第50話 閑話 子爵邸にて

 見覚えのある封筒に、見覚えのある紋章。これは、学院からの正式な手紙に使われるものだ。


 あの学院を卒業してもう何年も経っているが、忘れる事なんてない。


 座り心地のいいソファの脇では、我が家の執事であるモードが困り顔だ。


「旦那様、学院からは何と……」

「まだ読んでおらん」


 手紙が届いたのは三時間は前。それから今まで、封も開けずに放置していた。


 だって、開けたくないだろう? 抗議文が書かれている手紙だぞ? しかも、貴族学院の学院長からだ。既に臣籍降下なされているとはいえ、王弟殿下だったんだぞ。


 とはいえ、こうして眺めていても手紙がなくなる訳ではない。それはわかっている。


「全く、我が家のバカ息子は学院で何をやらかしたんだ……」


 学院から抗議の手紙が来る原因など、あのバカ息子だけだ。言いたくないが、我が家の長男レゾウェルは出来が良くない。


 勉強も中の下、剣もうまく扱えず、乗馬も苦手だ。貴族男性にとって必須の狩りの腕前も酷い。


 秀でているのは、曾祖父に当たるビルブローザ侯爵サイヴェル卿に媚びを売るくらいか。


 息子は私の母マリノーラに顔立ちが似ている。そのせいか、サイヴェル卿に幼い頃から可愛がられていた。


 娘である母を、捨てるように我が子爵家に嫁がせたくせにな。


 封を開けて中身に目を通すと、私の口から重い溜息が漏れた。


「旦那様、坊ちゃまはいかがなさったのです?」

「いや、あれではない。預かり人の方だ」

「なんと……」


 問題を起こしたのは、ヒュウガイツ王国から亡命してきたという双子の兄妹だという。


 文面には「きちんと躾けくらいしろ」と丁寧な言い回しで書かれていた。どうやら、我が国の貴族間にある「常識」を知らなかったらしい。




 あの双子はサイヴェル卿から頼まれて後見をしている。もっとも、後見というのも名前を貸した程度のものだ。


 おそらく、王家派の手前、貴族派の重鎮であるビルブローザ侯爵家の名前を出したくなかったのだろう。相変わらずやる事があさましい。


 あれで上位貴族の当主というのだから、貴族の家と言っても大した事はないと感じるよ。


「一度、双子を家に呼んで問いたださないといけないな」

「旦那様……そこまでしなくてはならないのでしょうか?」

「建前として……な」


 このまま放置しては、サイヴェル卿の耳にも入るかもしれない。あの老人は、ひ孫のレゾウェルは可愛がっても、孫の私は可愛くないらしいからな。


 もっとも、こちらとしてもあんな醜怪な老人に可愛いと思われたくもないが。


「今すぐ二人を呼び出しておけ」

「承知いたしました。当家を訪問させる日時はいかがいたしますか?」

「最短で」


 モードは無言で一礼すると、部屋を後にした。これで双子が近々この屋敷に来るだろう。


 その姿が完全に部屋から消えるのを確かめてから、テーブルの隠し引き出しを引き出す。


 そこには、人目については困るものが入っているのだ。そこから、一通の手紙を取り出した。


「……潮時か」


 手紙に施された封蝋の紋章を見て、呟く。こちらも、一度会って話し合わないとならない。




 双子が来たのは、翌日の午後も遅くだった。


「急な呼び出しだなんて、一体どういう事だい?」


 相変わらず、兄の方は横柄な態度だ。たかが末端王族の、しかも亡命貴族のくせにな。


「クオンマ殿、貴殿はサイヴェル卿に一体何を教わったのかな?」


 私の「殿」という呼びかけに、双子の兄はあからさまにむっとしている。いくら本国ではそれなりの身分だったとはいえ、我が国では爵位もない身だ。それを忘れてもらっては困る。


「……どういう事だ?」

「貴国の常識と、我が国の常識は違うと、教わらなかったのかな? おかげで私の元に、学院長から直々に躾直せという手紙が届きましたよ」

「何だと? 無礼な! その学院長をクビにしろ!」

「出来る訳ないでしょう。貴族学院の学院長は、代々王族が務めているのですよ。たとえサイヴェル卿であっても、王弟である学院長の職を解く権限などありはしません」


 王弟という身分に、さすがの兄妹も怯んだようだ。それもそうだろう。高祖母が王女だったという、王族と呼ぶのも憚られるような立場に比べれば、王弟は雲の上のような身分だ。


 学院長は、お前らのような者が軽々しく扱える方ではないのだよ。


「ご理解いただけましたかな? このまま学院に戻しては、私だけでなくあなた方を支援している方々にまで迷惑がかかるのですよ」

「……ビルブローザ侯爵は、そんな事は言っていなかった」

「サイヴェル卿にしても、あなた方の教養がどの程度だったのか、知らなかったのでしょうな」

「馬鹿にするのか!?」

「されたくないのなら、相応の態度を取られよ」


 馬鹿にされるのは、それなりに意味があるといい加減知るといい。


 だが、怯える妹とは対照的に、兄の方はまだやる気のようだ。にやりと笑うと脅しのような言葉を口にしてきた。


「ビルブローザ侯爵が、何と言うかな?」

「さて。試されてはいかがですか?」


 当てが外れたな、小僧。この状況で双子を擁護するなら、サイヴェル卿に未来はない。


「……子爵は貴族派なのだろう? 何故、王族である学院長をそこまで恐れる?」

「貴族派とは、王家に反旗を翻す派閥ではありませんよ。貴族の家そのものが力をつける事こそ、国の発展に繋がるとする集まりなだけです」


 王家を蔑ろにしているのは確かだがな。だからこそ、あんな事を企てたりするのだ。


 ことごとく反論されて、さすがのクオンマも心が折れたらしい。もろい事だ。


「さて、では我が家でこの国の貴族の常識をたたき込んでもらいましょうか。覚えきるまでは、学院に戻ることは出来ないと思っていただきましょう」

「だが、それでは計画が!」

「急いでもいい事はありませんよ。どのみちこのままでは、計画も失敗に終わります」

「……そうとは限らないだろう?」

「いいえ。学院から抗議文が来たと言ったでしょう? 下手をすれば退学になるという事ですよ」

「な!」


 やっと現実を見たか。まったく。




 双子をモードに任せて数日、今度はサイヴェル卿から手紙が来た。


「さて、双子の件で文句でも言ってきたかな?」


 ご老体からの手紙は、内容がわかりやすいので開けるのに躊躇せずにすむ。確認すると、やはり双子から泣きつかれたらしい。


 ただ、双子が望んだような内容ではなかった。やはり、躾はしておけと書かれている。


「いや、双子を躾けるべきはあんた達だろうよ」


 つい、そんな愚痴も出てくるものだ。モードがいない時で良かった。こんな事を口にしたと知れたら、私でも説教されかねん。


 他にも何通か届いた手紙を確かめる。


「……来たか」


 差出人の名も、紋章もない封筒。中には日時と場所が書かれたカードが一枚。場所は最近流行の紳士クラブのようだ。日時は三日後の深夜零時。


 確認し終わった後、カードは銀の皿の上で燃やした。誰かの目に付かないよう、証拠は隠滅するに限る。




 その日の夜、モードに説教された。


「旦那様、銀盆の上で物を燃やさないようにと、以前も申しましたが!」

「そ、そうだったか? うん、以降は気を付ける」

「はあ……すぐそこに暖炉もあるのですから、人目については困るものは、そちらで燃やしてくださいませ」

「わかった……」


 本当に、うちの執事は優秀だ。

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