第85話 閑話 男達の密談

 王都の貴族街区、その中でも王宮に近い場所にその館はあった。


「まったく忌々しい……」


 昼間から酒のグラスを傾ける館の当主は、不機嫌さを隠そうともしない。目の前のローテーブルにある、報告書が彼の不機嫌の原因だ。


「ユルヴィルの言葉などを信じたせいで、折角の計画が無駄になりましたな」

「やはり、風見鶏の中立派など信じるに値しませんよ」


 同席している少し下の世代の貴族達の言葉に、当主の眉間の皺はさらに深くなった。


「それは、あれを信じた私の判断が間違っていたという事だな?」

「え?」

「いえ、そんな……」


 当主の完全な八つ当たりなのだが、普段から彼に追従してばかりの彼等は、返す言葉が見つからない様子だ。それすら疎ましい。


「それで? ユルヴィルの奴は今はどうしている?」

「その……普段通り、白嶺の魔法演習を行っていると……」

「危機感すら持たぬか……そろそろ切り時だな」


 もっとも、ユルヴィル伯爵の手元には、自分に届いたような報告書は行かない。


 それすらも、あれの自業自得というものだ。本来、自分が仕掛けたものの結末は、自分の「目」で確認するものだ。それすら怠っている辺り、ユルヴィル伯爵という人材の使えなさが窺える。


「あれでも、魔法の大家と呼ばれた家の当主ですが……」

「構わん。先代ならともかく、当代は魔法の威力も大分落ちているというではないか。おお、そういえばあれの息子は成績優秀だと聞いたぞ。ここらで、世代交代といこうではないか」


 なかなかいい案だ。使えない駒だが、それは個人の話であって家そのものではない。当主をすげ替えればまだ使える。


「では、子息の方を我々の方へ引き込むと?」

「うむ」


 あそこも、父親と確執を持つ息子がいるという。その辺りをくすぐれば、若い者など簡単に転がるというものだ。


 ふと、自身の孫を思い出す。あれも自分に反抗してばかりで、少しも言うことを聞かない。


 息子は息子で、誰に似たのか無能だ。あれでは安心して家督を継がせる事も出来ないというもの。


 既に、彼の中では息子を飛ばして孫に家督を継がせる図面が出来上がっている。息子夫婦は病気療養という名目で、領地の片隅で生かしておけばいい。


 嫁は派閥内の序列が高い家からもらっている。息子共々始末する訳にもいかなかった。


「失礼します」


 部屋の外から、声がかかった。この声は、反抗してばかりの孫のものだ。


「何用か」

「お祖父様に、急ぎの手紙が届きました」


 手紙? それを届ける為に、何故孫がこの部屋に来るのか。そうした雑事は、従僕が行うものだ。


「入りなさい」


 無言で扉を開けて入ってきた孫の手には、確かに手紙がある。受け取り、差出人を確認して、ペイロンを監視している者からの追加報告だとわかった。


「ご苦労だった。下がりなさい」

「お祖父様、昼間から酒など、体を壊しますよ」

「やかましい。いいから下がれ!」


 他の者なら身をすくませる当主の怒鳴り声に、孫は肩をすくめる程度だ。その態度すら腹立たしい。素直に怖がればいいものを。


「閣下、その手紙は……」

「向こうの報せを送ってきたのだろう」


 決して、名称を口にしてはならない。特に、敵の名は。


 封を切って中身を取り出し、目を通す。当主の眉間に更なる皺が寄った。


「閣下……」

「奴らめ……どうやって……」


 当主はうめくように呟くと、手紙を他の者に手渡す。彼等は餌に群がる魚のように、顔を寄せ合って中身を読み出した。


「これは……」

「まさか、こちらにまで」

「そんな事があるか!」

「だが、あのユルヴィルだぞ!? 保身の為に、我々を売っても不思議はない!」

「静まれ」


 慌てだした貴族達は、当主のそう大きくない一言で黙り込んだ。


「ユルヴィルが口を割ったところで、証拠がない。やつの証言程度、いくらでも握りつぶせるというもの。なんなら、我が侯爵家の名に泥を塗ったとして、ユルヴィル家を潰してくれるわ」

「おお」

「何と頼もしい」

「さすがは我等貴族派の筆頭である、ビルブローザ侯爵。頼りにしております」

「私もです!」


 我先にと、またしても追従を口にする。だが、それらは何と心地よい響きを持っている事か。


「案ずるな。こちらにはまだ、切り札の双子もおる。まさか他国の王族を抱えている我が家に簡単には手出しすまい。例え国王であったとしても……な」

「そうでしたな。あの双子がおりました。今は、ノグデード子爵家でしたか」

「うむ。ハルトアンは癖が強すぎるが、息子のレゾウェルは中々可愛げのある子だ。あの家も、もうじき当主を交替させるべきだな」


 ひ孫にあたるレゾウェルは、頭の出来は今ひとつだが素直で可愛い。自分を慕ってくるところも気に入っている。


 引き換え、庶子である娘が産んだ孫のハルトアンは、誰に似たのか癖が強すぎた。こちらに従っていても、裏で何をしているか知れたものではない。


 それは、我が家の孫にも言える事か。


「全く、我が子と孫の世代には困ったものだ」


 これには、さすがの追従好きも何も言えないらしい。彼等にとって、息子と孫は同年代。下手な事を言えば、言葉の刃が自分に返ってきてしまう。


 それにしても、仕掛けがうまく発動しなかったのは悔やまれる。ユルヴィルの売り込み文句を信じすぎたのが失敗の元か。


 本来なら、広まった氾濫はペイロンの手に負えず、やむなく出した貴族派の軍隊が鎮圧する予定であったものを。


 そして、そのままとって返して王都を制圧するはずだったのだ。武力で王宮を掌握し、自身が至尊の冠を頂く。それこそが、この国の為だというのに。


 魔物など、所詮は獣。数で押せばどうとでもなる。狭い森では無理かもしれないが、幸いペイロンより南は平地が多い。大軍勢を展開する事も可能だ。


 だが、氾濫はペイロンだけで収まってしまった。どれだけの犠牲が出たかは、まだわからない。追加報告を待たなくては。


 ユルヴィルの方は放っておいて良い。あれに出来る事など、たかが知れている。


 今年はもう、動かない方がいいだろう。全ては来年、年が明けてからだ。



 ◆◆◆◆



 王都には、いくつか会員制の紳士クラブがある。男性しか入れず、入会に際しては高額の入会金が必要となるが、いくつかのクラブは身分にかかわらず会員になれた。


 ここは、そんな「金さえ払えば」誰でも入れる紳士クラブの一つ。そこに設けられた奥の個室に、一人の人物が入ってきた。


 彼は、入るなりテーブルの上に一枚の大きなメダルを置く。


「それは?」

「盗聴、盗視防止の魔道具だ」

「ほう、そんなものがあるんだね」

「例の研究所製だよ」

「ああ、なるほど」


 親しげな二人は、お互い仮面を被っている。素性を知られないように、というよりは、ただの遊びだ。


 メダルを置いた方が黒い仮面を、そうでない方が白い仮面を。偶然ではあるが、対比としてはしやすい。


 二人は席につき、他愛もないおしゃべりで時間を潰していた。すると、そこに最後の一人が入ってくる。彼も、仮面をつけていた。赤い仮面だ。


 それが何だか面白くて、黒い仮面が声を潜めて笑うと、白い仮面も笑いをこらえているのか肩が震えている。


 だが、赤い仮面の男性は、彼等二人の様子に気付かない。


「お待たせしました」

「いや、それ程でも」

「そうだね。今回は、君が主役だ」


 黒と白の仮面二人に、赤い仮面の男性が恐縮する。言われた事に対してのものか、それとも年上の二人に言われたからか。


「さて、我々の間で前置きはいらないね。結論から言おう。侯爵は、ユルヴィル家を見捨てて、潰すお考えだ」

「なんとまあ」

「そうですか」


 黒い仮面は、他二人が驚かない事に少し不満のようだ。


「驚かないんだね?」

「あの御仁なら、何をやっても驚きませんよ」

「私は……ある程度読んでましたから」

「ほう?」


 二人からの返答に、黒い仮面が驚く。まさか、こんな答えが返ってくるとは。


「まあ、それに関してはこちらで対処するよ。そろそろ、私も本格的に動かないとね。下手をすれば、ビルブローザ家の方が潰されてしまう」

「王家派閥は、そこまで力を付けていると?」

「それもある。だが、問題は侯爵の方にあるよ」


 黒い仮面の言葉に、白い仮面も赤い仮面も無言だ。


「年を取るというのは、ああいう事なのかねえ。昔日の面影は既に遠いよ。現状認識がまるで出来ていない。私もペイロンから上がってきた報告書を読んだが、侯爵は仕掛けがうまく発動しなかったと判断した。だが、私は違う」

「と言うと?」

「森は、焼かれたんだ。だが、その結果膨らんだ氾濫を、ペイロンは対処仕切ったという事さ」


 黒い仮面の言葉に、残る二人は息を呑んだ。


 魔の森の氾濫。この三人は、伝手を駆使してペイロンに残る前回、前々回の氾濫に関する記録を読んでいる。


 だから、森の氾濫というものの恐ろしさを、ある程度把握出来ていた。


「正常期の氾濫に加え、森が焼かれたんですよね? あの記録以上のものがあったと考えれば……」

「今のペイロンは、向かうところ敵なしという事になる」


 うめくように言った白い仮面の言葉に、黒い仮面は見たくない現実を突きつける。


「おそらく、正面から対決してこちらに勝てる見込みなど、屑ほどもないよ」

「そこまで……ですか」

「では、やはり王家派閥とは敵対するべきではありませんね」


 赤い仮面は若いからか、やはり考え方が柔軟だ。黒い仮面も白い仮面も、とっくに頭が固くなっているらしい。


「……向こうは、貴族派閥を敵と捉えているかもしれないよ?」

「今の貴族派を、ですよね。侯爵が我が家を取り潰すつもりでいるのなら、容赦はしません。反撃に出ます」

「おお、怖い怖い」

「お二方も、そのおつもりでしょう?」


 赤い仮面……ユルヴィル家長男であるカルセインの言葉に、黒い仮面と白い仮面は顔を見合わせた。


「まあ、ここに来ている以上、そのつもりだよ」

「いつまでも爺連中に頭を押さえつけられては堪らないからね。我が家も、当主交替といくつもりだ。その為の仕掛けも、既に終わってるよ」

「さすが、お手が早い」

「君……それは別の意味に聞こえるんだけど?」

「いえいえ、本家の若様に対して、そのような」

「まったく……どうしてお祖父様は、君の才能を見誤ったんだろうね?」

「そこはそれ、年老いたからでしょう」

「同族嫌悪かな?」

「……」


 白い仮面が言い返さないという事は、彼も自覚があるのだろう。ただ、彼の母を捨てるように子爵家に嫁がせた祖父の事を、彼は大層嫌っている。そこを突いた嫌味だ。


 そして、そんな嫌味が出せるあたり、黒い仮面の彼も自身が嫌ってやまない祖父に似ていた。


「決行はいつに?」

「それは向こう次第だな。王家派閥の動きに合わせて、こちらも動く。ああ、赤い仮面の君。向こうに連絡を取ってほしいんだが……出来るかい?」

「お任せを。丁度いい人材がいます」

「では、頼んだ」


 カルセインは軽く会釈すると、無言で部屋を出て行った。


「向こうはどう出ますかねえ?」

「乗ってくるさ。邪魔な爺を潰す機会だ。見逃す手はない」

「それで本当に侯爵家が潰されたら、どうします?」

「陛下はやらないよ。ビルブローザ家が倒れたら、貴族派閥の反発が強くなる。そんな危険は冒さないさ。それに」

「それに?」

「今回の事を手土産に、我が家の助命を請うよ。王家派閥は義理堅い人間が多い。それに、貴族派閥をまとめる家がなくなるのは、向こうも困るだろう?」

「さすがは若君。先々まで読んでらっしゃる」

「君も、同じ血が流れているのを忘れてもらっては困るな」

「ですな。では、大々的な当主交代劇を始めるとしましょうか」


 話は終わったとばかりに、テーブルの上のメダルをしまう黒い仮面。彼に合わせて、白い仮面も席を立つ。


 ここを一歩でも出れば、後に待ち構えているのは生存をかけた競争だ。だというのに、二人の胸中には馬で駆け出したくなる程の高揚感しかない。


 勝って見せる、絶対に。そして、自分達の未来を勝ち取るのだ。

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