第348話 クーデター

 大きな扉の向こうには、背後に武装した男達を従えた反逆者エミト。彼は、少年めいた顔に邪悪な表情を乗せていた。


「やあ兄上。深夜に失礼。でも、この時間帯でないと、寝室にはいないと思って。それにしても、まさか兄上が他国の侯爵を寝室に引っ張り込んでいるとは、思いませんでしたよ」


 扉から一歩入ったエミトが、両手を広げてこちらに歩み寄る。背後の武装兵達は、扉の外に待機らしい。


 笑顔のエミトに、扉から見て私の後ろになるネヴァン陛下が吐き捨てる。


「下衆が。その考え方は、あの女仕込みか? それとも老人の方か?」

「兄上。いくらお嫌いだからって、母上やお祖父様の事をそんな風に言うものじゃありません」


 言葉とは裏腹に、エミトはにやりと口角を上げた。邪悪ううう。でも、こういう表情の方が似合うね、この子。こっちが素だからかな。


 先日の舞踏会で見せた胡散臭い笑みより、余程いい。


 そんなエミトに、ネヴァン陛下は容赦がなかった。


「彼女は私の護衛として、ここにいてくれるんだ。いくら下衆同士の間の子とはいえ、少しは敬意を払え」


 ネヴァン陛下、やる気満々。煽られたエミトは、それでもまだ邪悪な笑顔を浮かべている。


「護衛? ああ、魔法とやらが使えるんでしたっけね。でも、それが何か? 僕の後ろに何人いるか、見えてますか?」


 一人称が変わった。こっちが素かな。


 にしても、やっぱりオーゼリアの情報を持ってたね。彼だけなんだよ、私を「侯爵」って呼んだのは。


 トリヨンサークでは、女性は当主になれないし、王位も継げない。だからこそオーゼリアのような「女侯爵」というものは存在しないのだ。


 なので、皆私の事は「侯爵夫人」、ユーインの事を「侯爵」と呼んでいた訳。


 でも、エミトだけは顔を合わせた最初から、私を「侯爵」と呼んだ。それは何故か。オーゼリアの情報を知っていたからだ。


 では、遠く離れたオーゼリアの情報を、何故知っていたのか。バンブエット侯爵ですら、ろくに知らなかったのに。


 答えは簡単。クイソサ伯爵の飼い主が、彼だからだ。この辺り、カストルがきっちり調べてくれた。


 まったく、まだ少年の域を出ない年齢で、末恐ろしい子だね。


 とはいえ、私を軽視するのはいただけない。


「私が魔法を使えると知って、まだそんな余裕のある態度なのね」


 私の言葉に、エミトは片眉を上げた。


「不敬だぞ、侯爵。僕は次期国王なんだ。そちらこそ、敬意を払うべきじゃないのか?」

「あーら、ごめんあそばせ。私、敬うべき方にはきちんと敬意を払うんですけどー、それ以外の人はどうでもいいのー」


 ほほほと笑ったら、エミトの表情が崩れた。この程度の煽りで感情を乱すなんて、まだまだお子ちゃまだねえ。


 ぎりりという音が聞こえてきそうなエミトの顔。でも、彼は一瞬で余裕の笑みを取り戻した。


「ふん、たとえ魔法が使えるとしても、この人数の前では手も足も出まい。そこで兄上が僕らに下るところを見ているがいい」

「随分と大きな事を言う。祖父をその手で殺したから、気が大きくなっているのか?」


 ネヴァン陛下の言葉に、エミトの笑顔が深まる。


「嫌だなあ、お祖父様はこの城の地下牢で亡くなったんでしょう? 僕が普段、ここにいないのは兄上もご承知のはずだ」

「貴様には、手足のように動かせる人間が多いようだな。今も、貴様の背後にいるではないか」

「ああ、彼等は僕の仲間です。そんな、手足のようにだなんて」


 そう言いつつも、顔が笑ってんぞー。


 と思ったら、着信音が。おっと、エミトが不審な顔をしている。聞き慣れない音が何なのか、どこから聞こえるのか警戒してるのかな。


 遮音結界と認識阻害結界を同時に張る。これでこちらの音声は聞こえないし、私が何をやっていても認識出来ない。


 携帯通信機を取り出すと、発信者はコーニーだ。 


『レラ、少しいい?』

「何かあった?」

『一応、報告。こっちに来た連中は全員捕縛したわよ』

「ありがとう」


 エミトは私達オーゼリア組を帰すつもりはないとカストルから聞いたので、使節団の安全をコーニーに託したんだ。


 イエル卿にはとある人を迎えに行ってもらって、ユーインにはアンドン陛下を個別に警護してもらっている。まあ、使節団と同じエリアにいるから、敵はコーニーが全て制圧してくれたけれど。


 役柄逆じゃね? と思わないでもない。でも、コーニーから自己申告があったのよ。最近、魔の森にもろくに入っていないから色々と溜まってるって。


 だったら、ここで発散してもらおうって、なるじゃない?


 ちなみに、ヴィル様は王都にあるパロヴァン伯爵の屋敷を護っている。エミトが王位を狙うなら、確実に次男坊君を狙うと思ったから。


 そっちとの連絡がないのは、護りきれなかった時だけ連絡を入れるというヴィル様からの申し出による。


 何でこういう布陣になったかといえば、得手不得手を考えてだね。


 ネヴァン陛下が敵の一番の狙いだから、必ず大人数で押しかける。だったら、そこには一番魔法攻撃力が高い私を配置すべしってなったんだ。


 イエル卿が護衛に回らなかったのは、迎えにいった相手が女性だから。女性の扱いにかけては、彼の右に出る人はいないでしょう。


 で、ユーインは剣の腕も魔法の腕もいいから、万が一が起こってはいけない相手を護ってもらってる。


 さすがに、ガルノバンの王様を護衛しなかったってなったら、後で国家間の問題になるからさ……


 んで、向こうに行った敵の捕縛は完了したらしい。コーニーの側には、グリソン殿下と一緒にリラもいる。


 あの二人は戦闘能力がないから。コーニーの側なら安心だしね。


 通信が終わり、遮音結界と認識阻害結界を解いておく。


「ああ、侯爵! 仲間が大変な目に遭っていると知って、顔が青ざめているね? はっはっは、そんな姿も素敵だよ」


 ……何言ってるんだ? こいつ。私が青ざめる訳ないでしょうが。


 思わずネヴァン陛下を見ると、エミトを見下す目で見ていた。


「こいつは使節団のところにも、兵士を送ったそうだ」

「ああ、そのようですね」


 そいつら、全員コーニーに縛り上げられたそうですが。コーニーは久しぶりに暴れ……体を動かす事が出来て、喜んでいたみたい。


 相当森に入れない期間が長かったんだね。


 私が慌てないのが面白くないのか、エミトが不愉快そうだ。


「……何でそんなに落ち着いているんだ? 侯爵の仲間が、今まさしく僕の仲間の手に落ちたんだぞ!? もっと慌てろよ!!」


 ここに来て、エミトの小物感が出てきたー。


「それ、自分の目で確認したの?」

「え?」


 私の言葉に、きょとんとしている。思ってもいなかった事を聞かれたと言わんばかりだ。


 しょうがないなあ。なら、もう一回言ってあげよう。私ってば優しー。


「だから、あなたのお仲間とやらが、私の身近な人達を捕まえた姿、自分の目で見て確認したのかって聞いてるの」

「そんな事……」

「確認してないね。じゃあ、そこで待ってて」


 私はポケットから携帯通信機を取り出し、コーニーに繋げる。


「もしもしコーニー?」

『あら、レラ。どうかしたの?』

「うん、そっちに行った人数を聞きたくて。全部で何人?」

『ちょっと待ってね。人数が聞きたいんですって。……そうなの? ありがとう。五十五人らしいわ』

「ありがとー」


 通話終了。コーニーの後ろで、人数を教えたのはリラの声だったな。いつも通りの声だったから、特にショックは受けてないみたい。よかった。


 通話を終えるとエミトだけでなく、ネヴァン陛下も驚いた顔でこちらを見ている。


「使節団のところへやった人数、五十五人で合ってるかな?」

「な……」


 エミトの顔から、余裕が消えた。


「ああ、心配しないで? 全員生きてるから」


 生け捕りって大変なんだけど、魔法を使わない、物理攻撃だけの人間なら、難しくないってコーニーは言ってたっけ。


 私? 私の場合も楽ですよ? 何せ催眠光線があるから。あれ、本当便利だよねー。作った時は、まさかこんなに便利に使いこなすとは思わなかったけれど。あれ、対ニエール専用寝かしつけ魔法だから。


 ここまでのやり取りで、エミトの背後にいる武装兵達に動揺が広がっている。


 ふっふっふ、慌てるがよい。君らの末路はもう決まっている。


 おとなしく私に捕まりなさーい!


「う、嘘だ!! あの人数だぞ! そんな簡単に倒されるものか!!」

「信じたくないなら、別に信じなくてもいいけどー」

「んな!」


 おお、エミトくん、顔が真っ赤よー? 泣いちゃう? 泣いちゃうのかな?


 あらやだ。何だか弱い者いじめをしてる気分。でも、手は緩めない。


 こいつは、全てを計算してやっている。だから、徹底的に叩く。


「ああ、そうそう。パロヴァン伯爵のところにも兵を送ったようだけど、向こうも全滅ですって」

「なん……!」

「いやあ、向こうに行ったのヴィル様だから、兵士達は無傷って訳にはいかなかったみたいよ? 後が大変ねー」


 実は、ヴィル様のところに向かったのは、兵士じゃなくて暗殺者集団だったりする。カストルが見抜いて私に報告してきたので、出発前にヴィル様にしっかり伝えておいたんだ。


 ヴィル様、暗殺って言葉に敏感なんだよね。王太子殿下ご夫妻が狙われたから。


 おかげで、暗殺者達は全員、瀕死の重傷だそうです。報告は、カストルでした。


 目の前のエミトは、俯いて何やらブツブツと呟いている。あれ? 壊れた?


「……ない、あり得ない、あり得ない! あり得ない!!」


 おっと、今度はこっちを睨んできたよ。


「僕が何年も掛けて作り上げた作戦なんだぞ!? それを、他国のお前達なんかが壊すなんてあり得ない!!」


 いや、現実見なよ。この軍事クーデターは君の負けなんだから。


 なのに、ずっと地団駄踏んであり得ないあり得ないって言い続けるばっかり。そろそろ背後の武装兵達も、訝しみ始めてるよ。


 何せ彼等は……


「どうでもいいけどさあ、後ろの連中の顔、見てみなよ。そろそろ君が彼等に使った『薬』が切れる頃なんじゃないの?」


 私の言葉に、エミトがはっとして後ろを振り返る。そこには、先刻までの引き締まった顔はなく、どれもどんよりとした顔の兵士ばかり。


「彼等軍部も、王城の人達も、もらったお薬で言う事を聞かせていただけだよねー?」

「ど、どうして、それを……」

「ああ、ついでに君のお爺さんにも、薬を使ってたのかなー?」


 私の言葉に一瞬驚いたものの、エミトはまたしても不敵な笑みを浮かべる。こいつ、懲りないなあ。


「ははは! 彼等の薬が切れそうになっても、まだ僕の命令には従うんだよ

そんな事も知らないのかい?」

「知る訳ないでしょ? 私にはそんな薬、必要ないんだもの」

「へえ」


 あーん? 何その馬鹿にした目は。こんな便利な物を知らずに使ってこなかったなんて、可哀想ーとでもいいたげだね?


 なら、こっちも見下してあげるよ。


「いやー、本当エミトくんは可哀想だよねー」

「何?」

「そんなお薬使わないと、お友達になってくれる人、いなかったんだねー? あー、可哀想ー」


 流れてもいない涙をぬぐう仕草をしながら可哀想を連呼していたら、またしてもエミトがブチ切れた。


「うるさい!! もういい! 兄上、あなたにはここで死んでもらう! 王位は僕のものだ!! お前達! 兄上を殺せ!!」


 エミトが命じた途端、背後にいた武装兵達がその場で倒れた。


「……え?」

「嫌だなあ、私、ネヴァン陛下の護衛でここにいるって言ってるじゃない」


 エミトは、信じられない目でこちらを見ている。


 私が魔法を使うって事は知っていても、魔法そのものがどんなものか、知らなかったのかな?


「う、嘘だ……こんな、こんな事って……」


 とうとう心が折れたらしい。エミト自身、剣を含む武術全般、苦手らしいよ。


 なので、ここで自分の剣でネヴァン陛下を殺すって事は、無理なんだって。


 そんなエミトくんは、その場でくずおれてしまった。別に、催眠光線は使ってないよ? 後ろの連中に使ったのも、もっと弱い催眠魔法だったし。


 ただなー。大分こき使われていたようで、兵士達はぐっすりおねんねだ。


 それはともかく、床に手を突いて絶望しているエミトを、どうしたものか。


「ネヴァン陛下、この子、どうします?」

「……いくら同母の弟とはいえ、王位にある私を狙った以上、極刑は免れん。この場で切り捨てても、どこからも文句は出まいよ」

「……いいんですか?」


 陛下は答えない。いや、ここで首をはねろと言われても、私はやりませんからね?

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