第614話 あたらしい人材

 旧式通信機、当然のように王弟殿下が旧ゼマスアンドに持っていくそうな。


「殿下のご出立の日取りも決まったしねえ」


 サンド様がのんびりと言う。ここはグラナダ島の陽光館食堂。といっても、ごくプライベートな食堂なので、こぢんまりとしている。


 日の光が大きく取られた掃き出し窓と、ステンドグラスがはめ込まれた…窓からも降り注ぐ、明るい場所だ。


 現在、その食堂で朝食の真っ最中。ヌオーヴォ館の料理長お手製の朝食は、今日もおいしいです。


 グラナダ島には、オーゼリア使節団の人ならいつでも滞在可能にしてあるので、ゲンエッダでの社交がない時は各々来てくつろいでいるらしい。


 サンド様とシーラ様は陽光館への出入りを自由にしているけれど、他の人は月光館のみ。


 島の街中は好きに出歩いていいけれど、店一つないからねえ。散歩くらいしか使い道がないかも。


 交易が始まったら、この街にも人が増えるかもね。人が増えれば品も増えて、店も増える。


 人が増えたら、街の様子もまた変わるでしょう。




 王弟殿下が治める大公領になる為、旧ゼマスアンドはジッダベール大公領と名前を変える。


 ただ、その他の土地や街の名前は変えず、当面通貨や慣習、言語などはそのままに、法律だけゲンエッダのものに変えるらしい。


「急な変化は、民心が離れる原因になるから」


 ちょっと遠い目で、サンド様が呟く。ただでさえ、旧ゼマスアンドは戦争に負け、意気消沈しているところだ。


 これで戦勝国のゲンエッダが「明日から通貨も習慣も何もかもゲンエッダ風に変えます」とか言ったら、最悪暴動が起きるかもね。


「でも、いずれはゲンエッダ風に変えるんでしょう? 早いか遅いかの違いではないの? お父様」


 コーニーの言葉に、サンド様が苦笑している。


「通貨はね。大公領はゲンエッダの一部になったんだから」


 同じ国で通貨が違うなんて、おかしな話だもんなあ。


「でも、これでジッダベール大公領の領民は、一安心だろう」


 呟くサンド様の表情には、何だか複雑なものがある。


 ズーインは戦争を仕掛ける為にあれこれ動いたけれど、ゼマスアンドという国は、もう十年以上前から傾きかけていた国らしい。


 ズーインの祖父や父親が、散財を繰り返した結果なんだとか。あれ? 何か、いつかどこかで聞いたような話……


 うちじゃん。デュバルも、祖父と実父があれこれやらかしたせいで、領民が飢え死にしかけていたし、家の評判も地に落ち家格まで落ちかけていた。


 本当、親とかその前の代の負債を、どうして子や孫が精算しないといけないんだよ。腹立つ。


 いやまあ、ズーインは自身も戦費確保の為に重税を課したから、完全無罪とはいえないけれど。私は無罪だ、うん。




 書類というのは、国を超えても追いかけてくる。特にデュバルの書類は。


 今回多く届いているのは、帝国での運河建設の進捗状況。予定より少し遅れているものの、無事各所のため池と人工湖が出来上がったらしい。


 海から真水化した水を送る地下水路の方は、かなり遅れているけれど。


「労働力の集団ボイコット?」

「帝国の貴族を中心に、職務放棄をしているようね」


 あの野郎共……命があるだけマシだと思え! まったく。


 帝国の地下で穴掘りをしている貴族共は、私達やミロス陛下に刺客を送り続けた地方貴族共。


 帝国の大掃除の際、ごっそり捕縛して地下水路で働かせている。


 そいつらが、仕事をサボってるだと?


「いかがしますか? 主様」

「……犯罪者達に使う隷属術式の使用を許可します」

「承りました」


 地下の工事現場は、基本逃げ出せないので隷属術式は使っていなかったそうだ。カストルにしては珍しく甘い。


 その結果、見事にサボった訳だ。監視役はオケアニスだというから、連中も甘くみたんだろう。


 オケアニス、嘘偽りなく一騎当千なんだけど。


 まあ、今回の事でこちらを甘くみるとどういう目に遭うか、よくわかったでしょう。


 ……もしかして、カストルが狙っていたのって、これ? カストル、恐ろしい子!



 報告は、書類という形を取らない事もある。


『ネオヴェネチアは大変盛況ですわ!』


 通信機の画面の中、興奮した様子を隠しもしないのは、デュバル侯爵家御用達商会であるロエナ商会会頭のヤールシオールだ。


『もう、磁器が飛ぶように売れてますの。高額のものは予約が満杯状態で、現在ご予約いただいても、お引き渡しは再来年になりそうです』

「そんなに? 予約した人達、引き渡しの頃には忘れてるんじゃない?」

『それはあり得ませんわね。現在、貴婦人の間ではお茶会の茶器を磁器で揃えていないのは時代遅れと言われているほどですもの』

「ええええええ」


 オーゼリアの流行は毎年変わる訳じゃないけれど、それでも再来年には今予約してもらってる商品が流行遅れになっているのでは?


 私の懸念に、ヤールシオールがコロコロと笑う。


『問題ありませんわよ。高額でのご予約商品は、現在定番とされている柄ですもの。それ以外にも、毎年新作の柄を出す予定でおりますから、そろそろ絵付けの担当を増やそうと思っております』

「その辺りは任せるけれど。誰か、いい人材はいる?」

『ええ、もちろんですわ! 私の学院時代のお友達なんですけれど、そりゃあもう絵がうまい人がいますの。彼女を呼び寄せようと思っております』


 彼女……女性か。いや、うちは女性が色々重職についている領地だから、問題はないんだけど。


「ヤールシオールの学院時代の友達って事は、貴族の家の女性?」

『ええ。不幸な結婚をした女の一人ですわ』


 おおう、またか。


 貴族の世界には、一定数不幸な結婚をした女性がいる。何を隠そうヤールシオールもその一人だ。


 今は兄の妻であるコーシェジールお義姉様もそう。ヤールシオールとは、学院時代からの仲良しなんだとか。


 あれ? って事は、その絵が得意な人も、お義姉様と面識あり?


「ヤールシオール、その人、お義姉様とも仲がいいのかしら?」

『もちろんですわ。ついでにいいますと、ツイーニアや他の仲間とも仲がいいんですのよ』


 なるほど。それはいい人材だ。


 絵が描ける人もいいけれど、デザイン出来る人が欲しいなあ。


「ヤールシオール、あなたのお友達、磁器全体のデザインも出来るかしら?」

『デザインですか? 出来ると思いますよ。センスのいい子ですもの』


 よし! 絶対買いの人だ!


「その人、逃がさないようにね!」

『当然です!』


 通信画面を通して、ヤールシオールとグフグフ笑い合った。後でリラに「悪徳代官と廻船問屋の会話みたいだった」と言われたんだけど。解せぬ。




 ヤールシオールのお友達、ヘシア・ペンクシール・スエーニン子爵令息夫人の不幸は、嫁いだ家にある。


 夫となった人は、父親に逆らえない優柔不断な男性で、姑は嫉妬深く息子を溺愛している典型的な子離れ出来ていない母親。


 一番の問題は、舅にあるという。


「口にするのもおぞましい事ですけれど、ヘシアは舅に襲われ掛けたそうですわ」

「げ」

「本当に、おぞましいですわよね!」


 プリプリ怒るヤールシオールは、移動陣を使ってグラナダ島まで単身やってきた。本当、行動力のある人だよ。


 一度、ヘシア夫人と私が顔合わせをしておいた方がいいという事で、その打ち合わせに来ている。


「それにしても、この島は素晴らしいですわね。私、ネオポリス以上に美しい街などないと思っておりましたけれど、ここも大変美しいですわ」


 まあ、都市設計はどっちもカストルが色々やったからね。ただ、コンセプトが違うので、街の作り自体は大分違う。


 ちなみに、今いるのは陽光館ではなく、街中の店のテラス席。今回ヤールシオールが来るという事で、特別に店を開けたのだ。


 来たのは私とヤールシオールとリラ。女子三人で楽しんでおります。


「それにしても、路面に席を作る店はありますけれど、こういった席は初めてですわ」

「そういう店もあるけれど、少し高い場所から通りを見渡すのもいいものでしょう?」

「本当に」


 テラス席は二階。下の店部分の屋上に乗っているようなものだ。二階には屋内の席もあるけれど、天気のいい日はテラス席もいいと思う。


 もっとも、グラナダ島がある辺りって、めったに雨は降らないそうだけど。


「ヤールシオール様、その、ヘシア夫人はご実家には帰られなかったんですか?」

「それがまた酷い事に、実家に帰るのを拒絶されたのですって」

「ええ?」


 私とリラの声が重なった。


「何でも、舅のやっている事業に実家が絡んでいるそうですわ。実の両親に舅の件を話したそうですけれど」

「けれど?」

「そのくらい我慢しろ、と言われたのですって」

「サイテー」

「ヘシア夫人の実家ってどこ? 潰せるようなら潰す。婚家も潰す」


 女性を何だと思ってるんだ。いや、これまでうちで雇った女性陣の婚家、どこもそんな感じだけれど。


 憤る私とリラに、ヤールシオールが冷静に告げる。


「落ち着いてくださいまし、ご当主様。どの道、あの二つの家は潰れますわ」

「どういう事?」


 私の質問に、ヤールシオールがにんまりと笑った。


「婚家と実家で事業を行っていると申しましたでしょう? それ、馬車馬育成の事業ですのよ」

「あ」


 馬車馬。おそらく、これからどんどん斜陽になっていくであろう存在。


「まだしも競走馬でしたら生き残れましたでしょうけれど、馬車馬ではねえ。しかも、長距離専門だなんて、時流をまったく読んでいないのが丸わかりですわ」

「鉄道、大分広まってきてるからね」


 おかげさまで、鉄道敷設の工事は順調だ。これまで移動には馬車しか手段がなかったような地方でも、簡単に鉄道で移動が出来るので、喜ばれているらしい。


 そして、オーゼリアではちょっとした旅行ブームが起こっているという。


「結果としてですが、ヘシアの婚家と実家はデュバルにより滅ぼされるようなものですわね。ああ、いい気味」


 言ってる内容は酷いけれど、いい笑顔で笑うヤールシオール。彼女自身酷い婚家で大変な思いをしたから、ヘシア夫人の事が他人事に感じられないのだろう。


 とはいえ、ヤールシオールは実家との関係が良好だけど。そういえば、他の女性陣も、実家とは仲がいいね。


 そう考えると、実家も酷いって女性はこれまでいなかったかも?

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