第71話 閑話 大人達の悪巧み

 息子と令嬢が一緒に庭に向かったのを見送ると、アスプザットの女豹が口を開いた。


「それで? 我が家までわざわざいらしたのは、どういう目的かしら? まさか、礼をする為だけとは言いませんよね?」


 本性を出すとは珍しい。まあ、ここは社交場ではない。それに、同年代には彼女の素の顔を知っている者も多くいる。今更か。


「少し、嫌な話を耳にしたのでね。そちらが既に知っているかどうか、確認しておきたかった」

「嫌な話?」

「ユルヴィル家と、貴族派の動きだ」


 顔つきが変わったな? 連中にとっては、今一番欲しい情報だろう。


 だが、ユルヴィル家は中立派、王家派のアスプザット家では情報を集めきれまい。


 貴族派に関しては動きを探る事は出来ても、裏の方までは派閥に食い込まない限り情報は得られん。


 どこも一番知られたくない話は、知っている人間の数を絞るものだ。


「詳しく、聞きましょうか?」




 大体からして、ここ最近のユルヴィル家の動きはおかしかったのだ。同じ中立派とはいえ、我が家とはろくな繋がりもないのに、いきなり訊ねてきて「デュバルの娘には手を出すな」ときた。


 何を考えているかわからないから穏便に追い返したが、息子の方はまともに受け取ったらしい。ペイロンまで押しかけて、デュバルの娘に求婚したと聞いた時は心臓が止まるかと思った。


 一旦呼び戻そうと手紙を何度も送ったのに、無視しおって。しかもその後、王家派閥の催し物である狩猟祭にまで飛び入り参加したという。


 あいつは私の寿命を縮めるつもりか。まったく。


「貴族派の動きがどうにもおかしい。それは、そちらでも把握していると思う」

「ええ。ノグデード子爵が何やら動いて、異国の王族を引き込んだわね」

「あれも、元々はビルブローザ侯爵がやった事だ。それを、子爵に押しつけた」

「全く、捨てた愛人に産ませた子に、いつまで迷惑かけるつもりかしら? あの爺さん」


 危うく噴き出すところだった。確かに、ビルブローザ侯爵は食えない爺だからな。


 女癖も酒癖も悪く、手を出した女に産ませた子は数知れずと言われている。


 大半は闇から闇へ葬ったようだが、何人かは生かして同派閥の下位の家に預けた。


 その一人がノグデード子爵だが、あれもよくわからん男だ。血の繋がった父親に対する屈折した思いはあるようだが、今のところ侯爵に従っている。


 あの異国の双子の後見を務めたのもそうだ。


「大体、何故あんな双子を引き込んだの?」

「向こうの国に対する札の一つにする事と、この家で預かっている娘にぶつけるつもりだったようだ。失敗したみたいだがな」


 私の言葉に、女豹が鼻で笑った。


「当たり前でしょう? あの子は見た目通りの子供ではないわよ?」

「そのようだな……」


 息子が思い入れている相手。そして、目の前の女豹が我が子のように可愛がっている少女。


 自分の中でも消化仕切れない情報だけで向かった優秀学生の為の舞踏会。あの会場で、私は恐ろしいものを見た。


 あの年齢で、あのように制御しきった魔力など見た事がない。確かに膨大な魔力がそこにあるのに、それは彼女の形と寸分違わずそこにあった。


 どれだけ熟練の魔法士であっても、己の魔力を完全に制御する事はとても難しい。事実、魔法の大家と呼ばれるユルヴィル伯も制御が甘く、体から陽炎が立ち上るように魔力が溢れている。


 先代はさすがにそんな事はないが、残念ながらあの親子の魔力量の差でもあろう。親より子の方が量が多い。


 魔力は、多い方が制御が難しくなるものだ。


「それで? あの爺さんの狙いはわかったの?」

「魔の森だ」

「何ですって?」

「ただ、具体的に何をするつもりなのかは、さっぱりわからん。ただ、君達の方がよく知っている話だが、あの森は手を出すと痛い目を見る」

「そうね。それに、今は時期が悪いわ」

「氾濫か。うちの息子が王宮に報告に来たぞ」

「あの時、身軽に動けるのは彼だけだったからよ」


 うちの息子を伝令代わりに使って、言うのがそれか。これだからこの女は。


「その帰りに、厄介なものを連れてきたわね、そういえば」

「あれはユルヴィル伯が勝手に動いた結果だ」

「それを許す土壌が、王宮にあるという事?」

「王宮というよりは、白嶺騎士団に、だろうな。先代の威光は未だ健在だ」


 白嶺騎士団は魔法士が所属する騎士団で、複数ある騎士団の中でも帯剣が義務化されていない唯一の騎士団だ。


 通常白嶺だけで動く事はなく、別の騎士団に派遣という形を取る。だからこそ、ペイロンに白嶺騎士団として赴いた事自体が奇妙なのだ。


 だが、彼等が特に何かをしたという話は聞こえてこない。ユルヴィル伯がペイロンにいる間に森に手を出していれば、大事になっていただろう。


「そういえば、ユルヴィル伯が狩猟祭に参加したそうだな」

「ええ。何やらこそこそと動いていたみたいだけれど、相手が悪かったわね。ゾクバル侯爵に声を掛けるなんて」

「何をしたんだ?」

「派閥の鞍替えを提案されたそうよ」

「無謀な事を……」


 ゾクバル侯爵家といえば、南の武の名門だ。ペイロンとは地理的に離れているから疎遠に思われがちだが、とんでもない。


 おそらく、王家派閥の中でも一番のペイロン寄りだ。無論、アスプザットとの繋がりも強い。


 そのゾクバル侯爵が、ユルヴィル伯爵の言葉程度で派閥を鞍替えする訳なかろうに。


 女豹は、何やら考え込んでいる様子でいる。


「そうよね。無謀なのよ。なのに、何故そんなわかりきった事を、ユルヴィル伯爵はしたのかしら……」

「鞍替えを提案したのなら、中立派ではなく貴族派にだろう。ユルヴィル家は中立派だから、貴族派の誰かから頼まれたとかか?」

「依頼人は爺でしょうよ。それはいいのよ、わかるから。今ユルヴィル家が貴族派に寄ったところで驚きもしないし。ただ、何故そんなわかりきった事を、狩猟祭という王家派閥最大の催し物の最中にやったのか。それが気になるの」

「……考えすぎでは?」

「あなたは考えなさすぎよ。昔から変わらないわね」


 相変わらず失礼な女だ。


「サンド、君は妻に全て任せきりで情けないとは思わないのか?」

「ん? いや、君と対峙するのならシーラが適任だと思ってね」


 にこやかに答えるサンドは、学院生の頃を思い出させる。彼も相変わらず、食えない奴だ。


「ともかく、貴族派が魔の森を甘く見ているというのは、本当のようね。一度彼ら自身が痛い目を見ればいいのに」

「氾濫が起こったら、貴族派の家の当主をまとめて森に放り込んではどうかね?」

「あら、いいわね。どうやっておびき出すか、考えておかなくては」


 冗談のつもりだったのだが、女豹はやる気に満ちている。しまった、おかしな提案をするんじゃなかった。この女なら、本気でやりかねないのに。


 ちらりとサンドを見るも、奴は妻の隣で微笑むばかりだ。抑止力にもならんだろう。


 重い溜息が口から出たが、仕方あるまい。


「そうそう、あなたのご子息、来月には期限を迎えるわよ」

「期限? 何のだ?」

「レラを口説く期限。これを越えたら、彼からの求婚はなかった事にするから」

「は?」


 どういう事だ?


「実はね、去年彼がレラにいきなり求婚した時、レラがとっても驚いてしまってね。ご子息の方は大分焦っていたけれど、こういう事ってやっぱり順序や形式って大事でしょう? だから、今年のあの子の誕生日までに、彼がレラを口説き落とせたら、あなたを交えて正式な話をしようかと思っていたの」


 嘘だ。この笑い方には覚えがある。学院生時代、似たような期限付きの条件を相手に出した時の顔だ。


 あの時はどういう条件だったか忘れたが、一見達成出来そうに感じるけれど、その実達成不可能な内容だった。


 つまり、女豹の目から見ても、息子があの少女を口説き落とす事は不可能と思った訳か……


 我が子ながら、どうにも口下手だからな。


 軽く溜息を吐くと、女豹から意外な言葉が出て来た。


「とはいえ、今日の様子を見ると、そう悪い話でもなさそうだわ」

「何だと?」

「どのみち、レラも貴族の家に生まれた以上、結婚しない訳にはいきません。ならば、あの子をきちんと理解して支えてくれる相手が望ましいのよ」


 確かに。貴族令嬢であるなら、家の為にも結婚する必要がある。いつまでも独身でいるのは、何か問題があるからだと見るのが世間というものだ。


「うちのユーインに、それが出来ると?」

「少なくとも、魔の森に入ってレラと同じ深度まで進めようなんて人、他にはいないと思うわ」

「あいつは……」


 何をやっているんだ、まったく。確か、黒耀騎士団からペイロンに研修に出るという話は聞いた。


 てっきり、ペイロンで魔物との戦闘方法を学ぶだけかと思ったのだが。まさか魔の森に入って、しかもペイロンの人間と同様の深度まで進めるつもりだとは。


「無茶をする……」

「あら、でもいい線いってるわよ。あなたとは違って、剣の腕も魔法の腕もいいようね」

「やかましい」


 学院生時代、剣も魔法も苦手で、ひたすら官僚になる為の勉強ばかりしていた。間違っていたとは思わないが、それなり劣等感もある。


 とはいえ、まさか息子が黒耀騎士団に入るとは。せめて金獅子ならば近衛だ、王宮から出ずに済むと思ったのだが。


「ともかく、ユーイン卿がレラを諦めないのであれば、目はあるわよ。今のところは、だけど」


 笑う女豹は、獲物を見定めた目をしている。息子よ、本当にこの女関連の娘でいいのか? 他にもいくらでもいい淑女はいるだろうに。


 とはいえ、あの完璧に制御された魔力は、確かにユーインのものと相性がいい。魔力同士の相性がいい者は、人としての相性もいいものだ。


 だからこそ、急いで求婚したのだろう。それはわかる。わかるのだが。


 やはり相手が悪かったとしか言い様がない。


「それにしても、中立派のあなたが、我が家に来るなんてねえ」

「確かに中立だが、別に王家派と対立した覚えはないぞ。我が家は王家に対する忠誠を忘れた事は一度もない」

「そうね。フェゾガンが中立派を束ねてくれているから、こちらとしても安心だわ」


 我が家は、王家への忠誠を誓っている。それは確かだ。だが、貴族派が提唱する、「貴族家そのものがそれなりの力を持つ」という内容にも、一理あると考えている。


 王家だけに力が集中すれば、暗君が立った時が厄介だ。だが、王家の力が弱くなりすぎても国が乱れる。


 王家と貴族、それぞれが拮抗する力を持つべきというのが、我が家の考え方だ。


 だからこそ、今の貴族派の動きは容認出来ない。彼等は、ともすれば簒奪に走りそうな勢いだ。あれはいかん。


「貴族派の動きは、こちらでも情報を集めておこう」

「よろしく」


 まずは、ビルブローザの爺の裏を探らなくては。老獪な人物だが、今やらなければきっと後悔する。


 こういう勘だけは、当たるから困るんだ。

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