第32話 招かれざる客

 ヴァーチュダー城の奥、身内だけの空間だからか質素な、でも上質な家具が揃えられた部屋。


 ここ、家族間で大事な話をする部屋だ。魔法防御はザルのヴァーチュダー城において、この部屋だけは盗聴だのなんだのの防御がしっかりと施されている。


 そこに、伯爵とシーラ様、ジルベイラ、それに森から帰ったばかりのところを捕まえられたヴィル様達兄妹がいる。


 あ、もちろん私と黒騎士も。


「さて、全員揃ったな」

「兄様、一体どうしたの?」


 シーラ様が眉間に皺を寄せている。


 仕事の話なら、奥のこの場所でなく表の部屋を使うはず。本来この場に入れない立場のジルベイラがここにいる事で、緊急の事態だと判断してるんだろうな。


「本題から言おう。魔の森が氾濫する予兆があった」


 伯爵の口から出た言葉に、伯爵とジルベイラ以外の人が全員驚きに声をなくした。


 魔の森が、氾濫? それって、普段は森から出ない魔物達が、大挙して出てくるって、あれだよね?


 室内がしんと静まりかえった中、伯爵がにやりと笑う。


「とはいえ、実際に氾濫が起こるには、まだ一年二年は猶予があるがな」


 ええええ。何だよー、焦っちゃったじゃないかー。ヴィル様達も、ほっとしている様子だ。


「こら。今、何だよとか思っただろう?」


 ギク! 何故バレる?


「特にレラ。お前は顔に出るからな」

「伯爵、酷い」


 伯爵と私のやり取りに、緊張した空気だった室内に笑いが広がった。


 まさか、これを狙った? でも人をからかって場を和ませるって、普通に酷くね?


「まあ、一年二年の猶予はあるが、準備期間ですぐに消える。むしろ、足りないくらいだ」

「伯父上。備えるとは、具体的に何をするんですか?」


 ヴィル様の質問に、伯爵が細かく答えていく。


「全てだ。ペイロン領の総力を挙げて対抗する。魔の森の氾濫とは、それ程のものなのだ」


 伯爵の言葉に、室内がしんと静まりかえる。ペイロンの総力って……そんなに凄いんだ、氾濫って。


 昔話としてしか知らないから、実感が湧かない。


「まだ一年ある、だが、あと一年かそこらしかない。それを肝に銘じておいてくれ」

「はい」


 ヴィル様、ロクス様、コーニー、それに私。全員が頷いた。


「ユーイン卿、君には至急、王都へ戻ってもらいたい」

「え」

「今話した事を、陛下に報告してほしいんだ。それと、君の父上にも」

「……わかりました」


 あー、なるほど。黒騎士は騎士団の仕事で王宮にも出入り出来るし、父親は派閥の上の方にいる人だ。


 そこに話を通しておく事で、備えをより万全にしようって訳だね。魔の森の氾濫はペイロン領だけの問題でなく、国の問題って訳だ。


 そうだよね、ペイロンを突破されちゃったりしたら、森から出て来た魔物は他の領や王都も目指すかもしれない。


 もちろん、ここで食い止められるよう頑張るけど、物事には絶対ってないからね。


「ここから王都までは、馬を飛ばしても三日はかかる。もう遅い時間になるから、明日一番で出立してくれ。替えの馬は、途中に用意するよう伝令を出す」

「承知いたしました」


 黒騎士は騎士の礼を執ると、部屋を後にする。支度に取りかかるんだろう。


 部屋に残ったのは、いわゆる身内のメンツだ。


「兄様、氾濫の予兆というのは本当なの?」

「当たり前だ。こんな嘘を吐いてたまるか」


 確かに。伯爵は嘘を吐くくらいなら黙るタイプだし、何より領の、ひいては国の一大事になるような事で嘘を吐くような人でもない。


「でも、前回は人為的なものだったとして、氾濫が起こるには早すぎない?」

「記録では、前回が今から五十七年前、その前が二百四十一年前、さらにその前が五百三十四年前。それ以前は記録には残っていないが、伝承としてもう三度、氾濫があったという」


 ん? 今、何か引っかかる事をシーラ様が言わなかった? 人為的とかなんとか。


「伯爵、人為的って、どういう事ですか?」

「ああ、コーニーやレラは知らなかったか」

「兄様、成人したら教えようと思っていたのよ」

「そうか。ヴィルやロクスにも、成人してから教えたんだったな。少し早いが、いいだろう。人為的というのはな、レラ。そのままの意味で、人の行いが原因で森が氾濫したんだ」

「え?」


 人が、氾濫を起こした? どういう事?


「仕組みそのものはわかっていない。だが、五十七年前の氾濫は、某国が森の一部を焼いたのが原因で起こったのだ」

「森を焼いた? ……それで、森が怒って氾濫したと?」

「そうかどうかは、わからん。ただ、森を焼くと氾濫が起こるのは本当だそうだ。実際、前回の氾濫の時は、森を焼いた国が一番被害が大きかったと聞いている」


 魔の森を囲む五つの国は、離れていてもお互いに国交がある。もの凄ーく遠回りな道を通って連絡のやり取りをしているらしいんだ。


 で、その各国で調査した結果が、五十七年前の氾濫の真相だったそうな。何でも、功を焦った一団が勝手にやった事らしい。本当かな。


 まあ、それはともかく、前回からはまだ六十年も立っていないけど、前々回から考えると周期としてはそこまでおかしくはない。前回がイレギュラーなだけだね。


 いや、氾濫が周期的に起こるものとも決まってないけどさ。


「そういえば伯父上、予兆があったと言ってましたけど、何があったんですか?」

「ああ、それを話してなかったな。これを見てくれ」


 ヴィル様からの問いに、伯爵は手元にあった書類を見せる。あれ? これ、私が今日狩った魔物のリストだ。


 そういや、買い取りもまだだったよ……


 一覧を見ていたヴィル様達の顔つきが変わる。


「オオツノヒヒ? 誰がこんなの狩ったんですか!?」

「レラだよ」

「はあ!?」


 え? そんなに驚かれるようなもの? 確かにオオツノヒヒは森の奥で出るって言われてる魔物だけど。


 魔の森に出る魔物に関しては、図鑑がある。長い時間をかけて蓄積してきた知識を、図鑑という形で公開しているんだ。


 ただ、本にはどのエリアで出るかは、ざっくりしか書かれていない。手前とか中程とか奥の区域とか。


 深度五って、一応奥の区域に分類されるんだよね。だから、奥で出ると言われているオオツノヒヒが出てもおかしくないし、出れば私が狩ったところで不思議でも何でもない。


「レラ、オオツノヒヒがどの深度で出るか、知ってるか?」


 ヴィル様、顔が怖いですよ。


「いいえ? でも、奥で出るって図鑑にはあったから、深度五にいても不思議はないんじゃ――」

「深度六、それも七との境だ」

「へ?」


 思わず、ヴィル様の顔を見る。凄く、真剣な顔。


「深度六の最奥に行かないと出てこない魔物だ。それを、お前は……」

「いやいやいや、だって、本当に深度五、それも手前の辺りで狩ったんですよ!?」

「ペイロンヒヒの数も多いですよ、兄上」

「だろうな。伯父上、これが予兆なんですね?」

「ああ」


 もう、三人だけで通じる話をしてー。まあ、魔物の分布が変わるってのは、それだけ大変な事なんだろうけど。


 でも、なんでこれが予兆?


「レラ、森の氾濫は、中央から起こると言われている。いつ、誰がそれを言い出したのかは知らないが、確かに氾濫が起こる前には予兆となる動きが森にはあるんだ」


 首を傾げる私に、伯爵が教えてくれた。


「それが、奥の魔物が手前に出るって事ですか?」

「そう。奥から何かに駆り立てられるように、普段はいない浅い領域に深い領域の魔物が出没する。今回はまだ始まり程度だ。これが進めば、手前の浅い領域で、森の最奥にいる魔物が出るようになる。そうなれば、氾濫はもう目の前だ」


 つまり、今回私が深度五でオオツノヒヒを狩った事自体が、予兆になるという訳か。だからジルベイラも慌てたんだね。


「丁度再来月には狩猟祭があるし、派閥内の周知はそこですればいいわね、兄様」

「そうだな。それにしても、厄介な事がやってくるもんだ」


 シーラ様も伯爵も、げんなりした顔だ。魔物の氾濫だもんね。いくら備えても、やりすぎって事はないだろうし。


 それに、最奥の魔物も出てくるとなったら、狩れる人間いるのかね?




 翌朝、起きたらもう黒騎士は出立した後だった。夜明けと共に出たらしいよ。お疲れ様です。


 とりあえず、氾濫の予兆はあっても私達に出来る事は今のところないそうな。なので、今日も普段通りに森に入って狩りをする。


「レラ、今日からヴィルとロクスが深度五に入るぞ」

「え? そうなんですか?」


 なんと、昨日二人だけでペイロンヒヒを三頭、倒したんだって。あれ? コーニーは?


「私だけのけ者とか、酷いわよね!?」


 涙目のコーニー。可愛いけど、確かに酷くね?


「深度五は危険なんだよ」

「レラはそこに行ってるじゃない!」

「こいつはあれだ、あー……普通じゃないから」


 いや、ヴィル様。それも何気に酷くね!?


 それよりも酷いのは、二人は森での夜明かしオーケーなところだ。酷い!


「ヴィルもロクスも成人してるだろ? レラも十五歳になったら、許可を出してやるから」


 伯爵、絶対ですね? それまでに、快適な携帯型宿泊所を作ってやるう!


 今あるのは研究所で見せてもらったけど、プレハブを持ち運び出来るようにしましたって感じ。私が求めるレベルにはまだまだだ。


 森の中とはいえ、居住性に妥協はせんぞ!


「絶対森での一泊をもぎ取ってやる!」

「私は深度五へ進めてみせるわ!」

「頑張ろうね! コーニー!」

「ええ!」


 女子二人で、熱く誓い合ってみた。周囲の目が生温い気がするけど、気にしない。




 初めてオオツノヒヒを狩った日から七日。あれからも、魔の森には毎日入っている。


 こうしていると、氾濫の予兆があるなんて、信じられないな。


 でも、オオツノヒヒは、毎日のように出てくるんだよね。こいつら、ペイロンヒヒに比べると魔法が通るので、簡単に仕留める事が出来る。


「だからといって、一日に十頭も狩ってくるなんて……」


 頬に手を当てて溜息を吐くのはジルベイラだ。あれから彼女は、私とヴィル様、ロクス様専用の素材屋になっている。


 といっても、毎日持ち込むのは私だけで、森での夜明かしが許されている二人の方は、二日に一度、三日に一度の頻度で買い取りに出しているそうな。


 いいなあ、森での宿泊。


「早く十五歳になりたい」

「焦らずとも、来年のお誕生日には十五歳じゃありませんか」

「だってえ」


 ジルベイラの言葉はもっともだけど、今、なりたいんだよ。これが年齢がいくと、逆に年を取りたくないって思い始めるのは、私も知ってるんだけどさ。


「そんなに森で寝泊まりしたいんですか?」

「そうすれば、もっと奥まで行けるし」


 結局は、そこだ。当初の目的は、森を抜けて違う国に行く事だった。


 でもなあ……実家はどうでもいいけど、領地の事が絡んでると、どうでもいいとは言い難い。


 ペイロンともがっちり関わってるしね。それに、私自身は一度も行った事ないけど、領地には領民もいるんだし。


 見ず知らずの人達の生活がかかってるとなったら、簡単に放り出せない。綺麗事は言うつもりないよ。でも、実際にその立場に立つと、やっぱり無責任な決断なんて出来ないって。


 それに、いざ国を捨てるとなると、ペイロンも全部捨てなきゃいけない。今の私に、それが出来るのかっていうとねー。


 ジルベイラが計算しているのをぼんやり眺めつつ、ぼんやりとそんな事を考えてみる。


「あら、何か、表の方が騒がしいですね」

「あれ? 本当だ」


 ぼけーっとしてたから、気付くの遅れた。何か、あったのかな?


 ジルベイラと一緒に買い取り所の奥から出て広場を見ると、何だか場違いな人達がいる。


 あ、黒騎士。もう戻ってきたんだ。その隣には、いつぞや見た白騎士もいる。


 ん? って事は、あそこにいる人達、ペイロンで修業する第一陣の人達? でもあれって、黒騎士だけで、白騎士の人達はいなかったような……


「あの人達、何者でしょう?」

「王都の騎士団の人達。黒騎士と白騎士がいるから」

「……黒騎士というのがフェゾガン侯爵家のユーイン卿だというのは知っていますが、白騎士というのは?」

「黒騎士のお友達?」


 あれ? 違ったっけ?


 ジルベイラからの冷たい視線から逃れていたら、伯爵が来て集団の中の誰かと話してる。


 ……伯爵、顔が険しいよ。よくない相手なのかな?


「……嘘」

「ジルベイラ?」

「今、閣下と対している方、ユルヴィル伯爵だそうです」

「え? 何でわかったの?」

「私、唇の動きが読めるんです」


 読唇術ってやつ? ジルベイラ、なんて恐ろしい人。


「閣下とユルヴィル伯爵という方が、何やら言い合ってますね」


 仲悪いのかな。ユルヴィル伯爵ねえ……どっかで聞いた名前……あ!


 実母の、実家の名前だわ。という事は、あそこにいるのは母方の伯父か叔父って事?


 何か、嫌な予感。

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