第796話 寂れた街
ハリンドン侯爵令嬢……あ、「元」か。ともかく、令嬢が入っていた海沿いにあるソードン女子修道院は、彼女のような貴族の令嬢を多く収容する場所だそう。
その名は令嬢達には畏怖の対象として知られているんだとか。
国土の北西、海岸線の崖上に建つ姿は、修道院というよりは牢獄と呼ぶにふさわしいそう。
実際、一時期は監獄として使われていたらしい。
立地的に脱走が難しい建物らしく、今まで脱走出来た人間はいないという話。
王都からだと、自動車を使っても半日かかる距離だと聞いたけど……
「速度半端ねえええええええ!」
「はっはっは、速いだろう!?」
速すぎるわ! これ、時速二百キロ以上出てない!? 事故起こしたらどうするんだよ!
上機嫌でハンドルを握るアンドン陛下は、前を見ながら続けた。
「安心しろ! ここ最近、国内の道路事情が向上してな。ここの路面も最高のものになってる。おまけに、今日はこの高速道は貸し切りだ」
高速道……ねえ。確かに、周囲からは隔てられた道路だ。しかも、カーブはほぼなく、あっても緩い。速度を出すのを前提で作られてる。
「それに、万一事故っても、侯爵がいれば結界で助けてくれるしな!」
そーですね。くそう。
アンドン陛下が運転する車に乗っているのは、私とリラ、助手席にユーイン。ヴィル様はアンドン陛下の側付きと一緒に後続車に乗っている。
ちなみに、ハンドルは右側。日本と一緒だね。
「これは国産の最高速度を叩き出した車でな。さすがにレーシングマシンとはいかないが、なかなのもんだろ?」
私、車に速度は求めないタイプなんだよね。どちらかといえば、居住性能や安全性を求めたいところ。
その辺り、アンドン陛下とは反りが合わないんだよなー。いや、別にいいんですが。
「シイニールだがな」
「はい」
アンドン陛下が、いきなり話題を変えてきた。
「既に現地にいる。というか、ハリンドンの娘の死体が出た少し前から、ソードンの街に滞在してるんだよ」
「え?」
ソードン女子修道院の名は、土地から来ている。ソードンという土地にある修道院だから、ソードン女子修道院。安直だけど、わかりやすくていい。
当然、ソードンという名の街が修道院の近くにあるそうだ。そこに、三男坊は奥方と一緒に滞在しているという。
「何だってまた」
そんな時期に、そんな場所へ行ったんだ。口にしなかった言葉を、アンドン陛下は察したようだ。
「慰問だよ。かみさんの母親は、ハリンドンの娘の遠縁なんだ」
「ああ」
貴族の家って、血が複雑に入り込んでいるので、ちょっと辿ると親戚とか遠縁とかいくらでも出てくるんだよな。
前ハリンドン侯爵夫人と、三男坊が婿入りした家、ザカノアド伯爵家の現夫人は、又従姉妹という関係らしい。
その関係で、修道院に入った元ハリンドン侯爵令嬢コーテゼレナの元へ、度々差し入れだの面会だのをしていたんだって。
修道院って、世俗とは縁を切るんじゃなかった?
疑問を口にしたら、アンドン陛下が教えてくれた。
「修道の誓いってやつを立てると、世俗とは一切関われなくなるんだってよ。で、その誓いを立てる為には、三年の修行期間が必要なんだと」
「……あの事件、三年以上前でしたっけ?」
「コーテゼレナは模範的な見習いとは言い難かったようだから、修行期間は長引いていたんじゃないか?」
それで、三男坊が奥さんと一緒に慰問に行った時も、まだ誓いを立てていなかったのか。
いや、三男坊が連れられて……だな。彼、立場の弱い婿だし。
それでも、オーゼリア王家の血を引いている事は間違いない。だからこそ、アンドン陛下が動いているんだし、私達が現場に行くのだ。
それにしても、本当に厄介なお嬢だよな、あの侯爵令嬢。あ、元だった。
死んだ人を悪く言うのは気が引けるけれど、修道院に入ってまで殺されるようなら、相当周囲から恨まれていたんじゃなかろうか。
何せ、自分の望みを叶える為だけに、人を殺そうとしたのだから。未遂で終わって、本当によかったよ。
ソードンの街は、何だか寂しい印象だ。建物に使われている建材は石材で、近場の石切り場から切り出してくるのだという。
その石材が、灰色だからだろうか、何となく街全体が沈んで見えるのだ。
「静かな街だろ?」
「……そーですね」
ものは言い様だな。
街行く人の顔も、何やら沈んで見えるのは気のせいなのかな。
小さな街には宿屋は二軒。え、二軒もあるんだ。
「観光客なんて来るんですか?」
「ここの宿は、修道院に入った者の家族が使うんだよ」
なるほど。観光ではなく、面会の客か。
「二軒あるが、今は向こうの一軒が貸し切り状態だ」
「貸し切り?」
「元ハリンドン侯爵夫妻が、長逗留している」
令嬢の両親も、この街にいたのか……
聞けば、三男坊夫妻もそちらの宿に泊まっているという。
「じゃあ、私達もそちらに?」
「ああ。こういう街の宿だから、あまり期待しないでくれ」
え、寂れた街の古臭い宿屋とか、いいんじゃないの? しかも石造り。屋根もスレートと呼ばれる薄い石材で葺いているし。
違う意味で期待値が上がるよ?
宿屋は本当に貸し切りらしく、一階のロビーにあるこぢんまりしたソファセットに、見覚えのある男女が座っていた。
前ハリンドン侯爵夫妻だ。三男坊の姿はないね。
私の視線で気付いたのか、アンドン陛下がこそっと教えてくれる。
「シイニールは、部屋に軟禁状態だ。悪いが、まだ容疑は晴れていない」
「なるほど」
容疑と言われても、証拠らしい証拠なんて何もないんだろう。当然だ、三男坊に人は殺せない。特に女は。
相手ともみ合った結果殺してしまったというのなら、自首するだろうしね。そういうところは、潔癖だと思うよ。
「アンドン陛下……」
こちらに気付いた元ハリンドン侯爵夫人が、泣きはらした目でアンドン陛下にすがりつく。
「どうして……どうして娘は殺されたんですか! あの子は、そこまで酷い事はしておりません!」
親の欲目か。あなたの娘は、間接的にとはいえ、人を殺しかけたし、私を社会的に抹殺しようとしたんですよ。
恨まれて殺されても、文句は言えないくらい悪人じゃないかなあ。さすがに場の空気を読んで、何も言わないけれど。
私が言いたい事は、アンドン陛下が言ってくれた。
「夫人、死んだ娘を悪く言いたくないのはわかるが、自分の娘がやった罪から目をそらすのはどうかと思うぞ?」
「陛下……」
「コーテゼレナは、人を殺しかけた。自分の、ただの妄想の為にな。それに、こちらの侯爵の身も危うくしたんだぞ。下手をすれば、オーゼリアとの戦争になるところだった」
「そ……それは……」
言いよどむ夫人の肩を、元侯爵がそっと支える。
「もうやめなさい」
「あなた」
「私達は、あの子を育て間違えたんだ」
「でも……でも……」
「今は、神の元へ召されたあの子が、罪を償っている事を願おう」
「う……うう……」
育て間違えた……ねえ。何となく、あの母親の血をまっすぐ引いたのではと思う。
夫人、ハンカチで目元を覆う際、私の事を睨み付けたよ。案外元気じゃない。
前ハリンドン侯爵夫妻の事はアンドン陛下に任せて、私は三男坊に会いに、彼がいる三階の部屋へと上がる。
私、リラ、ユーイン、ヴィル様の四人だ。ヴィル様はアンドン陛下の側に留まるかと思ったけれど、レオール陛下の手前、三男坊の様子を見ようという事なのかも。
その三男坊は今、この宿屋の最上階の端の部屋に、妻サーリニール夫人と一緒に軟禁されているそうだ。
あそこ、子供いたよね? 王都に置いてきたのかな……
久しぶりに見る三男坊は、憔悴していた。
「やあ、久しぶりだね」
「お久しぶりです、殿下。やつれましたね」
「もう殿下じゃないよ。それに、この状況ではやつれても不思議はないんじゃないかな」
まー、そうだよねー。
一緒に閉じ込められているサーリニール夫人にも、疲れが見えている。これ、とっとと解放しないと、大変な事にならないか?
「ローレル嬢が来たという事は、君がコーテゼレナ嬢の事件を調べるのかい?」
ローレル「嬢」ねえ。後ろのユーインの気配が寒々しくなっているので、ここらで呼び名を改めていただきたいところ。
「私も、もう『嬢』ではありませんよ。デュバル侯爵とお呼びください」
「そうか……そうだったね」
「先程の質問の件ですが、確かに私が調べる事になりました。一応、殿下の事情もお聞かせ願えます?」
もう殿下じゃないって言ってるけど、いいや。愛称みたいなものだと思ってくれたまえ。
そんな内心が通じた訳ではないのだろうけれど、三男坊が苦笑する。
「事情と言っても、彼女と一緒に何度目かの面会に来ただけなんだ。いつものように、差し入れを持ってね」
「差し入れは、何を?」
「コーテゼレナ嬢が好きだっていう、王都の焼き菓子。修道院だと、甘い物もあまり食べられないって聞いたから」
「あの……発言をお許しください、閣下」
脇から、サーリニール夫人が声を掛けてきた。
「許します。というか、ここ、公の場ではないから、砕けた感じにしてもらえると助かるわ」
「わかりました。では、そのように。差し入れを選んだのは、私なんです。彼女とはあまり交流はありませんでしたし、正直あまり好きな人ではなかったんですけど、それでも、母の顔を立てて年に数回、差し入れをしていました」
色々とぶっちゃける人だ。でも、彼女達がここに来ている理由は、彼女の母親にあるのか。
「サーリニール夫人、母君と前ハリンドン侯爵夫人の仲はよかった?」
「ええ。遠縁というだけでなく、昔からの幼馴染みなんだそうです」
おっと、新事実。
「母は、コーテゼレナがここに送られてから気落ちしてしまって、寝付いているんです。ですから、自分が行けないので、私に行けと」
あれー? 何か、サーリニール夫人の母親から、毒親っぽい感じがしてきたぞー?
でもこれ、突っ込めない。下手に突っ込んだら、本人が見たくないものまで引きずり出してしまいそうで。
何も言えずにいると、サーリニール夫人が苦い笑いをこぼす。
「母にとって、コーテゼレナは理想の娘だったんですよ。あの子、事件が起こる前までは、完璧な令嬢ともてはやされていましたし」
サーリニール夫人の目には、暗い色がある。
しまった、恨みを持っている人物、ここに見つけちゃったぞ?
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