのロッカーに隠してあるよ。それでさ、これがめちゃくちゃ美味しかったから今度みんなで色々焼いてみたいと思ってね。小冬ちゃんなんか、ものすごく喜ぶんじゃないかな」
ツネは満足したのか、そこで動画を停止し、スマホをポケットに戻す。
小冬はこの部ではペットのような扱いを受けている。喜ぶ姿や楽しむ姿を見ようと、部員がかまってやる。どんなことに対してもすぐ尻尾を振るので、誰も悪い気分はしないのだ。
「確かに高校生であることは公にしてるかもしれんが、パンなんか見せたら高校の場所まで特定されかねないぞ」
せっかく続いている放課後の安寧。厄介事は持ち込んでほしくない。
「ジョーブジョーブ! トースターのレビュー動画でパンなんてみんな気にしないし、見た目だけじゃわかりにくいやつを使ってる。他校の生徒にバレることはないさ。それに、もう校内の殆どの生徒にはコンコンが僕だって思われているしね。副会長でさえ、コンコンのファンだって聞たよ!」
「だからってな……」
「万一バレてもうちの購買にパンを提供してるワンワンベーカリーは、店頭でも他校でも、同じもの出してるから大丈夫さ!」
「つねくん、無駄に詳しいのね……」
ワンワンベーカリーっていうのか。パンが入っている袋は透明で何も書いていないから、気にしたこともなかった。
「つまり、たとえパンのレパートリーが変わったことで購買のおばちゃんを咎めても、曖昧な返事をされるだけだということだな」
「そうなるね。購買の業者はパンを作っていない。お弁当はそこが作っているらしいけどね」
ああ、おばちゃんがさらに気の毒になった。
「購買のパンのレパートリーが変わるシチュエーションってどんなものがあるのかな……」
沙妓乃が素朴な疑問を口にすると、間を置かず案外しっかりとした答えが返ってきた。
「原料の価格高騰で大量生産が無理になった場合。準じて、不人気でほかの商品を売った方が利益率がいい場合。衛生上の問題に引っかかった場合。作っている人がメニューを忘れた場合、もしくは紛失した場合。作れる人が少なく、体調を崩した場合。とか?」
よくすらすらと出てくるものだ。広い情報をもらうときや客観的な意見が欲しいとき、大量の可能性を提示してもらって潰しをきかせたいときなど、ツネは相談役としてうってつけだ。
「どれもあり得そうだが、俺の感覚ではしっくりこない気がするな」
「けんくんの感覚は普通じゃないよ」
沙妓乃の鋭い切り返し。特筆すべきはその速さだ。伊達に「ぼそっと鋭く鮮やかに」をモットーに掲げていない。静かに的確なツッコミや返しを決めることで、日々ワード数を減らして生きるトレーニングしていくのだとか。誰得。
こうなってくると俺も情報を提供しないわけにはいかない。記憶の限り、そのシチュエーションを思い出す。
「購買の売り場には、たしかこう書いてあったな」
俺はノートを取り出し記憶のままにペンを走らせる。
『ゴメンナサイ 生産の都合上【しらたまあんぱん】はお休みです
スタッフの準備ができず、再販は未定です』
「理由書いてあるじゃん。パンを作る人が不足していたみたいだね。それにしても、よく覚えていたもんだ」
何か出来事があった時には、そのシチュエーションは極力忘れないようにしていた。もしかしたらそれが、占いの言っている「今日の出来事」かもしれないから。思い返せば叶っていた、なんてのは占いではよくあることで、最も警戒すべき部分でもある。
「確かに理由は書いてあるんだが、一番人気の商品を削るというのがわからないんだ。ここには『スタッフの準備ができず』とあるだけで、スタッフの人数が不足しているとは書いていないしな」
少々揚げ足取りのようだが、実際文体に違和感があった。
「スタッフの準備っていうのは、たとえばアルバイトの調達とか手配という意味かな?」
「まあ、そうだろうな」
スタッフが準備できないことが原因で商品が作れなくなったのなら、人員不足が妥当なところであるのは間違いない。しかし、沙妓乃の考えは違ったようだ。
「そうとも限らないよ。体調の可能性もあるし、もしかしたら気持ちの準備かも。イップスみたいな」
パン作りでイップスとは。
「……その発想はなかったが、とりあえずそっちの線から潰してみるか」
あの言葉尻からそのニュアンスを受け取る感性が俺たちにはなかった。もしかすると、日頃からスポーツ観戦をしているからこそ養われるものなのかもしれない。不調、好調、絶好調。そんなワードに触れる機会が多いのだろう。
「気持ちの準備ができてなくて、パンが作れないってなると……どういうことかな」
「何か学校に後ろめたさがある、売る気が失せるような出来事があった……とか?」
「校内の様子を、パン屋が知るか?」
二人はしばし黙る。
「だよね……」
「じゃあ、パン屋が校内の様子を知って心が準備できなくなるケースを洗ってみよう」
だんだん会議っぽくなってきた。三人とも興が乗ったのか、話し合いは盛り上がりを見せる。まず手を挙げたのは沙妓乃だった。
「搬入の際、生徒から声をかけられ、めちゃくちゃしらたまあんぱんをディスられて、精神を病んだ……ありそう……」
いや、ねーよ。
「パン屋さんが豆腐すぎる。ないね」
「いや、バッサリ切るのは間違ってないが、もっと他のツッコミがあるだろ……」
次、ツネの意見。
「近所の噂で
「そんなに治安悪いか?」
「悪いかも……。わたし、教室で『っしゃ、横浜勝っとるやんけ! 優勝!』って言ったら、くすくす笑われたの……怖い……」
「間違いなく健全な価値観持ってる人間が多いな」
実際、一応の進学校である自由ヶ崎高校は周辺の高校に比べ落ち着きのある方だ。一つや二つの悪い噂でパンを売らなくなるほど、問題のある学校ではなかった。
「うーん、それくらいしか思いつかないよ」
「わたしも……」
二人とも出尽くしたようなので、続いて俺はこんな意見を上げた。
「いや、もう一つある。人気ランキングっていうのは誰が作っているんだ」
「確か、広報部だね」
「いや、もっと広い範囲の話だ」
「え?」
俺は続ける。
「そのランキングというのは、ワンワンベーカリーに渡していたりしているのか」
「特にそんなことはないはず……。逆にあっちからも情報をもらったりしているわけじゃなくて、アトランダムに今日は何を買ったかを聞いて回っているみたい……怖い……。お、次のコラボイベの情報きとるやんけ!」
沙妓乃、情緒不安定かよ。
購買周辺で妙に声をかけてうろうろしていた怪しい連中の正体は広報部だったんだな。相手を間違えれば声かけ事案で通報されるぞ、あれ。
「そのランキングと購買の陳列が、妙に連動していることはなかったか」
「たしかにうちの購買、パンだけがやけにトレンドを把握している気がしていたけど……まさか」
極めつけに。
「『しらたまあんぱん』や『しらたまクリームあんぱん』。あれは生徒しか使わないワードらしい。正式名称は『おしるこ風なんとやら』だと小冬が騒いでいた。となると、あれを誰が書いたかの決め手にもなる」
「けんちゃん、冴えてる」
俺は得意げな顔をしていった。
「まだ判断材料は乏しいが、一応の結論は出たな」
一呼吸置き、確認のために述べる。
「ワンワンベーカリーのしらたまクリームあんぱんを作っていたのは、自由ヶ崎高校の生徒だ」
おー、ぱちぱち。二人は適当な反応をする。慣れたものだった。いつも占い部の活動は大体こんな感じで時間を浪費していくのである。
「……さてと」
まだ少し早い時間だったが、沙妓乃は荷物をまとめ始めた。
「帰るのか?」
「さっき思い出したんだけど、今日の担当、わたしだったの」
律儀な奴だ。
「そうかもしれないが、そんなに守らんでもいいんだぞ。ガス抜きは大事だ」
そうアドバイスすると、ツネが怪訝そうな顔をこちらに向ける。
「ケンはやってなさすぎなんだよ……」
反論の余地を失った俺は、うつむき黙秘する。
「大丈夫だよ。好きでやってるんだし。じゃあ、お疲れ様」
「そうか、またな」
「うん、またね、二人とも」
沙妓乃は部室から出ていった。
その数分後、俺も荷物をまとめ始めた。
「帰るのかい? 今日はみんな早いね」
「まあ、ちょっとな」
「お疲れ様、そろそろケンの番も回ってくるから、ちゃんと考えておいたほうがいいよ」
「ああ、全力をつくすよ」
「嘘くさいなあ」
「マジマジ。じゃあな」
ツネは小さく笑うと、あわせて手を振る。
「おす、また明日」
俺は部室を出る。
さて、実を言うと一つ、引っかかることがあったのだ。
先ほどの推論には多少無理がある。二人の前で披露した理屈は、実を言うと一つの予測のもとに強引にこじつけて導出したものだった。
数十分前、ちょうど学校に来なくなった生徒がいるらしいという話をしていたことを、俺以外は多分、忘れていた。
もしかしたら交渉次第では、しらたまあんぱんを復活させられるかもしれない。
小冬から隠した手元、今日の占い結果にはこうあった。
『陰でも人に尽くすべし』
まったく、なんてタイミングだと、俺は一種の神秘を感じながら、ゆっくりと西棟二階に赴いた。
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