第740話 覚悟と自覚

 髭ジジイ、陸に上がった魚のように、口をパクパクさせている。


 やがて、何かを呑み込んで、ファベカー侯爵に向き直った。


「い、今の話は、本当なのか?」

「嘘を言ってどうする」


 本当よねー。髭ジジイも、いい加減諦めろよ。いや、何を諦めるんだと聞かれたら、困るけれど。


 その髭ジジイ、何やら頭を抱えて俯いていたけれど、ギリっとこちらを睨み付けた。


「おのれ、私を騙しおったな!?」


 あ? 何言ってんの? この髭ジジイ。


 ちらりとファベカー侯爵を見ると、「どうしようもない」と言いたげな顔で首を横に振るだけ。


 あんたの同僚……同僚? だろ? どうにかしてよ。


「大体、女が当主だなどと、生意気な事を!」

「今すぐその口を閉じろ、ジジイ」


 これは、私の言葉じゃないよ。ユーインから、威圧と共に発せられた言葉だ。


 お、髭ジジイ、ユーインの威圧に何とか耐えた。


「王都と王家を見捨て、自領に籠もっていただけの能なしが、何をほざく」

「こ、この! 若造めが!」

「私が若造なら、きさまは死にかけの老体だ。潔く墓に入るがいい」

「な、何だとおおおおお!?」


 あ、髭ジジイが腰の剣に手を掛けた。それ、抜いたらただじゃ済まないんだけど……


「そこまでだ、ベデービヒ。貴様が悪い」

「こ、この! ファベカー! 貴様は昔から――」

「いい加減に負けを認めろ。足がふるえているぞ。お互い、寄る年波には勝てんよ。それに、貴様よりあちらの二人の方が、ずっと強い」

「ぐぬぬ……」


 あ、ヴィル様も戦闘態勢に入ってた。ユーインがわかりやすく前に出たから、後ろでしっかり準備していたみたい。


 やだなあ、二人共。この髭ジジイ程度、いくらでも自力で黙らせられるってば。


 それに、私を馬鹿にしているんだから、私がやらなきゃ駄目でしょ。


「ファベカー侯爵、許可をもらえれば、この爺さんに私が直々にわからせますよ?」

「いや、侯爵。それはやめてくれ。こんなのでも、今の王城には必要なのだ」

「貴様等、ちょっと言葉が過ぎやしないか?」

「あんたは」

「貴様は」

「黙っとれ!」


 おっと、ファベカー侯爵と声が揃っちゃった。




 あの後、髭ジジイことベデービヒ侯爵は、こんこんとファベカー侯爵にお説教を食らったらしい。


 何でも、若い頃から一緒にいい事も悪い事もやってきた仲だそうで、トリヨンサークとの戦争時には、一緒に前線にも出たんだとか。


 同じ釜のメシを食った仲ってやつ?


 ベデービヒ侯爵は、元々ギンゼール軍の重鎮だったそう。それが、王都での権力争いに嫌気が差し、自領に引きこもっていたという。


 それが主な理由ではあるんだけれど、もう一つ理由があったそうで。


「それが、ガルノバン嫌い?」


 お説教を終えて、かなりお疲れモードのファベカー侯爵と、ちょっとお話し合い。


 ちなみに、ベデービヒの爺さんはファベカー侯爵よりも更に疲れて、寝込んでいるそうだ。


 自領にお籠もりしていたから、色々耐性が低くなってるんじゃね?


 それはともかく。


「何だってまた、ガルノバンを嫌うんです? 昔から、良好な仲だったのでは?」

「だからだよ。ガルノバンは、ここ二十年で胸囲の発展を遂げた。翻って、我がギンゼールはどうだ?」


 いや、どうだと言われましても。


「自国の事を悪く言うのは気が進まないが、酷いものだろう。王家の力が弱く、貴族達は自分達の利益しか考えない。おかげで国内の産業もなかなか発展しない。発展があったとしても、ガルノバンに依存したヒセット鉱石くらいだ。あやつは、それが歯がゆいのだろう」


 とは言ってもねえ。それって、ギンゼールの問題であって、ガルノバンが悪い訳じゃない。


 もっと言うと、ギンゼールに転生者がいなかったから……かも?


「ギンゼールの主な産業って、宝石とヒセット鉱石ですよね」

「そうだ。何か他の産物を探そうにも、北の我が国ではめぼしい作物もないのでな」


 大型船を作れれば、北の海での操業が可能かもね。でも、それはうちでやらせてもらう。


 なので、ここはベデービヒの爺さんと、目の前のファベカー侯爵への貸しとして、例のクルーズツアーの件をだね。


「ファベカー侯爵。その事に関して、ちょっとしたご相談が」

「侯爵からの相談とは。何やら背筋に嫌な汗が流れそうなのだが?」


 嫌ですねえ。そっちにも悪い話じゃないと思いますよー。




 港に関するお話し合いは、ベデービヒの爺さんが王女殿下と姉君様に謁見した後という事に。


 謁見の間に同行するのは、爺さんとファベカー侯爵、私、ユーイン、ヴィル様。リラはお部屋でお留守番。


 ガルノバン嫌いな爺さんは、そこからお嫁に来た姉君様の事も、王女殿下の事も認めていないんだとか。


「何様だ」


 思わず口を突いて出た言葉に、ファベカー侯爵は苦笑いし、爺さん本人は口をとんがらせている。子供か。ジジイのくせに。


 ガルノバン嫌いな上に、男尊女卑ときたもんだ。その辺りも、じっくりと「わからせて」おいた方がいいんじゃないの?


「デュバル侯爵の言う通りだな。王家に文句があるのなら、自身が王位を奪取してみればいいのだ」


 ファベカー侯爵、きわどい事を言うねえ。


 爺さんは、その発言にまんまと乗せられてるし。


「不敬だぞ! ファベカー! 貴様、私に簒奪者になれと言うのか!」

「なれとは言っておらん。今の王家に文句があるのなら、そのくらいの覚悟で言えと言っているのだ」

「むう」


 何だか、ファベカー侯爵と爺さんだと、大人と子供のようだね。年は同じなんだっけ?


 魑魅魍魎が跋扈する王城で踏ん張り続けた侯爵と、子供のような癇癪を起こして自領に閉じこもっていた爺さんの差かね。


 さて、謁見の間にて、いよいよ王女殿下と爺さんの対決……じゃなくて、対面です。


 謁見の間にて、玉座に座るのは王女殿下。ルパル三世が座ってもいいんだけど、大分記憶が怪しくて、爺さんがショックで泡吹くんじゃないかという配慮から、こうなったんだってさ。


 それを知らない爺さんは、玉座に座る王女殿下に対し、不敬な視線を送る。おいこらジジイ。それ以上睨むと、後ろから攻撃すっぞ。


「レラ、抑えろ」

「はあい」


 ヴィル様に止められた。

 目の前では、王女殿下から爺さんへの言葉が。


「久しいですね、ベデービヒ侯爵」

「長らく王城を離れておりました事、お許し頂きたく存じます」

「いいでしょう。これよりは、ファベカー侯爵共々、国の為に尽力する事を期待します」

「……国の為、ですか。王家の為、自分の為とは仰らないのですね」


 ジジイいいいいいいいいい。それ以上王女殿下を虐めると、その髭全部引っこ抜くかんな!


 実力行使に出ると思われたのか、ヴィル様が私の首根っこをひっつかむ。


「アスプザット」

「これ以上、レラを前に出す訳にはいかん。理解しろ」


 ユーインの低い声に対して、ヴィル様の声も低い。それはいいんだけど、もう前に出ないから、手を離してくれませんかねえ?


 オーゼリア組でこそこそやっている間、王女殿下と爺さんの話は進んでいた。


「ベデービヒ侯爵、あなたが私や母の事を嫌いなのは知っています。だから、王家の為でも私達の為でもないのよ。国の為なら、あなたは動くでしょう?」

「……」

「構わないわ。今は少しでも味方が欲しいの。力を貸してちょうだい」

「……私が、ガルノバン嫌いであっても、ですか?」

「構わないわ。ただし、ガルノバンの力も借りて、国を豊かにしていくけれど。そこに文句は言わせないわよ」


 おお、王女殿下ったら、いつの間にか力強い物言いが出来るようになって。ちょっと感動しちゃったよ。


 爺さんの方は、王女殿下の言葉を聞いて、何やら考え込んでいる。これ以上反発するようなら、強制隠居を考えないと。


『実行しますか?』


 まだ待って。


 なかなか返答をしない爺さんに、王女殿下が続ける。


「ギンゼールは、長らく貴族が王家を食い荒らしていました。それを見ているだけで、手をこまねいていたのはあなたも一緒よ? ベデービヒ侯爵」

「わ、私は――」

「言い訳は聞きません。少しでも後悔する気持ちがあるのなら、その分これからの国の為に働きなさい」

「……殿下の下で、ですか?」

「そうよ。私は正式な王位継承者だもの」


 言い切った王女殿下は、玉座から立ち上がる。


「私が、女王になるのです」


 いい宣言だね。覚悟が決まった王女殿下は、とても綺麗だ。


 さて、爺さんは? おりょ?


 爺さん、その場で最敬礼を執ったよ?


「承知いたしました、陛下」


 ふふん、やっと認めたか。

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