第771話 兄妹喧嘩は脳筋もご遠慮したい

 ヒューモソン伯爵家のゴタゴタを解決し、家を潰さず次男に継承させる事が出来れば、ヒューモソン伯爵領内で取れる淡水真珠の販売に食い込める。


 現在、淡水真珠……ヒューモソン伯爵家のそれは色が余所の真珠とはちょっと違うので、特別にヒューモソン・ブルーと呼ばれているそうな。


 そのヒューモソン・ブルーの全ての権利は、現在キュネラン伯爵家が一手に握っている。


 そのキュネラン伯爵と、私に依頼した当人である、伯爵の妹アルジーザ夫人が私の目の前にいるんだけど。


 いきなり兄妹喧嘩が始まりましたよ?


「ヒューモソンの事は私に一任すると約束したではありませんか!」

「その中には、真珠の件まで入っておらん!」

「まあ、どんな手を使ってもいい、亭主と嫡男を追い出せと言ったのは、お兄様ではありませんの! 今更あの時の言葉を撤回なさるおつもり!?」

「そ、それは言ったが、まさか真珠の権利まで持ち出すとは思わなかったんだ!」

「詰めの甘いこと。一部では切れ者などと呼ばれているようですけれど、私、聞く度に笑い出してしまいそうになって、困ってしまうわ」

「ぐぬ」


 うーん、アルジーザ夫人に軍配が上がりそう。


 でも、キュネラン伯爵の言い分もわかる気がする。普通、「どんな手を使ってでも」と言っても、実家に権利があるものを差し出すとは思わないよなー。


 でも、使えるものは何でも使えのその精神、嫌いじゃないわ。その潔さは、ペイロンに通ずるものがある。


 そういえば、結婚話がうまくいけば、目の前にいるアルジーザ夫人はルチルスの姑になる方だね。


 なるべくなら、嫁姑の間は良好であってほしい。


 兄妹喧嘩はまだ終わらないようだが、何だか様子が変わってきた。


「いいでしょう。お兄様がそこまで仰るなら、私が閣下に頭を下げて、真珠の取り扱いに関しては諦めていただきます」

「おお!」


 ええええええ? それはないでしょ?


 内心慌てる私の目の前で、アルジーザ夫人がにやりと笑う。


「その代わり、真珠に関税を掛けます。今は掛けておりませんけれど、これからは売値の四倍に」

「な!」


 おお。この場合の関税は、自領から他領に物を移動させる時に掛ける税の事。領地から出したくない、入れたくないものがある場合に使われる事が多い。


 キュネラン伯爵家は、ヒューモソン・ブルーが取れる湖、そこから取れる水産物の権利、そして水産物を売却する権利を有している。


 でも、湖自体はヒューモソン伯爵領にある訳だ。そこから領外に持ち出すには、領主の許可がいる。


 つか、そこもワンセットで権利をもらったわけじゃないんだね。確かに、詰めが甘い。いや、私が言う事じゃないんだけど。


『主様が契約なさる時は、私がしっかりと確認しますのでご安心を』


 うちの執事は、本当に有能だねえ。たまに暴走するけれど。


『しませんよ』


 嘘吐け。




 兄妹喧嘩は、関税を持ち出されたキュネラン伯爵の負けで終わった。せっかく真珠を取ったとしても、高い関税を掛けられたら儲けが出ないもんね。


 湖をもらう時、そこから領を出るまでの道ももらっておけばよかったのに。あれは土地を持っている人間が掛けられるものだから。


 そういう意味でも、詰めが甘いのかもね。


 あ、契約したのは先代の伯爵かな? どちらにしても、今目の前で頭を抱えている人物もその頃にはしっかり嫡男として家の事に関わっていただろうから、一緒か。


「このようなところで醜態をさらした事、どうかお許し頂きたく存じます」

「気にしないでください、アルジーザ夫人。私としては、真珠の販売が出来るようになればいいので」


 夫人の謝罪の言葉と共に頭を下げたキュネラン伯爵の肩が、ぴくりと反応する。まだ何か言いたいのかな。


 欲をかきすぎると痛い目を見るって、先程の兄妹喧嘩で思い知っただろうに。


 伯爵の反応をしっかり見ていたアルジーザ夫人の目が、ぎらりと光る。


「お兄様、負けは潔く認めてちょうだい」

「わかっている」


 このまま放っておくと、また言い合いが始まりそうなので、ここらでこちらのカードを切ろうか。


「キュネラン伯爵。私には国外の伝手が多い事をご存知かしら?」

「ええ。もちろん。特にガルノバンとは懇意にしているとか」


 ええ、そーですね。ちょっと油断していると、国王本人が「来ちゃった」するくらいだよ。


 それはともかく。


「ヒューモソン・ブルーは、主に国内の市場にしか出回っていないのでしょう?」

「ええ……まさか!」


 やっと気付いたかね? 遅いよ。


「国内の市場は、これまで通りキュネラン家が扱えばいいわ。我が家は国外の市場を狙います。それと、淡水真珠に関しても、一部人の手で増やす事を考えています。そちらは、キュネラン家の事業とは切り離して考えてもらうわ」

「人の手で、増やす?」


 私の言葉に、キュネラン伯爵はぽかんとしている。人の手で増やせるって、思ってもみなかったらしい。


「実際、ペイロンでも真珠の養殖は始まっています。あちらに比べれば、淡水真珠の貝は魔物じゃないでしょう? 楽だと思うわよ?」


 にっこり笑ったら、何故か伯爵の顔が青くなっていった。いや、私、悪い事は何も言っていないでしょうが。




 アルジーザ夫人とは、近々会う約束を口頭で取り付け、二人を見送る。キュネラン伯爵、来た時とは違って何やら怯えた様子なんだが。私、何もしていないよね?


 今回の見送りの場には、私以外に誰もいない。これが邸の主人が男性だったら、配偶者の夫人が一緒に見送るものなんだけど、うちの場合は私が女だからなー。


 ユーインがいれば、一緒に立ってただろうね。


 本日、リラは不在。急遽アスプザット邸に呼ばれているから。呼んだのは、シーラ様かな?


 彼女が帰るまでは、少しのんびりしようか。エントランスの陰に潜んでいたオケアニスに、奥の居間までお茶を持ってくるよう頼んで、自分も居間へ。


 奥の居間は庭に面していて、一部突き出たデザインになっている。突き出た部分は全面ガラス張りの温室状態だ。


 で、ここには植木鉢で育てている植物が所狭しと置かれている。居間との境に壁も扉もないので、オープンな場所だけれど、秘密の植物園のようで気に入っているのだ。


 その植物園もどきになっている空間に置いたカウチに、行儀悪く寝そべる。いやー、目の前で喧嘩を見ると疲れるねえ。


 特に、こちらが手出ししちゃいけない場合は。


「行儀が悪いわよ」


 目を閉じていると、頭の上からリラの声。


「お帰り。シーラ様のご用事、何だったの?」

「お義母様じゃなく、チェリ様よ」

「チェリ?」


 チェリことハニーチェルは、アスプザットの跡継ぎになったロクス様の奥方だ。


 普段は忘れているけれど、彼女、あのアンドン陛下の姪なんだよねえ。


「チェリが、何の用で?」

「あの方、徐々にお義母様から色々な事を教わりつつ仕事を割り振られていて、次の狩猟祭では一部主催側……ぶっちゃけホステス役をするんですって」

「おお」


 年齢的には、まだまだシーラ様が現役なんだろうけれど、移せる仕事は少しずつチェリに移していこうって事か。


 チェリは故国ガルノバンで公爵令嬢として育てられているから、主催側の心得のようなものは既に持っている。あとは細かい約束事を覚えればいいだけなんじゃないかな。


「それはわかったけれど、何でリラを呼んだのよ」

「だから、その手伝いをしてほしいって頼まれたのよ。チェリ様と、お義母様にも」


 えー。そりゃリラはヴィル様の妻で、ヴィル様はアスプザットの長男だけどさあ。本来なら、アスプザットの跡取りはヴィル様だったけどお。


 今はゾーセノット伯爵家という新しい家を興して、アスプザットからは出ているのにー。


「それより、キュネラン伯爵との面談は無事に済んだの?」

「あー……無事じゃなかったのは、伯爵の内心の方かなあ」

「どういう事?」


 とりあえず、報告がてらリラにキュネラン伯爵とアルジーザ夫人が来ていた時の事を話す。


 時折眉間に皺を寄せて聞いていたリラも、後半では何やら笑いを堪えているんだけど。どういう事?


「という訳で、市場の住み分け? で解決したよ」

「なるほど。キュネラン伯爵、あんたがどこ出身か忘れていたのかもね」

「……どゆこと?」

「あんたが、ペイロンで育った脳筋だって事が、頭からすっぽ抜けていたんじゃないかしら。そういえば、国内での盗賊討伐、ここ最近はご無沙汰だものねえ」


 ……じゃあ何か? あの時怯えたのは、私に殴られるとでも思ったからか?


 失礼だな! 訳もなく人を殴ったりしないよ! 理由があれば、殴らずに眠らせて、地下工事現場に放り込むだけだし。

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