第622話 いつか見た光景
リッダベール大公は、こちらの到着を首を長くして待っていたらしい。
「数日前からお仕事も手に付かぬほどのご様子で」
「そう」
案内する侍従としては、「あんたらはそれだけ大公殿下が待っていた客人なんだよ」と言いたいんだろうが、タイミングが悪かったね。
人を待つ程度で仕事が手に付かないとは何事か。
私の反応が期待したようなものでなかったから、侍従の態度が微妙になっている。
私が他国の人間だって、わかってるのかな? こいつ。
『ゲンエッダはこの辺りで一番の大国です。その王弟である大公殿下に仕えているというのが、侍従の誇りなのでしょう』
誇りを持つのはいいけれど、主の立場と自分の立場や身分をごっちゃにしちゃ駄目でしょ。
私はあくまで大公の対等な取引相手。何なら、こちらの方が有利なくらいだ。
案内された先は、大公のごく私的な客を迎える客間……らしい。大きな窓からたっぷりの日が入る、居心地のよさそうな部屋だ。
「おお、侯爵! 待ちかねたぞ!」
「……ごきげんよう、大公殿下」
塩対応になるのは仕方ないと思ってほしい。迎えた大公の方も、何だか様子が違うぞという様子で、今にも首を傾げそうだ。
「何か、あったのかな?」
「それについては後ほど。とりあえず、見つけた果実とやらを見せていただきましょうか」
「う、うむ。果実をこれへ!」
大公の一声で奥の扉が開かれ、ワゴンを押したメイド達が入ってきた。
「これらが、領内で見つけた果実だ」
ワゴン三台分のフルーツ。どれもおいしそうだけれど、残念ながらオーゼリアでも見かける品だ。
桃、杏、オレンジ、ブドウ。ブドウは四種類くらいあるね。これでワインを作ればいいんじゃないかな。うちは買わないと思うけれど。
だって、領内でもワインは作ってるから。後、フロトマーロでもブドウを栽培してワインを作ってるし。
桃も杏もオレンジもなあ。領内もしくは飛び地で栽培しているので、今更って感じ。
ん? ワゴンは上だけでなく、下の段にもフルーツがあるね。
「こちらは?」
「ああ、一応、領内の特産品って事で集めたんだが、味がな……」
そういえば、まだ試食してなかったね。なら、これら一通り食べてみようか。
「殿下、試食をしてみてもよろしいかしら?」
「それはもちろん。だが、先ほども言ったが、下の段のものは味があまりよくないんだ」
「薄味なんですか?」
フルーツの薄味はいただけないなー。
だが、大公から返ってきた答えは、違うものだった。
「いや、酸味が凄くて」
「酸味」
それはちょっと、興味がある。
さすがに他国の大公の前で、果物用とはいえナイフを出すのは憚られる。なので、メイドに剥いてもらった。
上の段のものは、まあ想定内の味と香りだ。でも、下の段は違う。
「んむ」
「かなり酸っぱいだろう?」
確かに。でも、味が濃い。強い酸味の奥にある甘み。そして強烈な柑橘系の香り。これはいい。
酸味なら、火を通せば変わるかも。もしくはシロップに漬けるか。
他にも小ぶりのリンゴがあったので、こちらも食べてみた。これも、甘みより酸味が強い。でも、やっぱり味が濃かった。
「酸味の強いリンゴはアップルパイに向いている……小ぶりだけれど、そこは使い方次第でどうにでも……」
まさか、大公領で気になる果実が手に入るとは。何か悔しい。
「ど、どうだろう? 侯爵」
「……正直、この上の段の果実には心惹かれませんが」
「そうか……」
「下の段の果実は欲しいです」
「え!?」
えって何だ、えって。あんたが用意したものだろうが。見たら、メイド達まで目を丸くしてるよ。
君達、主の客の前でそれはどうなの?
試食の結果、直径十センチくらいになる柑橘類と、直径六センチくらいの小ぶりのリンゴを定期購入する話がまとまった。
「なら! これで運河を!」
「そうですねえ。お約束ですし」
「よし!」
大公が一人ガッツポーズ……とはこちらでは言わないか。でも、そんな喜びのポーズを取っている。
それ、人前でやっていい態度じゃないですよね? 一応、私はあなたの取引相手なのですが?
「実は、事前に運河建設の予定地を出してみたんだ」
そう言うと、大公は地図を持ってこさせてテーブルの上に広げる。
運河はゲンエッダから伸びるもの。それが、ばっちり南の各領地を回って旧王都まで伸びるようになっている。
これ……
「殿下、この建設地を決めたのは、殿下ご自身ですか?」
「いや、それが……」
「南側の領主達ですか?」
私の確認の言葉に、大公が頷く。こいつ……押し切られたな?
「どうして北は回らないんでしょう。リッダベール大公領の広さなら、領都を挟んで北にも伸ばすべきではありませんか?」
「私もそう考えたんだが……現在のリッダベール大公領の事情は、どこまで聞いている?」
どこまでも何も、何も聞いてないよ。思わずヴィル様を見たけれど、向こうも首を横に振っている。
こういう場面でユーインに確認しないのは、彼は政治関連にノータッチだから。才能がない訳じゃないんだろうけれど、デスクワークするよりは体を動かしている方が性に合っているらしい。
そういう辺り、ペイロンでは大歓迎されそうだよなあ。いや、実際歓迎されてますが。
ともかく、ヴィル様ならサンド様経由で何か聞いてるのでは? と思ったけれど、そうでもないらしい。
「何も聞いていませんねえ」
「そうか……何せ急ごしらえで出来た領地だ。亡国の領主達も使わなければ、統治が間に合わない」
「それが、南側の領主達という事ですか?」
「いや、北もそうなんだが……ゼマスアンドの頃から、南の領主の力が強いらしいんだ。その、肥沃な土地が多いから……という事、らしい」
そうだね。でも、その肥沃な土地で作られた食料は、作った当人達の口には入ってないんだが。
「北の領地では、何が作られているんですか?」
「北は主に酪農だな。その辺りは、ゲンエッダと一緒だ」
酪農とな。いい事を聞いた。
「なら、やはり運河は北を回さないと」
酪農で出来た乳製品を、ぜひ私の手に。その運搬経路としてなら、運河を作るよ。
でも、私の案に大公はげんなりしている。
「先ほども言った通り、北の貴族は発言権がない。南の連中がのさばっているんだ」
「なら、大公権限で一掃すればよろしい」
「簡単に言ってくれる。現在の領主がいなくなった後の南一帯を、どうしろと?」
「そんなもの、いくらでもやりようはあるでしょう? それこそ、ゲンエッダから連れてきてもいいんですし」
北の領主と交換してもいい。ただ、何となくだけれど、北の領主はそれを嫌いそうなんだよなあ。
私の提案に、大公は唸るばかりだ。
「ゲンエッダから、私に助力してくれる家の次男三男を連れてきてもいいんだが、反発される危険性が――」
「ああ、それなら多分、大丈夫ですよ」
「え?」
「今の南の領民達、自分達の領主の事、大嫌いだから」
にっこり伝えたら、大公は本日一番の驚きを見せてくれた。
ここがいいタイミングとばかりに、通ってきた南側の現状を伝える。
「そんな事が……」
「勝手とは思いましたが、農民を護る為にも炊き出しを行い、領主が力ずくで仕掛けてくるのを防ぐ為防衛力も置いてきました」
「ああ、助かる」
「炊き出しの代金その他は、全て殿下に請求しますからね」
「出来る限りの事はさせてもらうよ。それにしても、南側の領主がそんなに腐っていたとは……」
まあ、寝耳に水といったところだろうね。とはいえ、もう少し強引に進めてもいいんじゃないかなあ。
何だかこの大公、及び腰に見えるんだけど。
「ゲンエッダは戦勝国なんですから、いっそ今いる領主を一掃してもいいんじゃないですかねえ?」
「侯爵のおかげで、南側はそうする事になりそうだ。ただ……」
「ただ?」
「あまり性急に事を進めると、ゲンエッダ国内が騒がしくなるんだ。私が、国王の座を狙っているのではないかと」
ああ、そういう事か。メンドクセー。
ゲンエッダの国王と大公は同母兄弟で、幼い頃から仲がいいと聞いている。その中にミロス陛下も入っているんだけど、ミロス陛下はブラテラダの王になったからね。
そして、ブラテラダとゲンエッダの間にはリューバギーズがある。今回ゲンエッダに組み込まれた旧ゼマスアンドとは、立場も場所も違う訳だ。
リッダベール大公は、大公領内のパワーバランスも考えないといけないけれど、ゲンエッダ国内での己の立ち位置にも気を遣わなくてはならない。
どんなに気を付けていても、この手の問題というのは持ち上がるものだ。オーゼリアでも、コアド公爵と元学院長が辟易していたもんね。
そう考えると、大公殿下も大変だったんだなー。勝手に色々怒ってごめん。
その代わり、南側の腐った連中を一掃するお手伝いはするし、運河も建設するから許してね。
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