第91話 閑話 王宮での一幕
王宮に到着したビルブローザ侯爵サイヴェル卿は、馬車から降りて王宮を見上げた。
本当なら今頃、自分はここの主になっていたはずなのに。間抜けなユルヴィルがへまをして、計画が頓挫してしまった。
「まったく、忌々しい」
ここ最近の口癖になっている言葉を口にし、サイヴェル卿は王宮へと入っていく。
今日は国王からの呼び出しで来ている。何でも、相談事があるのだとか。常日頃、貴族派の自分達を蔑ろにする国王にしては、随分と弱気な事を。
向かう先は、青の間と呼ばれる場所だ。増改築を繰り返している王宮でも古い棟にあり、昔から王と親しい者達が交流する部屋として知られている。
そこに、自分を呼ぶとは。少しは貴族達の重要性に気付いたのかもしれない。いい傾向だ。
意気揚々と青の間に向かうと、既に国王が待っていた。
「ビルブローザ侯爵サイヴェル、まかりこしました」
「うむ」
奥の椅子に座る国王は、鷹揚に頷く。その様子に、サイヴェル卿は不満が顔に表れそうになった。
気を引き締め、改めて室内を見ると、何やらおかしな雰囲気だ。国王の他に内務大臣、陸軍元帥までいる。
「まずは、座るがいい」
国王の前に用意された、一つの椅子。そこに座れという。別におかしな事はない。だが、何故か嫌な感じがした。
だからといって、従わない訳にもいかない。サイヴェル卿は、内心を押し隠して用意された椅子に腰を下ろした。
「さて、本日侯爵に来てもらったのには、訳がある」
「は……」
「まずは、これを見よ」
渡されたのは、数枚の書類だ。これに、相談事でも書いてあるというのだろうか。
表の紙をめくって中身に目を通したサイヴェル卿は、驚きを隠せなかった。
「こ!」
言葉が続かない。手渡されたのは、屋敷に厳重に保管してあるはずの、覚え書きだ。
そこに名を連ねているのは、派閥の中でも序列が高い家の当主ばかり。覚え書きの内容は、サイヴェル卿が王位を簒奪する事に協力するというもの。
その見返りに、王位に就いた暁には、彼等を優遇する事を約束している。
何故、これをどこで、どうやって国王は手に入れたのか。書類を持つ手が震えている。
「さて侯爵、何か言い残す事はあるかね?」
「へ……陛下……」
「侯爵も知っての通り、謀反は重罪だ。公になれば、侯爵一人の首だけでは済まない。一族郎党、処刑となる」
震えて、声が出ない。国王が言うとおり、この書類が表に出れば、ビルブローザ侯爵家は終わりだ。
いや、侯爵家だけではない。この覚え書きに名を連ねた家も同様だ。
「こ……これは! そう、罠です! 罠なのです!!」
「ほう?」
咄嗟に口をついて出た言葉に、サイヴェル卿は賭けた。そうだ、これは仕組まれた事なのだ。事実は違うところにある。
「では、誰が仕掛けた罠だと?」
「それは……もちろん、我が派閥を目の敵にしている奴らでございましょう」
「ほう?」
「畏れ多くも王家の名を冠する派閥を組み、我等に刃向かう憎き敵、アスプザットとペイロンがやった事です!!」
この覚え書きは、奴らが仕組んだ罠だ。そう、国王に思い込ませればいい。そうすれば、自分の勝ちだ。
「何故、その二家が侯爵を罠にかける必要がある?」
「先程も申しました通り、奴らは我々を目の敵にしております。醜悪な手段で、私を貶める腹でしょう」
「そうか……くっくっく」
いきなり笑い出した国王に、訝しんでいるのは室内でサイヴェル卿だけだった。
「醜悪な手段というのはな、氾濫が起こるとわかっている魔の森に、発火装置を仕掛けるような事を言うのだよ」
「!」
何故、それを今ここで言うのか。あの装置は、氾濫で壊されて廃棄されたと聞いたのに。
まさか、あの情報そのものが嘘だったのか?
「ああ、森にしかけた発火装置なら、研究所が回収して解析済みだよ。そこから、作成者と起動した人物を割り出し、既に処罰済みだ」
「い……いつの間に……」
「こういう事は、裏で動くに決まっているだろう? 表沙汰にすれば、国が割れる」
たかが森を少し焼いた程度で、国が割れるなど。だが、今はそんな事を言ってる場合ではない。
考えなくては。この場を切り抜ける、いい案を。
「そうそう、侯爵は跡継ぎに恵まれたな」
「は?」
嫡男は優柔不断で、あれに後を継がせる事に不安ばかりだ。なのに、恵まれた? こんな場面で嫌味を言う気か。
「侯爵の後継は、孫のダイン卿が継ぐ。安心したまえ、彼は王家ともうまくやっていくと宣言しているよ。無論、彼に賛同する他の次期当主達もな」
ダイン! あの愚かな孫か! 今、やっと全てが繋がった。孫が屋敷に保管して置いたあの覚え書きを持ち出し、王宮に差し出したのだ! 己が侯爵位を継ぐ為に!!
「ダイン! あの馬鹿者がああああ!!」
場所を弁えず、サイヴェル卿は立ち上がって叫んだ。だが、彼のその姿に誰も驚いてはいない。
「あの怠惰な愚か者め! 首根っこひっつかんで躾なおしてくれる!!」
「やめたまえ、侯爵。彼は君よりずっと賢い」
「そうだな。己が取るべき道を心得ている。その点だけでも、評価に値するよ」
内務大臣と元帥を睨むも、彼等は微笑むばかりで堪えた様子すらない。
「さて、長々と話したが、侯爵もそろそろ疲れただろう。ゆっくりと休むがいい」
国王が右手を挙げると、部屋の奥からトレーを持った侍従が来た。トレーの上にはグラスが一つ。赤いワインで満たされている。
毒杯だ。ここで、これを飲めというのか。
改めて室内を見回すと、全員の目がこちらに向かっている。今日、この場に呼ばれた最大の理由は、これだったのだ。
目の前に差し出されたグラス、その禍々しささえ感じる赤が目に入る。
「逃げようとしても無駄だ。何故この部屋を選んだか、わかるかね?」
「いえ……」
「ここは、昔から王が親しい者と語らう場。その為、護りが固いんだ。今も部屋の周囲には、武装した兵士が詰めている。意味は、わかるな?」
部屋から逃げ出しても、すぐに捕まる。そして、力ずくでこのグラスを煽る事になるのだろう。
何故、どうしてこんな事になったのだ。やはり、ユルヴィル家を使ったのが間違いの元だったのか。
◆◆◆◆
目の前に横たわる老人の姿を見下ろし、国王は静かに溜息を吐いた。
「どうしてこう、己の置かれた場所で満足しない者が多いのだろうね?」
「人は、欲深いものですから」
王の呟きに、内務大臣が答える。人は欲深い。他者からうらやまれる家に生まれたのに、さらに上の地位を望むからこうなったのか。それとも。
国王が片手を挙げると、陸軍元帥が手を二回叩いた。扉が開き複数の兵士が入ってくる。
彼等は無言のまま、物言わぬ姿になった老侯爵を抱えて部屋を出て行く。その姿が見えなくなり、扉が閉まってから国王が口を開いた。
「ダイン卿の方はどうなっている?」
「既に王宮に参っております」
「では、すぐに襲爵の手続きを」
「配下の者が、既に準備しております」
「ペイロンの方はどうだ?」
「問題なく。氾濫も無事に抑え込み、狩猟祭も大成功に終わったと連絡がありました」
「そうか」
ペイロンは王家派閥でも重要な家だ。序列こそそう高くないものの、魔物の森に接している為、国防の要となっている。
本来なら、同じ王家派閥のゾクバル家がその位置に来ようというものだが、ゾクバル家が守護する国境線の向こうにあるのは小国群だ。脅威にはならない。
だが、魔の森は違う。対応を誤れば、遠く離れた王都にまで魔物が溢れる事態になるだろう。実際、記録ではそうなった事があったそうだ。
「魔の森を焼くなど、恐ろしくて余ですら出来ないというのに」
「サイヴェル卿は、魔物の恐ろしさを知らなかったのでしょう。知っていたら、手を出したとは思えません」
「わからんぞ。あのご老体の事だ、自分ならばうまくやれると思ったかもしれん」
元帥の言葉に、内務大臣は首を横に振る。
「だとしたら、とんだ思い上がりと言わざるを得んな」
「思い上がったからこそ、簒奪などを企てたのだろうよ」
「違いない」
楽しそうに話す二人を見て、国王は苦いものを飲み込んだ。
「時に、白嶺騎士団の団長は決まったのか?」
「はい。そのまま、副団長を繰り上げさせようかと」
「団員が混乱しないのなら、それでいい」
「家の方は嫡男がそのまま継ぐ、でよろしいのですね?」
「ああ」
今回の一件、裏で活躍したのはダイン卿とノグデード子爵ハルトアン卿だけではない。ユルヴィル伯の嫡男カルセイン卿もまた、役に立っている。
ハルトアン卿はまだしも、ダイン卿とカルセイン卿は余程祖父や父が嫌いだったらしい。彼等を陥れる物的証拠を提出するのに、一切の躊躇がなかった。
ハルトアン卿がサイヴェル卿を嫌う理由はわかる。母親に絡んだ話だろう。だが、ダイン卿までサイヴェル卿を嫌っていたとは。
それに、カルセイン卿もだ。ユルヴィル家では、特に家内が荒れているという話は聞いた事がない。なのに、この結果である。
もっとも、ユルヴィル伯ヘクター卿は、妹との確執で知られているから、その辺りに何かあったのかもしれない。
「……そういえば、ヘクター卿の妹はデュバル家に嫁いだのだったな」
「さようにございます。当時は話題になりましたなあ」
「確か、夫人は子を二人産んだとか」
「先日、長女のタフェリナ嬢が伯爵位を襲爵したとか」
「長女? 嫡男がいたのではなかったか?」
「それが、嫡男は母御が身罷られた後、屋敷に籠もりきりになったそうだよ」
「なんとまあ」
デュバル家の前当主クイネヴァン卿は家庭を顧みず、愛人との生活を優先したという。
もっとも、その愛人に欺されいいように使われていたそうだが。それを知って、寝込んでいると報告を受けた。愛人の方が一枚上手だったようだ。
その愛人も、本命の男と娘と一緒に小国群へと追放している。我が国で生活していたのなら、あちらでの生活は苦労するだろう。気候も違えば習慣も違う国だ。何より、利便性がまるで違うと聞く。
伯爵家当主を欺し、余所の男との間に生まれた子を伯爵の庶子と偽った罪は重い。こちらも表沙汰に出来ない分、命までは取らなかったというだけだ。
「……デュバル女伯爵が王都でお披露目をするのは、来年かな?」
「そうなりますな。二月のデビュタントボールにて、社交界デビューをしてからになるかと」
成人して間もないという若さで襲爵する例は少ない。しかも、家格も派閥での序列も決して低くはなかった家なのに、先代の失態で名を落としていた家だ。
社交界の妖怪どもが、手ぐすね引いて待っているだろう。もっとも、アスプザットが側についているのだから、早々危険な事もあるまい。
「来年が楽しみだな」
「まったくで」
内務大臣と元帥が声を揃える。来年の舞踏会シーズンに向けて、貴族派では多くの家が当主を交替する事になるだろう。長く停滞していた貴族派閥にも、ようやく新しい風が吹き込む。
国王は窓から見える庭園に目をやり、明るさに目を細めた。
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