第319話 社交は社交だ

 トリヨンサークに送り込んでいた密偵からの連絡が途絶えた。密偵を送り込んでいたのは、コアド公爵とアスプザット侯爵……つまり、サンド様。


「トリヨンサークですか……」

「あそこからは、攻撃と言ってもいいような工作を受けていたからね」


 にこやかな笑顔なのに、何故か背中に暗雲が見えますよ、コアド公爵。


「それもあって、密偵を送り込んでいたんだが……」


 王太子殿下も苦い顔だ。今回は、あくまで向こうの国ってどんな国? ってのを調べる為のものだったそうだけど。それが消息不明になっちゃったらね……


 にしても、この国にも密偵なんて存在、いたんだね。


「数年前から、秘密裏に育てていたんだよ。ガルノバンとの事もあったしな」


 ああ、ありましたね。殿下方の弟の尻拭いを、ロクス様がやる事になったという。いや、今二人が幸せなのを見ていると、これで良かったんだとは思いますけどー。


「何にしても、あの国はきな臭い。出来れば、送り込んだ連中を救い出したいのだが……」


 うん。「敵」に見つかって素性がバレていた場合、命の危険がね……


「これはまだ内々の話だが、準備が整ったらヴィルに行ってもらう事になる」

「ええええええ!?」


 そんな危ない国に、ヴィル様を!? ……まあ、大丈夫か。あの人、魔の森でもかなりの深度に入れる人だし、剣や槍だけでなく、魔法も使えるから。


 でも、一人で行かせるの?


「まさか! 訪問団という形を取って、腕利きを同行させる。それに……」


 やめてください殿下。こっち見ないで。


「『兄』の窮状を放っておく妹は、いないよな?」

「……ずるいですよ、殿下」

「何がずるいんだ。王家からの指名だぞ? 普通なら喜ぶべきところだろうが」


 そーなんですけどねー。現状、私には領地でやる事がいっぱいある。


 正直、侯爵位にいるからって、王宮で殿下ご夫婦とこうしてプライベートな空間で一緒に過ごすって、凄い事なのよ。


 何せ相手は次期最高権力者。今も殿下の周りには、私の立場に成り代わりたくてうずうずしている連中が山ほどいる。


 王族に直接仕事を依頼されるなんて、家の誉れもいいところ。それはわかってるんだ。


 でもね。私、王宮で出世する気、ないのよ。今ですら過分な侯爵位を賜ってるんだからさあ。


 とはいえ、あの国がきな臭くて、このまま放置していたらオーゼリアにどんな影響があるかわからない。


 国の為……とかお為ごかしは言わないよ。それでも、大事な人達を護る為に、私に出来る事はやらないと。


 それに、私には抱えているプロジェクト、やりたいプロジェクトがまだまだたくさんあるんだから! トリヨンサークのバカ共に邪魔される訳にはいかない!


 面倒だけどな! 果てしなく面倒だけど!


「……謹んで承ります」


 殿下の笑顔が、ちょっと憎らしい。




 王家派閥の夏は、最大のイベントが控えているので忙しい。言わずと知れた狩猟祭である。


 この狩猟祭、毎年小さい何かがちょこちょこと起こるイベントでもあるのだ。まあ、参加人数が多いからね。人が多くなると、トラブルも起こるってもんだ。


 で、今回の小さなトラブル……それは、天幕社交の場で起こった。


「あーらあら、伯爵家の夫人ともあろう方が、そんな事もご存知ないだなんてえ。驚いてしまいますわあ」


 下品な言い方をしている方はネヘロ子爵家嫡男ナッド卿の夫人。で、彼女とその周囲にいる夫人方にいびられてる方はセバンルッツ伯爵家嫡男トゥレマー卿の夫人。


 天幕社交は、王家派閥の夫人令嬢が集う場なので、当然一つの天幕では対処しきれない。なので、いくつかの天幕を設けて、序列ごとに分けている。


 当然だが、ゾクバル侯爵家の分家に当たるセバンルッツ家の方が、序列は高い。でも、区分けすると一緒の天幕になってしまう。


 とはいえ、この天幕の中でも序列や身分差は発生しているはずなんだけどなあ。


「どうかなさいまして? 大きな声が聞こえた気がしましたけれど」


 ……にこやかに声をかけたはずなのに、どうして全員息を呑むのよー。てか、いびってた方、そんな青い顔をするくらいなら、最初からいびるなや。


「い、いえ……」

「わ、私達……」

「お、おしゃべりしていただけですのよ、ほほほ」


 引きつった笑顔で言われてもねえ。ちらりといびられていた伯爵夫人の方を見ると、何だか具合が悪そうだ。


「大丈夫ですか? どこか、お加減でも悪いのかしら?」

「い、いえ……お構いなく……」


 華奢な伯爵夫人は、今にも倒れそう。ダメだな、これ。


 ちらりと天幕の入り口に待機している侍女に目配せすると、軽く頷いて姿を消した。人を呼びに言ってくれたらしい。


 女性が集まると、何かとあれこれありまして。私が参加するようになる前から、気分が悪くなったりした人の為に救急搬送する人員を置いている。


 こちらの伯爵夫人も、天幕から搬送した方が良さそうだ。


 やがて到着した人員に、別場所で休ませるよう指示して夫人を連れ出してもらった。天幕の外、見えない場所に移動したら担架で運ぶそう。


 貴族夫人が倒れて運ばれるって、それだけで醜聞になるそうだから。もうやだ、貴族社会って。


 その後、しんと静まりかえってしまった天幕でも、それなりに社交を強引に推し進め、その日は無事終了。


 狩猟祭の初日からこれって、頭が痛いわ。




 天幕での出来事は、即日シーラ様の耳に入ったらしい。晩餐会後、スワニール館のシーラ様の部屋へ呼び出しを受けましたー。


「詳しく聞かせてちょうだい」

「と言われましても。私が天幕に入った時点で、ネヘロ子爵家、ナッド卿の夫人が、セバンルッツ家トゥレマー卿の夫人をいびっていたので、何が原因かまではわかりかねます」

「そう……困った事」


 ええ、本当ですよ。


 王家派閥としては、序列中位にいる以上どちらの家も大事。セバンルッツ家は当然ながらゾクバル侯爵家の分家なので、あちらの顔を立てる為にも無碍には出来ない。


 ネヘロ子爵は、ナッド卿の父親……今回騒動を起こした夫人の舅に当たる当主テペル卿の顔が広く、派閥を越えて交友関係を築いている人。王家派閥としても、他派閥との連携には欠かせない人材の一人。


 とはいえ、今回の件ってなー。ナッド卿の夫人……アビーヌ様だっけ? 彼女が一方的にトゥレマー卿夫人サビニリア様をいびっていたようにしか見えないんだけど。


 それを口にすれば、シーラ様が何とも言えない表情になった。


「あの二人には、ちょっとした訳があってね」


 そんな前置きをして教えてくれた話は、まあ呆れる内容でしたよ。


 アビーヌ夫人は、当初ナッド卿ではなくトゥレマー卿と結婚する予定だったそうな。とはいえ、それは親同士が軽く言い交わしていた程度。正式な婚約もしていないものだった。


 で、学院に入ってトゥレマー卿本人に一目惚れしたアビーヌ夫人は、積極的にトゥレマー卿にアピールしたらしい。


 それが、相手のトゥレマー卿に響かないどころか、避けられる結果になっちゃったんだって。


 トゥレマー卿は、内向的で控えめな女性が好みらしく、自身の理想とも言える女性に学院で出会った。それが、サビニリア夫人。


「夫人達の実家を比べるに、どちらも似たような序列と家格なのよ。なので、政略という面から考えて、セバンルッツ伯爵家としてはどちらでも良かったらしいの」


 で、結婚する当人のトゥレマー卿が選んだのは、当然サビニリア夫人。これに怒ったのがアビーヌ夫人。彼女にしてみれば、自分が結婚するはずだった相手を横から取られたようなものだからか?


「でも、正式な婚約はしていなかったんですよね?」

「そうね」

「なら、アビーヌ夫人が文句を言う立場にはないのでは?」

「対外的に見ればね」


 あれか? 女子にありがちな「私の方が先に好きになったのに!」ってやつ? でも、惚れた腫れたなんて相手あっての話でしょうよ。


「結婚していたって、浮気する人間は山ほどいるんですから、結婚前にわかって良かったんじゃないですかね?」

「トゥレマー卿の場合、浮気でもないしねえ」


 そうなんだよねー。何となく親から「この子どう?」って勧められた相手にその気になれず、自力で相手を見つけてきたってだけの話だし。


 アビーヌ夫人の怒りは、逆恨みもいいところだと思う。


「今回の騒動、それぞれの家にも通達、行ってますよね?」

「もちろんよ。天幕『社交』ですもの。あの場は、立派に社交の場なのよ」


 それを忘れて罪のない相手をいびるなんて。


「……アビーヌ夫人に、お子様っているんですか?」

「いないわね。結婚して既に五年は経っているのに」


 おっと。これはもしかすると、もしかするかも?

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