第616話 仕事が早い
ヘシア嬢が離縁する予定の婚家と実家から追われているとか。どうも、この離縁自体をさせない為……らしい。
この推測はヤールシオールのもの。
「大方、そこらが理由ですわ。ああいった連中の考えなんて、底が浅いと相場が決まってますもの」
本当にね。
あの後、ヤールシオールを含めた四人でグラナダ島に戻ってきた。私、リラ、ヤールシオール、ヘシア嬢だ。
「ここにいれば、誰も追ってはこれないから」
「本当に、ご当主様には感謝しかありませんわ。私達の時も、ヘシアの事も。ああ、もちろんツイーニアの事もでしてよ」
ヤールシオールとヘシア嬢、それにツイーニア嬢は貴族学院時代からの仲良しさん。
この三人に王都のアンテナショップを任せているレフェルアと、今は馬の牧場を任せているミレーラ、それにリナ様とお義姉様を含めた七人が、仲良しグループだったらしい。
中でも、ヤールシオールはヘシア嬢と特に仲がよかったらしく、よく一緒に行動していたんだとか。
「あの頃は……幸せでした……」
俯き加減でそう呟くのは、ヘシア嬢だ。両親との不仲や、姉との確執があった家でも、父方祖母が生きていた頃はまだよかったらしい。
だが、その頼みの綱の祖母も、学院卒業すぐに風邪をこじらせて亡くなってしまったそうな。
そこからは、地獄の日々の始まりだったという。
実家では使用人さながらの生活を強いられ、社交界にも出られなかったらしい。一応、デビューはしていたそうだけど。
下手に外に出して、家の内情を喋られるのを嫌ったんだと思う。
そんな中、スエーニン子爵家との縁談が持ち上がった。夫となる人に会ってみると、普通に好青年だったそうな。
「彼に嫁げば、この地獄から抜け出せる……そう、思ったのに……」
結婚は、新たな地獄の幕開けだった。
夫となったスエーニン子爵令息は、いつまでも親離れが出来ない典型的ボクちゃん。特に父親には絶対服従らしい。
父親が白と言えば黒でも白と言い張るほどだってさ。どこのヤクザの親分子分だよ。
姑は息子激ラブで夫である子爵にも息子の嫁にも関心がない。
「姑に嫁いびりされなかっただけ、少しましという程度でしょうか」
壮絶な嫁いびりに遭ったヤールシオールが、淡々と口にする。もっとも、彼女は黙っていびられていただけではないようだが。
ヤールシオールの離婚、直接の原因は夫の娼館通いの酷さだが、嫁いびりも原因の一つだったという。
そのせいで、今でも嫁いびりをする姑は大嫌いなんだとか。
「ヤールシオール、そのうち結婚していた頃の話を、匿名で本にして出さない? 売れるかもよ?」
「……売れますかしら?」
「貴族の家の話にしないで、裕福な商家の話にして、でも内容はやられた事を全部書く。庶民向けなら受けそうじゃない?」
「あら、それはちょっと面白そうですわね」
二人でうふふと笑っていると、リラが何やら引いた顔をしている。何で?
ヘシア嬢は、グラナダ島での生活に徐々に慣れているようだ。彼女が元気になるまでは、とヤールシオールもこちらに残っていた。
ものはついでと、こちらでの商売のネタをいくつか話している。
「んまああ! では、綿花栽培を大々的に行うのですね!? もちろん、我が商会でも扱わせていただけるのですよね!?」
「もちろん。マダムとも協力して、色々作ってほしいな」
「お任せくださいませ! それにしても、まさかこちらの大陸でも流通に関わるものをお造りになるなんて。ご当主様らしいですわね」
そうかな……そうかも。鉄道は、旅客だけでなく貨物の方も順調だ。
大体、オーゼリアでは今住んでる村や街を出ないで生涯を終える人が殆どだという。
領外に出るのは貴族や商人で、しかも旅行という、楽しみの為ではなく大抵は仕事だ。
移動手段が馬車しかない時代は、それも致し方ないと思う。何せ馬車を引くのは生きた馬で、生き物である以上世話も大変なのだ。
その点、鉄道はそこまでの手間が掛からない。これからも、各地に線路を敷く予定だから、楽に国内国外を行き来出来るようになるんじゃないかな。
まだ鉄道運賃は高いけれど、そのうち庶民でも気軽に旅行が出来るようになるといい。
その旅行先として、デュバルを選んでもらえるとお金が落ちるんだけど。
ヘシア嬢の離縁に関する申請は、代理として我が家を通し王宮に出している。これで、婚家も実家もヘシア嬢には手出し出来ないだろう。
「とはいえ、悔しいですわね! あの両家がしばらくはぬくぬくと生き残るなんて」
ヤールシオールの言葉に、思わずリラと顔を見合わせる。
おそらく、あの両家の命運は尽きた。特にスエーニン子爵家は。何せ、コアド公爵の不興を買ったのだから。
今回ばかりは私が手を出す必要はない。もしかしたら、今頃コアド公爵により両家の当主が王宮に呼び出され、自白魔法を使われている頃かも。
あな恐ろしや。
「ともかく、申請はデュバルが代理で出していますから、お二人はここでしばらくゆっくり過ごしてください」
リラの申し出に、ヤールシオールは殊更明るくヘシア嬢に向かう。
「ですって、ヘシア」
「でも……いいのかしら……」
婚家での影響か、それとも嫁ぐ前の実家での待遇が元か、ヘシア嬢は大分参っているらしい。
でも、そんな時こそ何も考えずに過ごせるこの島だ。ここには煩わされるようなものが何もない。
ゆっくりのんびり過ごせば、きっとヘシア嬢の心も戻るだろう。
あれ? もしかして、魔法治療が必要とか、言わないよね?
気になったので、通信でニエールに聞いてみた。
『うーん、実際に診ていないから何とも言えないけれど、もう少し様子見したら? それでも回復しないようなら、その時声掛けて』
「わかった。ありがとう」
『どういたしましてー』
ニエールは、現在分室で新しい船用エンジンを作ってるらしい。今ひとつ面白みがないと言っていたけれど、「効率よく動かせる術式を一から開発してみれば」と提案してみたところ、やる気が出て来たらしい。
そのエンジン、こっちの運河で使うから頑張れ。
ゲンエッダの方は、現在国内は大分落ち着いている。ただ、サンド様からの情報によると、そろそろ後宮に刺客を送り続けていた家が没落するらしい。
いい労働力を供給してくれた家だから、少しくらいは恩情をと言いたいけれど、やってた事が大分鬼畜だったのでやめた。
王太后陛下と母君を殺して、フェイド陛下やアスト殿下も亡き者し、王位を簒奪しようとしていたっていうからさ。
そんなの、うまく行くわけないのにね。
ともかく、サンド様の要請により、少し前から王宮にもオケアニスを派遣していたので、陛下の身辺警護は完璧だ。
リッダベール大公となったアスト殿下のところにも、オケアニスの派遣が完了している。
元々、リッダベール大公領となった旧ゼマスアンドに赴く際、身の回りの世話をするメイドを連れて行く事になっていたからね。
本来なら現地で採用すべきなんだけど、まだあそこは混乱が続いているから。
それに、ゲンエッダから来た大公殿下を歓迎するかと言われると、微妙らしい。自分達の王に三代に渡って虐げられてきたのにね。
ともかく、ゲンエッダも動いているようで何より。おいしい小麦と茶葉、お待ちしております。
ゲンエッダから帝国へ繋ぐ運河の工事も、着々と進んでいる。帝国との間には山があるから、どうしてもロックを建設する必要があるんだよね。
これに関しては、帝国とブラテラダの間もそうなので、問題なし。
実は、ロックに関しては他で作って実験済みなんだよね。いや、前世の記憶から大丈夫とは思っていたけれど。
それでも実験は大事。実はフロトマーロの街で、小型のロックを作って実験しました。街中の水路にボートを浮かべて、段差の部分を使ったのだ。
カストルなんかは、水を魔法でそのまま持ち上げればいいって言っていたけどな。それだと、魔法を使える人間が常駐しなきゃ駄目じゃん。
水だけで標高差を埋められるんだから、いいんだよ。帝国内でも、いくつか必要だしね。
地下水路の工事は、遅れが出ていたものの今は順調だという。真面目に働けば、それなりの待遇をするのにねえ。
あ、犯罪者はその限りじゃありません。特に人を殺した連中は一生穴蔵から出られないよ。本人達には伝えてないけれど。
デュバルが行う土木工事って、あちこちに現場があるから、帝国の工事が終わったら次の現場が待ってるんだ。
グラナダ島で書類仕事に追われている私の元に、王宮から通信が入った。ヘシア嬢がここに来て、約十日後の事。
『スエーニン子爵家とキュマードン子爵家を潰したよ。彼等は事もあろうにデュバル家に危害を加えようとしていたからね』
通信画面の向こうでは、コアド公爵がとてもいい笑顔でいる。仕事早。てか、聞き捨てならない単語が聞こえたんですが?
「……もしかして、我が家の王都邸を襲撃しようとしたんですか?」
『そうだよ。ヘシア嬢がそこにいると思ったんだろう。でも、あの王都邸に手を出すなんてねえ? あ、実際に被害は出ていないから、安心してくれていいよ』
そうでしょうね。王都邸、私が爵位を継いだ頃から調子に乗ってあれこれ警備の手を入れていたから。
あの頃から、盗賊殺しなんて嫌な名前があったくらいだし。
多分、うちにヤールシオールとヘシア嬢が入るところを見たんだな。でも、そこから先は移動陣を使ったから、出て行くところを見ていない。
つまり、王都邸に今もヘシア嬢がいると思い込んだが故の犯行か。
「まさかとは思いますが、子爵家の人達が直接襲撃を仕掛けたんですか?」
『いいや? 地方で雇った犯罪者達を使ったようだよ。捕まった彼等が素直に依頼主を喋ってくれてねえ。あっという間に両家に辿り着いたんだ』
……気のせいかな。全部仕組まれていたように聞こえますよ?
でも、まあいっかー。これでヘシア嬢が自由になれるんだから。
『ああ、ちなみに、ヘシア嬢には姉がいたよね?』
「ええ、そうですね」
確か、どこかの伯爵家に嫁入りしていたはず。猫を被っていたのか、それとも夫となった人物も同程度の人間だったのか。
『その姉、実家が取り潰されたからか、離縁されて実家に帰されたそうだよ』
「え……それって……」
『姉も見事に平民落ちだね』
まあ、ちょっと見る目のある家なら、実家取り潰しの裏に誰がいたかなんてすぐにわかるだろうし、そんな実家を持つ嫁をいつまでも置いておいたら、婚家にも影響が出るって計算するもんな。
これにて、両子爵家はオーゼリアから消え失せた。ヘシア嬢は自由になったけれど、逆恨みして元婚家や元家族が襲撃してこないとも限らないから、しばらくは周囲を警戒しておいた方がいいかも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます