第67話 閑話 大人達の事情

 どうしてこうなった……




 可愛い娘のダーニルが家に帰ってきたのは、学院祭の準備が進む時期だった。


「お父様あああああ!」

「ど、どうしたんだ? ダーニル。おお、よしよし、こんなに泣いて。何があった? 誰かに苛められたのか? お前に付けた友達は何をやっていたんだ?」

「う……うう、あいつが……」

「あいつ?」

「あの、ローレルって子」

「何だと!? あの忌々しい女が産んだ娘が、お前を苛めたのか!?」

「う、うん」


 己……あの化け物めが。


 可愛いダーニルは、私が本当に愛した女性マエソーヤが産んだ子だ。残念ながら、彼女は平民故正妻にする事が出来なかったが、今でも彼女だけが自分の妻だと思っている。


 そして、化け物は無理矢理私の妻に収まったヘピネルが産んだ娘だ。既に嫡男ターエイドがいるのだから、もう子供は必要なかったというのに。


 あの女が、無理矢理に作って産んだのだ。まったく忌々しい。


 その娘は、三歳になる頃に色変わりと言われる現象を起こした。何でも、急激に魔力が増えると起こるそうで、過去にヘピネルの実家で数人出たそうだ。


 栗色の髪に焦げ茶の瞳だったのが、たった一晩で銀髪に青い瞳へと変わったのだから驚く。まるで、人が変わったようだった。


 だから、家から出したのは間違っていない。あれ自身、ペイロンで何事もなく成長したという。


 なのに、ここに来て私の可愛い娘を苛めるだと? 身の程知らずが!


「ダーニル、お前はしばらく学院を休みなさい」

「お父様?」

「その間に、お父様があの女を追い払ってやろう」

「本当に!? ありがとう! お父様。大好き」


 泣いていたダーニルが、笑顔になった。ああ、娘の笑顔とは、なんと素晴らしいものか。一瞬でこちらを幸せにしてくれる。


 このダーニルの笑顔を守る為にも、あれには学院を去ってもらわなくては。




 貴族学院は、基本的に途中で辞める事は出来ない。不祥事を起こして退学を食らうか、余程の身体的事情……病弱等で学習が困難と認められた場合だ。


 だが、抜け穴がある。女の場合、結婚を理由に退学出来るのだ。もっとも、今時は卒業を待っての結婚が多いので、この制度を使う者はほぼいないが。


 いないというだけで、使えない訳ではない。


「あの娘を、とっとと結婚させて家からも学院からも追い出せばいいのだ」


 相手探しは、それ程苦労はしない。我が家は伯爵家だ。それなりの家格でもあるから、縁を繋ぎたい家はいくらでもある。


 忌々しい娘を追い払う為の結婚だ、相手は誰でもいい。それこそ、下級貴族の騎士爵家でもいいのだ。


 だが、意外にもこの相手探しが難航した。理由はわかっている。王家派閥が邪魔をしているのだ。


 我がデュバル家も、一応王家派閥である。先祖代々そうだったというだけで、私自身は特に王家にも派閥にも興味はない。


 だが、大きな派閥故、敵に回すと厄介だ。それにしても、何故我が家の婚姻に口を出してくるのか。


 そんな中でも、何とか相手が見つかった。ブット子爵家の六男、クアロス卿だ。


 六男という事から家を継ぐ事はないが、本人は文官として身を立てているという。下級ではあるが、そこは問題にならない。


 この結婚に際し、我が家からある程度の持参金を付ける事で、話がまとまった。


 だから、学院にいるあの化け物に、お前の結婚が決まったと手紙を送ったのだ。化け物の分際で、人並みに結婚出来るのだから喜ぶだろう。


 なのに……


「旦那様、お手紙でございます」

「うん? 個別に持ってくるなど、一体誰から……ひい!」


 差出人を見て、思わず悲鳴が出た。封蝋の紋章も、確かにあの家のものだ。


 何故、アスプザット家のヴィルセオシラから、私に手紙が届くのだ?

 ヴィルセオシラはペイロン伯爵家出身で、私とは遠縁に当たる。家同士の付き合いがあった為、子供の頃から知っている相手だ。


 この女、幼い頃から乱暴で、私は何度痛い目を見させられた事か。ちょっと他の家の子供をからかっただけで、すぐに拳を振るうのだ。


 一度、殴るのをやめろと言ったところ、今度は魔法で人を吹き飛ばした。どこまでも乱暴な女だ。


 その頃の記憶が体に刻まれているのか、どうしてもヴィルセオシラは苦手だ。


「……旦那様、怯えておられずに、お手紙を読まれては?」

「う、うるさい! わかっている!」


 振るえる手で封を切り、中身を取り出すと、たった一枚に一文が書かれているだけだった。




 レラに手を出すな。




 ……そういえば、ヴィルセオシラは未だに実家であるペイロン伯爵家とは懇意にしていると聞いている。


 あれの嫁ぎ先であるアスプザット侯爵家は、王家派閥をまとめている家であり、ペイロン伯爵家は年に一度、派閥の重要な催し物である狩猟祭を開催する場所でもある。繋がりは昔から密だ。


 それもあって、あの化け物に肩入れしているのか。だが、あの化け物は我が家の娘だ。忌々しい事だが。


 そして、娘の結婚を決めるのは父親の仕事。これは王家とて口出しは出来ない。


 ましてや、他家が何か言うなどもっての他。こんな手紙、無視だ無視。




 その後、クアロス卿との顔合わせの為、日時と場所を伝えたのに、あの化け物はすっぽかしおった! どういう教育を受けたのだ! まったく。


 仕方ないので、クアロス卿と共に、学院に赴いた。久方ぶりに見た化け物は、それなりに見られる外見になっていた。


 そういえば、ヘピネルの葬儀の時にも、いたような気がするな。


 それなりに待たされたから、最初が肝心と思い、遅いと怒鳴ったら、あの化け物め。あろう事か、私を魔物扱いしおった! 何て失礼な化け物だ!


 ま、まあいい。私は心の広い大人だ。無礼な態度は大目に見てやろう。


「おい、お前」

「あ?」


 今、目の前の化け物は、何と言ったのだ? すわった目で、こちらを睨みつつ、低い声で一言。


 あああああ、あの恐ろしい女を思い出してしまうではないか!


 何とかクアロス卿が話を進めたが、化け物め、約束などしていないと言う。ふざけるな!


「しただろうが! 私はちゃんと、伝言を残すようにと命令したはずだ。お前――」

「あ?」


 また! くそう! 化け物め。少しは父親である私に対する敬意というものをだな!


 それでもクアロス卿が何とか話を進め、手紙や伝言は届いていたが、化け物が無視したという事がわかった。


 しかも! それらをアスプザット侯爵家に報せたというではないか!


 何てことを!!




 そして、とうとうあの夫婦が来てしまった。化け物は寮に返され、私は夫婦に連れられて侯爵家へと連行されている。


「さて、ここならゆっくり話せるでしょう」


 一体、何を、ゆっくり話す必要があるというのだ。


 昔から、この女が嫌いだ。女の癖に、腕っ節が強く魔法には長けている。おかげで両親からも散々叱られた。女に負けるなど、情けないと。


 あれ以来、「強い女」というものが苦手になった。女は、男に守られているくらいが丁度いい。私の愛するマエソーヤのように。


「以前にも、手紙で釘を刺したというのに、もう忘れたのかしら? あなたの頭は、相変わらずものを覚えていられないようね」

「ぐ……」

「改めて、伝えておきます。レラには手出し無用。父親面せず、おとなしくしておきなさい。いいわね?」


 何故、他家の人間にそんな事を言われなくてはならないのだ!


「あ、あれは我が家の娘だ!」

「あ?」

「ひい!」


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。こいつ、一人で大きな熊を狩った事もあるんだぞ!? 絶対女じゃない!


「ここではっきりさせておきましょうか。三歳からレラはあなたの娘という扱いではなくなっています。これは、陛下もご承知の事よ」

「な、何だと?」

「自分で捨てておいて偉そうに、何を言ってるのかしら? 何なら、捨てた事実を社交界で公にしてもいいのよ?」

「ま、待ってくれ! そんな事になったら、娘はどうなる!?」

「……一応確認しておくけれど、その娘ってダーニルの事よね? あなたの愛人が産んだ」

「当たり前だろう! 私の娘はあの子だけだ!」


 政略で娶った妻が産んだ子など、知った事か!


 興奮して言い放ったはいいが、はたと気付くとヴィルセオシラがこちらを睨んでいる。な、何をする気だ? わ、私を殺せば、さすがに侯爵家といえどただでは済まないぞ?


 だが、ヴィルセオシラは深い溜息を吐いただけだった。


「まったく……先程から自分の言っている事が矛盾していると、気付いているのかしら。それと、自分が囲っている愛人の管理くらい、しっかりしておきなさい。好き放題にさせているから、こういう事が起きるのよ」


 何だ? 何を言っている? 混乱する私の前に、書類の束と薄いガラスのような板が置かれた。


「これは……?」

「よく読みなさい。あなたの愛人の本性と、彼女に渡した金の流れが書かれているわ」


 ……どういう事だ? 山となっている書類を、上から数枚取り上げて目を通す。


 何だ? これは。こんな……


「う、嘘だ!」

「事実よ。あなたが守ってあげなければと大事にしていた愛人は、あなた以外に本命の男がいるの。そちらで男の顔と、あなたの愛人と仲睦まじくしている様子を捕らえた姿があるから、見なさい」


 振るえる手で、薄いガラス板を持ち上げる。下にある、丸い部分を押せと言われて押すと、板には自分より少し下の年齢の男性が出て来た。


「板の上で、指を横に滑らせてご覧なさい。そう。そうすれば、次の画像が見られるから」


 次から次へと出てくる絵には、マエソーヤと男が寄り添って私が用意した家に入っていくところ、家の窓から二人が抱き合っているところ、口づけを交わしているところなどが出てくる。


 板が振るえている。いや、私の手が震えているのだ。


「男の顔をよく見てみなさい。誰かに似ていると思わない?」

「誰かに……誰に……」


 わからない。いや、わかっているけれど、わかりたくない。こんなの、現実じゃない。


「その男の目元、あなたの娘のダーニルに、よく似ているんじゃなくて?」


 嘘だ。そんな事、あり得ない。あっては、ならない。


「特に目の色が、そっくりよね?」


 ああ、男の目は、ダーニルと同じ薄い水色の目だ。あの娘の目の色は、誰に似たのかわからなかったが、そうか、この男の色なのか。


 そういえば、マエソーヤはダーニルの目の色が好きだと言っていた。綺麗な水色だと。


「魔力の質で、親子かそうでないか調べる方法があるの、知っていて?」

「調べる……?」

「あなたとあなたの愛人とその娘がどうなろうとどうでもいいけれど、デュバル家の金が愛人を通じてその男に流れるのは、見過ごせないわね」

「男……」


 この板にある、ダーニルとよく似た目の色の。書類には、騎士爵家の出で、実家は兄が継いでいるとある。


 名前はフィーロス・タット。現在無職。


「いい加減、現実を見なさい。あなたが守ってあげたいと思った女は、あなたの事を金が出る壺程度にしか思っていないわ」


 あなたからの金で男に貢ぐなんて、強かよねえという声が聞こえた。


 では、やはりマエソーヤは、私を裏切っていたのか?


「どうして……何故……」

「言ったでしょう? 金の為よ」

「かねの、ため……」

「他の貴族家のように、金で繋がる関係だと割り切れていれば良かったんだけどねえ。あなた、彼女にのめり込んでいるから、ここらで現実を見てもらおうと思ったのよ」


 現実……こんな、酷い事が現実なんて……


「あなたの愛人の方は、こちらで対処しておくわ。あなたに任せておいたら、あの女に丸め込まれるのが目に見えているもの。それと、秋になるまであなたの身柄は我が家で預かる事になったから。明日にでも、領地の方で静養してもらうわよ。いいわね?」


 ヴィルセオシラが何か言っているが、正直もう頭に入ってこない。マエソーヤが、私を裏切っていた。


 いや、違う。最初から、彼女は私の金にしか興味がなかったのだ。私が、一人で舞い上がっていただけ。


「はは……はははは……」


 笑いが止まらない。なんて、なんて事だ。今までの自分の人生は、一体何だったのだ。


「……大丈夫かね?」

「生きてさえいればいいわ。すぐに移動陣の準備を。王都に置いておいたら、またあの女の元に行きかねないもの」

「そうだな」




 その後、私はヴィルセオシラの手でアスプザット侯爵領の外れに送られた。生活に不自由はしないが、何もする気がおきない。


 全てをかけて愛した人は、私に愛を返してはくれなかった。私は、なんて不幸なんだ。


 この先も、こうして何もせずに時間が過ぎていくのだろう。もういい。もう疲れた。


 何もかも、どうとでもなればいい。

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