第291話 閑話 王宮での一時
ランミーアがローペテシラ嬢を連れてデュバル家を訪れた翌日、アスプザット家から長女コーネシアが王宮へと訪れていた。
目的は、婚約者となったネドン伯爵家のイエル卿へ、差し入れを届ける為だ。彼女の手には、ナプキンが掛かったバスケットがある。
実家の馬車から降りたコーネシアは、王宮で来客対応をしている侍従に向けて微笑んだ。
「ごきげんよう。王太子殿下の執務室まで、案内してくださる?」
アスプザット家の紋章が入った馬車から降りてきた、侯爵家の令嬢だ。侍従も無碍には扱わない。にこやかに礼を執ると、早速先導し始めた。
王宮内で、執務室を持つ人間はそれなりにいる。国王も持っているし、王妃も持っていた。
これからコーネシアが面会する王太子も、当然である。それらは大抵、王宮の中程にあった。
――さすがに、王宮でもこの辺りに来るのは初めてね。
侯爵家の娘という立場上、他の貴族よりも王宮に来る回数は多いと思う。でも、いつも表側の社交に使われる場所ばかりで、執務室が集中するこの区画や、王族の居住区になる奥へは行った事がない。
そういえば、幼馴染みの彼女は庭園奥の「王妃の隠れ家」に何度か招かれたと聞いた。
普通ならうらやましいと思うところだろうけれど、相手が「あの」王妃陛下だ。どちらかというと、ご愁傷様と言いたくなる。
何せ、コーネシアの母であるアスプザット侯爵夫人ヴィルセオシラですら、あの奥へ行った日は大分疲れて帰ってくるのだから。
母をも疲れさせる王妃陛下。既にコーネシアにとっては恐れの対象である。
目指す王太子の執務室は、王宮の中程でもさらに奥にあった。
「こちらでございます」
「ありがとう」
王宮に勤める侍従は、貴族の家の者ばかりだ。ここまで案内してくれた彼も、伯爵家の出身である。洗練された動きは、だからか。
執務室の大きな扉の両脇には、帯剣した騎士……金獅子騎士団の団員が立っている。年齢は、そこそこ高い。
彼等はコーネシアを見ると、にこりと微笑んだ。
「アスプザット家のご令嬢ですね? 殿下にご面会ですか?」
「ええ。……というより、私の婚約者に、なのだけれど」
「なるほど。少し、お待ちください」
年下とはいえ、淑女に対する礼は欠かさない。さすがだ。
――今、王宮を騒がせている若い人達では、こうはいかないでしょうね。
己の才能に驕り、周囲の言葉も聞かない彼等は、一体どこへ向かうつもりなのだろう。
護衛の騎士が部屋の中へ確認を取り、扉を開けてくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
コーネシアの言葉に、彼は軽く会釈して返してくれる。マナーも完璧。今自分が婚約状態でなければ、ちょっと本気で押してみたくなる。
コーネシアは、自他共に認める年上好きだった。
執務室では、奥の大きな机で王太子レオール殿下が書類を決裁している。
「ごきげんよう、殿下」
「ようこそ、コーネシア嬢。見ての通りの有様だから、淑女への礼は省略させてもらうよ」
「お気遣いなく。今日の私はただの配達人ですから」
「配達?」
コーネシアの言葉に、部屋の中の全員が首を傾げた。
ちなみに、室内には彼女の婚約者であるネドン伯爵家のイエルの他、兄であるウィンヴィル、幼馴染みであるレラの婚約者のユーイン卿、それと王太子殿下の弟であるコアド公爵ルメス卿の姿もあった。
「まずはこちらを。我が家の母から、殿下宛てです」
バスケットから、手紙を一通取り出して、兄であるウィンヴィルに手渡す。彼が中身を確認してから、王太子殿下に渡すのだ。
「君の母上からの手紙なら、ヴィルが確認するまでもないだろうに」
笑う王太子殿下に、コーネシアはつんと顎を上げた。
「あら、形は大事でしてよ、殿下」
そんな彼女の様子を、兄であるウィンヴィルが苦笑して見ている。そんな顔をしていられるのも、中身を確認するまでだ。内心ほくそ笑んでいると、彼女の読み通り、中身を確認した兄が驚いた。
「これは……」
「何だ? ヴィル」
「どうぞ」
困惑した顔の兄が、王太子殿下に母からの手紙を渡す。目を通した殿下の秀麗な顔が、瞬時に歪んだ。
「バカな事を。ユーイン!」
「はい」
殿下は手紙を読んですぐ、室内にいるユーイン卿を呼んだ。彼にも手紙を渡し、読むように促す。
目を通したユーイン卿の顔が、怒りに歪んでいった。
「これは……金獅子の連中を締め上げてよろしいですか?」
「いい訳ないだろうが! 少しは落ち着け」
「ですが!」
「あのデュバル女侯爵が、金獅子の連中に劣ると思うのか?」
「思いません。しかし――」
「まあ待て。これはいい機会だ」
王太子殿下と言い合っていたユーイン卿を止めたのは、兄ウィンヴィルだ。普段はユーイン卿を嫌っていてろくに会話もしないけれど、さすがに仕事となれば話は別らしい。
でも、ユーイン卿の方は違った。
「いい機会とはどういう意味だ? まさか、わざとレラを襲わせるつもりでは――」
「落ち着けと、殿下も仰っただろうが。金獅子の経験が浅いバカ共に、レラが負ける訳がない。手紙にもあるように、襲撃計画書なるものがあるなら、それを押さえておきたいところだ。これはまあ、レラに頼めば問題ないだろう。それと、襲撃現場にはお前も行け」
「わかった」
素直だ事。兄の提案にすぐ返事をしたユーイン卿は、そのまま仕度をすると部屋を辞した。
「まったく、レラの事となると見境がないな」
「あら、それだけレラを愛している証拠じゃないの。それに比べて、兄様は冷たい事。エヴリラさんに、花の一つも送ったのかしら?」
「必要な事はしている」
兄の言葉に、室内に残った男性三人と、コーネシアの冷たい視線が突き刺さる。
「ヴィル、それはない」
「いくら政略的な結婚とはいえ、夫婦を長く続けるコツは相手を思いやる事だと聞くよ?」
「うわあ……アスプザット……じゃなくてゾーセノットか。お前がユーイン以上に女の扱いを知らないとは思わなかったわー」
「兄様、サイテー」
王太子殿下、コアド公爵、イエル、それに妹のコーネシア。四人から一斉攻撃を受けて、さすがのウィンヴィルもたじろいでいる。
「いや、しかし――」
「確かにここしばらく忙しく、執務室に縛り付けていたのは私だな。そこは反省しよう。だがヴィル! お前自身も反省しろ」
「はあ?」
「女性というのはな、優しくするべき相手なのだ。お前の実家の女性達のように、たくましい存在ではないのだぞ」
今、聞き捨てならない言葉が、王太子の口から漏れ出た。それを聞き逃すコーネシアではない。
「殿下、ちょっとお話よろしいでしょうか?」
「え?」
「たくましいというのは、私やお母様の事でしょうか? それとも、レラも含まれます? その辺り、ロア様に伺ってもよろしいかしら?」
「いや待て! い、一般的な話だ一般的な」
「それは、私達が他の方々にたくましいと思われている、という事でしょうか? 誰がそんな話を広めたのかしらあ」
普通、たくましいと言われて喜ぶのは男性だ。女性は、決して喜ばない。
……いや、喜ばない女性が多数だろう。一部には、喜ぶ人もいるかもしれないから。
少なくとも、母もコーネシアも喜びはしない。レラは……どうだろう?
――あの子は変に突き抜けてるところがあるからなー。
ともあれ、今は目の前の王太子殿下である。彼の失言により、兄へ向けられていた冷たい視線は、王太子殿下に向けられていた。
「兄上、義姉上も仰っていたではありませんか。失言には注意せよと」
「いや、それは――」
「ああ、母上も仰ってましたね。兄上は失言が多いと」
「お前……ここでそれを出さなくても!」
「いえいえ、ですが、そんな兄上だからこそ、人望があるのですよ。私のように面白みがないと、変な連中しか寄ってこない。悲しい限りです」
「ルメス……」
何やら、室内の空気の温度が低下したように感じる。冷気の出所は、確実にコアド公爵だ。彼は静かに怒っている。
「ええ、本当に。どうしてああいった勝手な連中はこちらを巻き込もうとするんでしょうねえ。そろそろプチッと害虫のように押しつぶしたいところです」
「落ち着け! そ、それよりも、エルは元気か!?」
「ええ、それはもう!」
王太子殿下は、無事話題逸らしに成功したらしい。エルというのは、去年生まれたコアド公爵の娘、ヴァージエルナ姫の事だ。
「ああ、天の御使いとはこのような姿なのかと毎日思わされます。そのくらい可愛くて愛しいのですよ」
「それは良かった。母上も、またエルに会いたがっていたよ」
「そうでしょうとも! あの子の愛らしさは、会う人を全て魅了するのです! ああ、今すぐにでも飛んで帰ってあの子の愛らしい姿が見たい」
コアド公爵は、誰がどう見ても子煩悩で愛娘を溺愛している。
そして、孫娘を溺愛している人は、もう一人いた。男児を三人産んだ、王妃陛下チェレア様である。
コアド公爵夫人が出産して翌月には出産祝いを山と持って見舞いに行ったそうだ。
それ以来、時間を見つけてはコアド公爵家に入り浸っているという。それで執務が遅れないのだから、王妃様の能力はどうなっているのやら。
「ともかく」
兄が咳払いをした。
「話が逸れましたが、計画書を入手後、金獅子達に行動させて現行犯として捕縛します。コーニー、悪いがこの後、レラのところへ行ってくれ」
「わかってます」
「我々は連中が動く時を見計らって動けるよう、手配しておきます」
「そうか……」
王太子殿下は、憂い顔だ。今回の騒動に加担している団員の中には、殿下や兄と同い年の者も含まれている。
つまり、学院で一緒に学んだ者達という事だ。彼等が自分ではなく、弟であるコアド公爵を担ごうとしている事に、思うところもあるのだろう。
憂う殿下に、兄は続けた。
「これで金獅子の連中に自白魔法が使えれば、黒幕もわかるでしょう。さすがに侯爵を勝手に襲撃してお咎めなしにはなりません。奴らの実家も黙らせられます」
「だろうな。連中の実家の大半は伯爵家だ。黒幕には、大体見当は付いているんだろう?」
「おおよそは。ですが、証拠が足りません」
「……厄介な連中だ」
王太子殿下ですら、そう言う相手なのだろうか。にわかに、レラの事が心配になってきた。
――無事でいてね、レラ。
差し入れは、兄達には肉入りパイを、イエルには果物のパイを持ってきた。
「おおおおお! これ、シャーティの店の新商品だ!」
イエルが嬉しそうだ。彼はあの店の常連らしく、新商品には目がない。
「特別に焼いてもらったのよ」
何せ、あの店には我が家も出資している。その関係で、融通が利くのだ。
「ほう。初めて食べたが、中々の味だな」
「店主にそう伝えておきますわ」
王族が口にした、なんていい宣伝文句になるだろう。こういうのは、レラが考えるのが得意だ。
イエルも、果物のパイを美味しそうに頬張っている。彼はお酒も嗜むけれど、甘い物が大好きなのだ。
「てっきり、差し入れは口実なんだと思っていたよ」
「そんな訳ないでしょう? どちらかといえば、配達人がおまけよ」
「我々はおまけか」
コーネシアの言葉に殿下が苦笑するのが窺えたが、何も言わない。いい女は、何でもかんでも口にしないものなのだ。
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