第774話 デビュー!

 デュバル侯爵家当主は、今上陛下の愛人である。そんな噂が、まことしやかに流れているんだとか。


「さすがに社交界の噂話だからな。陛下の耳に入ったのも、今日の夕方でな……」


 疲れた様子のヴィル様が言うには、陛下の耳に噂が入ったのは偶然だったんだとか。


 ギンゼールの女王戴冠の祝いの品を選ぶ作業は、私が帰った後も続いていたそう。


 その際、品が集められた外を通りかかったとある貴族が、その噂を口にしたらしい。


 最初に聞いたのは、レオール陛下に用があって品が集められた部屋に向かっていた、イエル卿だという。


 ヴィル様は、苦々しい顔だ。


「陛下が噂に気付いたとはいえ、社交界の噂である以上こちらが介入出来る事はない」

「え? そうなんですか?」

「あくまで『噂』だからな。断定的に言ったり、その事を表立って非難してくるようなら、対処法はあるが」


 という訳で、今回の「噂」に関しては放置一択なんだとか。


 下手に介入すると、痛くない腹を探られて「やっぱり噂は本当だったんだ」と取られる確率が高いんだって。本当、貴族ってのは。


「レラとしては、これまで通り好きに行動しろというのが、陛下からお言葉だ」

「……好きに動いていいんですね?」

「ああ。ただし、噂の元を潰そうとかは、するなよ?」

「はあい」


 まあ、今の私にそんな暇があるかと言われるとないので、どうでもいいっちゃどうでもいいのか。




 と、思っていた時が私にもありました。


「あなたがデュバル侯爵夫人ね!」


 いきなり聞き慣れない呼称で呼ばれ、振り返るとフリフリのドレスを着た若いお嬢さん。


 本日、ヒューモソン家、キュネラン家、またキュネラン家に連なる家の方々、数を減らしたとはいえヒューモソン家に連なる家の方々との顔つなぎの為、リラとルチルスを連れてとある夜会に出席していた。


 この夜会、パートナーがいなくても出席出来るので、本日は私達三人のみでの参加。


 その会場で、いきなり不思議な呼びかけをされてしまったよ。


「何とか仰いよ!」


 どうしよう。トンデモメロンをこの間退治したばかりなのに、似たようなのに捕まったんだが。


 視線でリラを見るも、軽く首を横に振るだけ。


『おそらく、エヴリラ様もご存じない令嬢かと』


 ええええ。一体どこのお嬢ちゃんよー。


『調べますか?』


 んーと、いいや。アルジーザ夫人に聞いてみる。


 そっと移動して、扇で口元を隠し、アルジーザ夫人に訊ねた。


「アルジーザ夫人、あのお嬢さん、ご存知」


 私の問いに、アルジーザ夫人が軽く頭を押さえているのが見える。面倒な相手なのかな。


 果たして、本当に面倒な相手でしたー。


「メディッド公爵家のイエジャッテ姫です。遅くに出来た末のお嬢さんで唯一の娘だそうで、公爵夫妻と上の兄君達は大層可愛がっているんだとか」


 それは、甘やかされまくったお嬢ちゃんって事ですね。うわあ。


 そのイエジャッテ姫、こちらに何とか近づこうとして、周囲の色々弁えている奥様方に「まあまあ」と囲まれている。


「何よ。放して。私はあの人に――」

「まあまあ、デビューしたばかりでの夜会はお疲れでしょう。ささ、あちらへどうぞ」

「え? ええええ? ちょっとおおお」


 奥様方、グッジョブ。とんでもお姫がいなくなった後、会場はしんと静まりかえってしまった。


「……何だったんでしょうね? あれ」

「さあ」


 ルチルスからの質問に、そんなのこっちが聞きたいよと思いつつ、口では別の返答をしておいた。




 メディッド公爵家。ローアタワー公爵家、コアド公爵家と並ぶ、オーゼリアの三大公爵家の一つ。


 王族公爵家であり。当主であるメディッド公爵はあまり社交界に顔を出さない人らしい。


「あの方はバラの栽培がご趣味でね。一年の半分以上は領地の邸に引きこもってらっしゃるよ」


 そう教えてくれたのは、コアド公爵。あんな噂がありますが、今日も王宮に来てまーす。いつものように、陛下の執務室でーす。


 大体、本当に愛人だったら執務室に呼びつけたりするか? ここ、私の旦那もいる職場なんだが?


 それはともかく、今日来たのは先日の夜会の件を、陛下が聞きつけた結果だ。


「それにしても、イエジャッテがどうして侯爵に絡みにいったんだか」

「あの娘の考えなぞ、我々にわかるはずもありませんよ」


 陛下のぼやきに、朗らかに毒を吐くコアド公爵。お二人にしても、そういう扱いのお嬢ちゃんなんだ……


 執務机に肘を突き、組んだ手の上に顎を乗せた陛下が淡々と告げる。 


「既に聞き及んでいるとは思うがメディッド公爵家は王家との繋がりが深い家だ。無下には扱えん」

「しかも、公爵夫妻はあの娘を溺愛している。娘に非があろうとも、敵対すれば何かしらを仕掛けて来る可能性が高いんです」


 続いたコアド公爵の言葉に、ちょっと引っかかりを感じた。


「……領地に引きこもって、バラの栽培をしているだけの公爵が、ですか?」

「腐っても公爵家、取り巻く家は多いし、昔からの付き合いも続いている。何より、デュバルを潰したいと思っている連中は、存外多いぞ」

「失礼な話ですねえ」


 つまり、うちを潰したい家がメディッド公爵家の威を借りて、何か仕掛けてくる可能性があるという訳か。


 私を潰したいのなら、正面切って挑んでこいっての。いや、こういう裏に回るやり方は、大変貴族的なんだけれどね。


 正面切って挑むのは、脳筋のペイロンくらいか。あそこはうちに言いたい事があったら、直接言ってくる家だから挑む必要はないが。


 貴族の思惑なんていう、ねっとり絡みついてくるものに辟易していると、陛下が告げた。


「ともかく、イエジャッテに絡まれても面倒だろう。それに、もうじき侯爵の誕生日だ。もう王都にいなくていいから、本領に籠もっているといい」

「いいんですか?」

「構わん。夏の王都はろくな家が残らない」


 あー、言っちゃったよ。王都って、夏の暑さが半端ない場所だ。初夏でもかなり暑くなる。いつぞや、ユーインパパが熱中症で倒れたっけ。


 今は研究所で売ってる冷房や冷却帽子があるから倒れる人はいないけれど、それでも自領の方が涼しい家が多い。


 そこから、夏の王都に残っているのは、自領に帰る金がない家か、自領で問題がある家、もしくは王家にすり寄りたい家だと言われている。


 私の場合、夏は常にペイロンにいたからなあ。七月は私のバースデーパーティーがあるし、八月は狩猟祭だ。


 本領を整備してからは、狩猟祭以外の夏は本領で過ごす事が多い……はず。いや、飛び地とか国外とか色々行ってるのでな……


 七月まで、まだ間がある。本当なら、もう少し王都に残ってそれなりに社交をしなくてはならない。それを前倒しして、本領に籠もっていいとな。


 これはいい話を聞いた。


「では、明日にでも本領に戻る事にいたします」

「ああ。その際は、鉄道を使えよ? きちんと侯爵達が王都を離れたと、周囲に知らしめる為に。それと、ユーインも一緒に行くといい。早めの休暇だ」

「ありがとうございます」


 ほほう。普段は私が本領に戻っても、ユーインだけは置いていけという陛下が、早めの休暇で一緒に行けとな。


 これ、私が王都を留守にする裏に、何かあるな?




「と思うんだけど、どうだろう?」


 王都邸に戻り、王宮での会話をリラに聞かせる。今回は私一人で行ったからね。リラは狩猟祭の件で、チェリと打ち合わせる事が多くなってるそう。


 そのリラは、私の話を聞いて盛大な溜息を吐いた。


「あんたが本領に籠もっている間に、例の愛人の噂と公爵家のお姫様の件を片付けるつもりなんじゃないの?」

「やっぱりー?」


 正直、噂に関してはヴィル様に放っておけと言われたので、私はノータッチでいる予定だ。


 あのお姫に関しても、これから先こちらに絡んでこないのなら放置しようと思ったんだけど……


 陛下が出張るって事は、ヤバい何かがあるって事なのかな。まあ、公爵家そのものに動かれると困るっぽいけれど。


「……メディッド公爵家って、そんなにヤバい家なのかな」

「というか、聞いてる感じだと、公爵家とデュバルが全面戦争になられると、国として困るって感じじゃないの? 王家としては、何代も王家の血が入っている公爵家を切り捨てる訳にもいかない。かといって、デュバルを切る事も出来ない。両家がぶつからないのが一番なんでしょうよ」

「なるほど。でも、私が何かやらかした訳じゃないよ?」

「そうなのよねえ……あの子、まだデビューしたばかりだと、周囲の奥様方が仰ってたわよね? って事は、今十五歳、学院だと三年生だわ。あんたとは、接点がないんだけど」

 本当にねえ。


 支度をして、翌日には王都を後にした。支度と言っても、着替えただけ。領都であるネオポリスのヌオーヴォ館には身の回りの品が揃っているし、ドレスも一通りある。荷物を持たなくても、困らないんだよね。

 そして、本日はちょっと人目を引く事にした。何と、魔力で動く魔動車でユルヴィルの駅まで行くのだ。

 オープンタイプの魔動車は王都邸の前に既に停車していて、道行く人達の視線を集めている。

「ふっふっふ、注目を集めてるわあ」

 クラシックタイプのオープンカー……といっても、オーゼリアでは車自体が殆ど走っていない。まだ馬車が主流なのだ。

 でも、再開発地区に巡回型バスを走らせる以上、車そのものを見慣れてもらわなくてはね。

 それに、私の王都出立は派手に人目を集める必要がある。その結果、オープンカーデビューとなった訳だ。

 これで本領に戻るのは、私とユーインのみ。リラは王都邸でヴィル様を支える仕事があるし、いざとなったら移動陣でいつでも本領に戻れるから。

 オープンカーを運転するのは、カストル。本当、うちの有能執事は何でも出来るよねえ。

 後部座席にユーインと並んで座り、出発。さて、王都の皆さんには、しっかり私達の姿を見てもらわないとね。

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