第118話 閑話 異国の姫君

「お前には、オーゼリアに行ってもらう」


 そうお父様に言われたのは、新年が明けた頃。私が何か言う前に、お母様とお兄様が慌てた。


「あなた! 何故チェリをあの国に!?」

「父上! まだ向こうとの国交は正常化されていません! チェリに万が一の事があったら――」

「わかっている!」


 二人の言葉に、お父様は大きな声を出す。


「私とて、わかっているのだ。あの国に行って、チェリが無事に帰ってこられるかどうか……」


 言葉の途中で、苦しそうに顔を歪めたお父様。お母様は泣き出し、お兄様は拳を握りしめている。


 ああ、大事な家族がこんなにも苦しむ、そんな国に、私は行かなくてはならないのね。


「……これは、王命だ」

「お兄様の?」

「陛下に、非公式の場とはいえ、頭を下げられたよ。適齢の王女がいないばかりに、迷惑をかけると」

「頭を下げたところで、チェリを向こうへやるのは決まってしまっているのでしょう? お兄様のやりそうな事だわ」

「ヴァッシア。それ以上は不敬に当たるぞ」

「わかっています」


 お母様にとって、国王陛下は兄に当たる方だから、気安くあれこれ言ってしまうのね。でも、外に出たら決して気を緩めない。


 元王族で、現公爵夫人であるお母様の、そういうところをとても尊敬している。


「でも、どうして今頃になって政略結婚などを?」

「お兄様。まだ結婚かどうかは――」

「お前を向こうへやるんだ。結婚に決まってる」


 それもそうね。公爵家の娘であり、王家の姫でもある私は、政略の駒にはうってつけだもの。


 先程お父様の仰った通り、国王陛下には適齢の王女殿下がいらっしゃらない。


 ご正室様との間に王女殿下はいらっしゃるけれど、三人ともまだ五歳にもならないのだもの。政略結婚の駒には出来ないわ。


 私は今十六歳。適齢期と言えば、適齢期でしょうね。


「オーゼリアの使者とは既に打ち合わせ済みで、あちらの第三王子とどうか、という話だ」

「第三王子? では、将来的に王族ではなくなるんですか? 父上」

「いや、向こうはこちらとは違っていて、臣籍降下をしても継承権は残るらしい。ただし、それは子には引き継がれない。本人が王位に就けば、話は別だが」


 つまり、私が産む子には、王位継承権はないという事。やはり、異国の娘が産んだ子には、王位を継がせたくないのかしら。


 だから、向こうは第三王子を出してきたの?


「チェリなら、一国の王妃だって務まるというのに……」

「お兄様ったら」


 買いかぶりすぎだと言おうとしたのに、お父様もお母様も頷いてらっしゃる。


 娘に甘いのは、どうかと思うのですけど。




 オーゼリアでは、二月に新成人のデビュタントボールがあるという。何でも、王宮で行われる舞踏会で、その年に成人する男女をいっぺんに社交界デビューさせるのだとか。


 そんなところも、我が国とは違うのね。


「それで、そのデビュタントボールで、チェリの事も披露しようという腹らしい

「まあ」


 お父様ったら、言い方が悪いわ。


「では、それまでに第三王子との結婚を? 早すぎるのではなくて?」


 お、お母様! いきなり結婚だなんて、そんな……


「いや、まずは顔見せ程度だそうだ。向こうは第三王子とうまくいってほしいらしいが、そうではない場合も考えると言っている」

「何ですか? それ。第三王子とやらがチェリを気に入らず、こちらに返してくる事があると? 父上、向こうはどれだけ我が家をバカにすれば――」

「落ち着け! まったく……使者の話では、第三王子との相性が悪い場合、他の高位貴族の子息を紹介するという事だ」

「まあ」


 お母様もお兄様も、眉をひそめてる。王族との結婚のはずが、いきなり貴族との結婚では、格が落ちるというもの。


 二人とも、そこを気にしているのでしょう。


 我が家の格もありますし、何よりお兄様と私には、お母様からガルノバン王家の血が入っているもの。


 ガルノバンに公爵家はあと二つあるけれど、どちらも王家の血が入ったのは三代以上前の話。


 だからこそ、私が選ばれたのだわ。


「では、私はすぐにでも出立しなくてはいけませんね」

「ああ。チェリ、苦労をかける」

「いいえ、お父様。これも、ガルノバンの王家、そして公爵家の血を引いて生まれた義務にございます」


 幼い頃から、ずっと教えられてきたもの。いつかは国やお父様の決めた方の元へ嫁ぐのだと。


 それが、私の役目なのだから。


「お父様、お母様、お兄様。これまで、慈しんでくださった事、決して忘れはしません。今までありがとうございました」


 会心の礼をして、顔を上げる。寂しいし心細いけれど、決して弱音は吐かない。


 公爵家に生まれた誇りを胸に、オーゼリアで立派に役目を果たしてみせます。




 ガルノバンからオーゼリアまでは、海路を使う。たくさんの荷物の内訳は、あちらの王家への贈り物と、私のドレスや小物類。


 それと、こちらからは付き添いとしてお父様の部下であるノラクス伯爵が一緒に来ている。


 また、私付の侍女として、ラーイラも一緒だから心強いわ。彼女は男爵家の娘で、行儀見習いとして我が家に入った人。


 そのまま私の身の回りを整える仕事をしていたのだけれど、今回の話が持ち上がった際、親であるベーソン男爵夫妻を交えて話し合い、結果、側付の侍女として同行する事になったという訳。


 早朝に出立した船は、昼の陽光の中順調な航海を続けている。気晴らしに出た甲板からは、水平線が見えるの。


 あれが水平線というものだって教えられた時は、何だか不思議なものに見えたわ。


「本当は陸路を行ければ、早いんですがねえ」


 そんな事をぼやくのは、この船の船長。日に焼けた大柄な人で、最初はちょっと怖い人なのかと思ったくらい。


 でも、話してみたら知識が豊富でとても楽しい人。長くあちこちの海を回っていて、五年くらい前からガルノバンとオーゼリアを結ぶこの船で船長をしているんだとか。


 色々な港を見て回っているからか、異国の話も多くて聞いていて飽きない。


 そんな船長が、陸路の方が早いと言うなんて。


「あら、海路が必要なくなったら、船長の仕事がなくなってしまうのではなくて?」

「なあに、そうしたら陸路の輸送に切り替えますよ」

「まあ」


 彼は時折冗談交じりに色々な事を教えてくれる。船でオーゼリアまで、丸一日かかるんですって。


 確かに行き来という意味では、時間がかかるわね。


「ちなみに、陸路が使えるようになったら、どれくらいで行き来出来るようになるのかしら?」

「さあ、道を作るのはオーゼリア側ですからねえ。ただ、数時間で行き来出来るようにするつもりらしいですよ」

「え?」


 丸一日を、数時間で? オーゼリアには、そんな技術があるの?


 ガルノバンも、今の国王陛下になってから次々と新しい技術が開発されている。この船も、その一つ。


 ただ、陛下はまだ不満だそうで、「鉄で船を作る!」と仰ってるとか。鉄で作る船って……沈んでしまわないのかしら?




 船の中で一泊し、船は朝のうちにオーゼリアに到着した。


「ここが、オーゼリア……」


 港は、ガルノバンのものよりも小さいみたい。でも、人がたくさん! 港は活気があるってお父様が仰っていたけれど、本当ね。


「お待ちしておりました、シェーヘアン公爵令嬢。私、案内役のヒューモソン伯爵と申します。どうぞ、お見知りおきを」

「出迎え、ありがとう。ガルノバン王国シェーヘアン公爵が娘、ハニーチェルです」


 ここからは、陸路ですって。ヒューモソン伯爵に先導されて乗った馬車は、とても乗り心地が良かった。


 こんなに揺れない馬車なんて、王家の馬車くらいではないかしら。


 到着した港は、王都からはかなり離れた場所だそうで、馬車を使っても七日はかかるのだとか。


 途中で休憩の為に立ち寄る街はどこも綺麗で、やはりガルノバンとは建物も道の作り方も違う。


 ああ、異国に来たのだなと、改めて思わされるわ。




 オーゼリアの王宮は、壮麗でとても素晴らしい建物。


 王都では、ヒューモソン伯爵の邸で一泊し、本日身支度を調えて王宮に来ている。


 このまま、オーゼリア国王にご挨拶し、そのまま第三王子と引き合わされるそう。


 いよいよ、私の旦那様になる方とお目にかかるのね。


 国王陛下は、我がガルノバンの陛下よりもお若く見えた。でも、話で聞いた年齢は、陛下と同じくらいだったはずなのだけれど。


 隣にいらっしゃる王妃陛下もとてもお美しい方で、視線を逸らす事が出来なかったわ。美しいって、それだけで力があるのね。


 その後、部屋を変えてとうとう第三王子、シイニール殿下との対面。


 ソファに座って待っていると、程なく殿下がいらっしゃった。


 まあ、殿下は母君に似てらっしゃるのね。


「お初にお目にかかります。ガルノバン王国シェーヘアン公爵が娘、ハニーチェルにございます。以後、よしなにお願いいたします」

「……オーゼリア王国第三王子、シイニールだ。楽にせよ」


 あら、殿下はこの対面、乗り気ではない様子。嫌だわ。私だけはしゃいでしまったみたい。


 でも、この結婚は国同士を結ぶもの。愛情があれば嬉しい事だけれど、そうでない場合の方が多いと聞いている。


 私達も、そうなるのかしら。




 国王陛下の計らいで、デビュタントボールに参加はしても、名も素性も明かさない事になったそう。


 オーゼリアの国王陛下は、悪戯がお好きなのかしら。


 舞踏会では、何故今回の話が第三王子に行ったのかがわかったわ。上のお二人は、既に国内貴族から婚約者が決まっていたのですって。


 それで、相手のいないシイニール殿下に、私をという話になったのでしょう。


 お互いに、降って湧いた話ですもの。殿下が前向きでないのは致し方ない事なのかしら。


 殿下からは、拒絶の意思を感じるの。


 どんなお相手でも、精一杯努力しようと覚悟を決めてきたのだけれど、ちょっとへこたれてしまいそうだわ。


 殿下は、政略結婚がお嫌なのかしら。それとも、単に私自身がお気に召さないの?


「チェリ様を気に入らないなんて、あの第三王子は贅沢ものです!」

「ラーイラ、ダメよ、そんな事を言ってわ」

「言いたくもなりますよ……何ですか! あの態度! いかにも『我慢して相手をしてやってるんだ』って言わんばかりではありませんか!」

「それは……」


 否定出来ない。私でもそう思うのだから、側付のラーイラはもっと感じているのかもしれないわね。彼女は鋭い子だもの。


「だとしても、私がこの国でやるべき事は変わらないわ」

「……いっそ、お相手を変えていただいた方がよろしいのでは?」

「そんな簡単にはいかないでしょう。第一、シイニール殿下とだって、まだ数回顔を合わせた程度ですもの」


 まだ相性がいいか悪いかなんて、判断出来ないわ。




 その後も王宮に滞在し、この国の事を勉強している。国の成り立ち、主要産業、家同士の関わり方、王宮の派閥と所属する家。


 専門の教師が付けられ、毎日多くの事を頭に詰め込んでいく。ちょっと気を抜くと、覚えた事が漏れて消えてしまいそう。


 その間に季節は変わり、春を越えて夏になった。


「狩猟祭?」

「ええ。王家派閥の最大の行事なの。毎年、王族が視察を兼ねて参加するのだけれど、今年はシイニールに行ってもらおうと思って。ハニーチェル嬢にも同行してほしいのだけれど、どうかしら?」

「もちろん、ぜひ同行させていただきたく思います」

「そう。では手配しておくわね。そうそう、あちらにはあなたと同い年で、既に家を継いだ女の子がいるの」

「まあ、私と同じ年で、家を?」


 貴族の家を継ぐという事は、領地も含めた全てを受け継ぐという事。それをわずか十六歳の少女がこなしているなんて……


「秋からの学院への編入、その子にあなたの世話役を頼んでいるの。向こうに行ったら、仲良く出来るといいわね」

「はい。楽しみです」


 秋から、この国の貴族の子女が全員通うという貴族学院へ編入する。もちろん、シイニール殿下との仲が進展するのを期待されている様子。


 ただ、ヒューモソン伯爵伝で聞こえてきた話には、年の近い貴族子女との交流を、という面もあるのですって。


 これは、王妃様の発案なのだとか。優しい配慮が心に染みます。




 狩猟祭が行われるペイロンは、王都から遠い土地だった。港のある領も遠かったけれど、ここもまたなかなか。


 殿下とは、違う馬車に乗っている。まだ婚約した訳ではないから、男女で同じ馬車に乗るのは如何なものか、という事だそう。


 どこも建前というのは、なかなか面倒な事よね。とはいえ、今回はラーイラと二人きりの車内がありがたいけれど。


 これで殿下がいらっしゃったら、重苦しい空気の中で楽しめなかったと思うわ。


 ……いけない。こんな事を考えているようじゃ、立派に務めを果たせないわ。ダメね。




 狩猟祭は、とても大がかりな行事なのね。


 見た事もない階段状の観覧席が設けられ、それとは別に天幕で女性陣が社交を行うのですって。


 その天幕で、王妃様から聞かされた女の子に出会った。デュバル女伯爵。艶やかな白金の髪は見事な巻き髪で、瞳は薄い水色。


 その瞳はとても強く、何だか吸い込まれてしまいそう。顔立ちもとても整っていて、王妃様とはまた違う美しさを見た気がするわ。


 少し話しただけなのに、彼女……ローレルさんとはとても楽しくおしゃべりが出来たの。ああ、もしかしたら、この人とはお友達になれるかもしれないわ!


 楽しくおしゃべりしていたら、ローレルさんが天幕の外を見るようにって言ってきたの。


 見てみたら……あれは、何?


「空中に四角い何かが……」

「あれに、狩猟の様子が映し出されますよ」

「ええ?」


 どういう事? 尋ねようと思ったら、その四角に人が入った! ええ? どうして!?


「あれは、遠くの光景をああしてモニターというものに映し出す魔法なんです」

「もにたあ……魔法……」


 ガルノバンにも魔法を使う人はいるけれど、数は少ない。それに、彼等はよくわからない研究ばかりしていると聞いているわ。


 こんな魔法、見た事ない!


「あら、我が家の主人ですわ。まあ、子供のようにはしゃいで」

「ほほほ、ゾクバル侯爵はこの狩猟祭がお気に入りですものね。我が家の主人は狩猟は苦手ですから、どこかで息抜きでもしているんじゃないかしら」

「まあ」


 夫人達が、自身の夫の姿をもにたあ? というものの中に探している。私も、殿下の姿を探してみようかしら。


 あ、いたわ。まあ、獲物を丁度仕留めたのね。


「シイニール殿下も、仕留められたようね」

「ええ、兄君達と同程度の獲物ではないかしら」

「兄君方といえば、王太子殿下がいらした時は大騒ぎだったわねえ」

「ええ、よく覚えてましてよ」

「まったく、あの方のやんちゃは誰に似たのかしら」

「それは……まあ……」

「ここでも言えないわよね」


 夫人達の会話から、シイニール殿下の上の兄君のあれこれが。これは、不敬に当たらないのかしら。


 周囲の夫人方が何も言わないのだから、きっと大丈夫なの……よね?




 狩猟からお戻りになった殿下は、私の姿を見て表情を固めてしまわれた。やはり、嫌われているのかしら。


 無理強いはよくないのだけれど、せめて理由は知りたいと思うの。それも、いけない事かしら。

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