第37話 閑話 サンド、動く
この時期の王宮は閑散としている。暑い時期だし、社交行事もなくなるから、仕事でもなければ皆王都から逃げ出すからだ。
ああ、私もとっととペイロンに行きたい……あそこは王都より北にあるから、ここよりずっと涼しいし。
何より、妻と子供達が行っている。それに、狩猟祭もあるしな。
おっと、その前にレラの誕生パーティーがあったか。今年は何を送ろうか。あの子も来年には成人だし、そろそろパーティーで使うアクセサリーでも贈るとするか。
いや、待てよ。娘のコーニーに贈った時は、かなり微妙な顔をされたっけ。シーラからは、好みがあるからそれを聞いてから、もしくは石だけ送ってあとは好きなものを作れるよう手配だけするようにと言われたな。
よし、それにしよう。
目先の楽しみを思い浮かべながら王宮の廊下を歩いていると、見知った顔が向こうから来る。
よし、計算通り。本日彼が王宮に来る事は知っていたので、時間を合わせてきたが、丁度いい具合に行き会った。
「これはユルヴィル伯……いえ、もう隠居されたのでしたな。失礼、ラケラル卿。お久しぶりです」
「おお、これはアスプザット侯爵閣下。ご無沙汰いたしております」
ラケラル卿は、こちらを見て何だか疲れたような表情をしてみせる。はて。以前はもっと鋭い眼光のご老体だったはずだが。
年齢がどうこうではない。彼は長い事白嶺騎士団の団長として辣腕を振るってこられた。
その座を嫡男のヘリダー卿に譲り、夫人と一緒に隠居したと聞いていたが……それだけで、こんなにくたびれるものか?
「老いた身なれど、陛下からのお召しがありましてな。こうしてまかりこしました」
「そうでしたか」
だよなあ。隠居したら、社交界からは身を引くものだし、ましてや王宮なぞ来るものではない。
とはいえ、陛下がご幼少のみぎりからお側で魔法の教師を務めたのはこの方だ。中立派とはいえ、王家派の我が派閥からの印象も悪くない。
だが、それはラケラル卿本人に対してのみだ。
「ラケラル卿、少しよろしいかな?」
「はて、この老骨でよろしければ」
ええ、あなたに用があるのですよ。というか、あなたの家に関して聞きたい事がある……だな。
王宮にはいくつか貴族が使える部屋があり、ここもその一つだ。大きく横に広い王宮の、西側にある建物……西翼の二階。ここは申請すれば王宮に入れる貴族は誰でも使用可能なのだ。
しかも、今は貴族が少ない夏だしな。
いくらか時候の挨拶など交わし、お互いの近況を軽く話した後、切り出した。
「さて、実は少し聞きたい事があるのですよ。主に、現在のユルヴィル伯爵について」
「……倅について、ですか」
おや、覚悟はあったようだな。まあ、我が家とペイロンの関係なぞ、王宮では有名だからか。
そのペイロンに、わずか三歳で放り込まれた娘がいる。目の前に座る老人の孫娘、レラだ。
あの日は私達もペイロンにいたから覚えている。粗末な馬車で、しかも幼子を乗せているというのにろくな休憩も入れずに走り通しだったという。
あの子の付き添いとかいう、躾のなっていない侍女がぼやいていた。その侍女は、ぐったりとしたレラを放り投げるようにケンドに引き渡したのだ。 それを見たシーラの怒声に首をすくめながらも、侍女は馬車に乗って元来た道を帰っていった。
可哀想に、レラはすっかり疲れていて、その晩は熱まで出したという。シーラと一緒にシービスもかなりのお冠だった。
思えば、レラは不思議な子だったな。三歳などという、赤ん坊に毛が生えた程度の年齢だったというのに、酷く冷静だった。
自分が家から出されてここに捨てられた事、寄る辺ない身ではこの先生きていけない事。
たどたどしい言葉遣いではあったが、正確に現状を把握していた。その上で、もう家には帰れないから、ここに置いてほしいと静かに願う姿は、シーラやシービスだけでなく、私達男性陣の涙も誘ったものだ。
特に、私にはあの子と一つしか違わない娘コーネシアがいる。我が娘がそんな目に遭ったらと思うと、今にもクイネヴァンの首根っこをひっつかみに行きたい程だった。
ケンドとシーラの二人に止められなければ、本当にやっていたかもしれない。
今思えば、あの二人もクイネヴァンは締め上げたかっただろうに。派閥や力関係で、どうしても切り離せないのが口惜しい。
そういえば、ユルヴィル家の代替わりがあったのは、その頃だったな。
「今、ヘリダー卿がペイロンに向かわれている事は、ご存知かな?」
「……はい。本日私が王宮に呼ばれたのも、それがあるからです」
ほう。ペイロンからは、陛下からの要請により、白嶺騎士団が魔の森の調査に来ている、という話だったが……違ったのか?
「その内容を、聞いてもいいかな?」
「もちろんですとも。内容は、閣下もご存知の事ですから」
というと、やはり魔の森の調査の件か。ヘリダー卿が団長を務める白嶺騎士団は魔法士部隊でもある。氾濫の兆候を見せた森の調査に向かうのは当然だが……
ラケラル卿の顔を見ると、それだけではなさそうだな。
「ペイロンの魔の森の調査、あれは本来騎士団の中堅騎士のみで向かう事に決まっていたそうです。ですが……」
「ヘリダー卿が、自分が行くと言い出した?」
「そうです。それも、若手二人のみを連れて」
その辺りはシーラからも聞いている。やはり、あの少人数はおかしかったんだな。
「ラケラル卿、ヘリダー卿がごり押ししてまでペイロンに向かった理由、ご存知ですよね?」
「……はい」
知っていてくれなければ困る。ヘリダー卿め。今頃レラを引き取るなどと言い出すとは。
ヘリダー卿と故ヘピネル夫人は、兄妹仲が悪かったと聞いている。よくある話だが、跡継ぎの長男は厳しく、余所に嫁に出す娘は溺愛という家だったらしい。
それでも各家で兄弟姉妹がうまくいくよう取り計らうものだが……
やはり、ヘピネル夫人を産んでから、ラケラル卿の奥方ソリル夫人が寝込むようになったのが大きいのかね。
家内を取り仕切るのは女主人の仕事だが、寝付いていてはそれも出来なかったのだろう。
そこに考えなしに娘ばかりを甘やかす父親……ヘリダー卿の鬱憤が見えるようだ。
とはいえ、それをこちらに向けられても困る。家内の事は家内で終わらせてくれ。
「……もしやと思いますが、十一年前のあの時に、ローレル嬢を引き取らなかったのは、ヘリダー卿の意向ですか?」
「ええ。あの子を引き取るなら、自分が家を出ると言い出しまして」
出ておけば良かったんじゃないかな。いや、でもそうすると今のレラがいなくなるな。それは困る。
あの子は、ペイロンで育った方が幸せなんだ。うん、絶対。
ちょっと脳筋に育った気もするけど、大丈夫。
「そのヘリダー卿が、何故いきなりローレル嬢を引き取ると言い出したんですか?」
ラケラル卿が言いよどんでいる。だが、ここで逃がすつもりはないぞ。諦めて喋ってもらおうか。
笑顔で圧をかけたら、向こうが根負けしたのか諸々を鑑みたのか、やっと重い口を開いた。
「……倅は、孫娘がデュバル家を継ぐ事を聞いて、引き取る事を決めたのです」
「は?」
待て待て待て。確かにそれは決まっている。だが、まだ表には出していないし、何なら内密にと関係各所に通達してあるはずだが!?
誰 だ ? 喋 っ た 奴。
「……ラケラル卿、ローレル嬢がデュバルを継ぐという話、誰に聞いたのかな?」
「ビーリニス伯爵です」
あのお調子者かああああああ!!
社交的で誰とでも仲良くなれるのはいいが、言ってはいけない事まで話す粗忽者でもある。
うちの派閥の一員なんだよな……その繋がりで、レラの事も小耳に挟んだんだろう。
だが、だったら何故、今話してはいけない事という項目まできちんと聞かないんだあの馬鹿は!
「……よくわかりました。それで、ヘリダー卿はローレル嬢がデュバル家を継ぐと聞いて、引き取る気になったと。それは、デュバルをユルヴィル家が取り込む為と考えてよろしいか?」
ラケラル卿の顔色が悪くなる。まあ、確執のある親子だもんな。
「おそらく、そうなのでしょう。あれが何を考えているのか、私にはもうさっぱりわからんのです」
しっかりしろよ。……まあ、とっくに隠居している人だから、我が子の監督責任はないけど。
それでも、息子が間違った道に行きそうになってたら、殴ってでも軌道修正しろよと言いたい。
いや、物理的に殴るのはペイロンだけだが。
おっと、親子といえば、もう一つ確認しておかないと。
「それはそうと、ヘリダー卿のご子息も息災かな?」
お? 目に見えてラケラル卿が動揺しているぞ? 聞かれたくなかったのかな? だが聞く。
血が繋がった従兄弟とはいえ、レラに妙な手紙を送ってきたんだからな。
じっとラケラル卿を見ていると、何だか蛇に睨まれたカエルを見ているようだ。これでも現役の頃は、各騎士団にも睨みの利いた人だったのに。
何が彼をこんなに弱くさせたんだろう。
「アスプザット侯!」
おお、いきなり大声を出すのはやめてほしい。びっくりするじゃないか。
「何かね?」
「恥を忍んでお願いいたす! どうか、孫に助力を願いたい!」
またいきなりだな。祖父と孫、二人して他人の力に頼るのは、感心しないな。
「それは、カルセイン卿がローレル嬢に宛てて書いた手紙の内容に関する事かね?」
「そうです。ひいては、孫娘の為にもなりましょう。ヘリダーがあの娘を手に入れてしまったら、デュバルが滅びかねん!」
聞き捨てならない一言だ。確かにデュバルをユルヴィル伯爵家に取り込みたい野心があるんだろうが、それがどうしてデュバルの滅亡に繋がるんだ?
まさか、取り込んだ後に潰す気だとでも?
「倅は、ヘリダーはもう儂の言葉など聞かん! カルセインの言葉にも耳を傾けず、ヘピネル憎しの一念で動いておるのじゃ」
言葉遣いが素に戻っているよ。まあいいか。
だが、やはりヘリダー卿の行動の理由は、ヘピネル夫人にあるのか。夫人が亡くなってから、既に数年は経っているのに。執念深いねえ。
とはいえ、事がレラの身に降りかかる火の粉である以上、こちらとしても手を出さないという選択肢はない。
向こうから助力を頼んできたのだ。せいぜい利用させてもらおうじゃないか。
「ラケラル卿、詳しい話を聞きましょうか」
さて、どう料理しようかねえ。
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