[8]

 湯島が口を開いた。

「君はミサイルを撃った根拠だが、それはIFFに応答が無かったということだね」

 三雲はうなづいた。

「君は装置の応答だけを信じるのかね?」

「あの状況でIFFから返事が無ければ、十中八九、味方ではありません」

「目視するまでは、敵だと分からないはずだ」

「あなたはそんなに自分の眼を信じておられるのですか?」

「君も自衛官ならスクランブルにおける行動規則は分かっているはずだ」

 防空識別圏にアンノウンが侵入した場合、平時に航空自衛隊の戦闘機が出来ることは限られている。目視できるまで当該機に接近して警告を発する。もし相手が警告に従わなかった場合は敵機を圧倒的に凌駕する空戦技法・戦術を駆使して、敵機の動きを封じて否が応でも従わせるしかない。湯島はそのことを指摘していた。

「自分は戦闘機パイロットです」三雲は言った。「ですから《イーグル》―装置の警告を信じます。当たり前です。だから今日まで生きてこられたんです」

 湯島が怒気を含ませた顔で身を乗り出してくる。岸元が防衛書記官を抑えて言った。

「それで、敵のミサイルはどうした?」

「1本は撃墜できましたが、もう1本は失敗しました。ミサイルはそのまま編隊長リーダー機の方角に向かったので、〈ラーク2・2〉に通じて警告を」

「君はその後、どうした?」

「〈エックスレイ2〉が領空に向かって直進を続けてきましたので、対処を」

 三雲はヘッド・アップ・ディスプレイに映る敵のシンボルを睨む。すでに十数回、IFFの質問電波を発している。返答は無かった。遠距離からいきなりミサイルを撃ってきた相手だ。敵が誰であるにせよ、その意図ははっきりしている。スロットルレバーを握っている左手を開き、また握り締める。縦2本のレンジ・ゲート・マーカーがディスプレイ上を流れるように移動する。目標を挟む。目標設定ボタンを押し込む。

 ロックオン。

「スパロー」はすでに2発とも発射していた。ここで敵が同じミサイルを撃ってきた場合は迎撃する術は無かった。ヘッド・アップ・ディスプレイに並ぶ数値を読む。敵の速度は600ノット。マッハ1・2。高度は27000フィート。ほぼ正面に位置している。敵との接近速度はマッハ2をはるかに超えている。すれ違うまでに2分とかからないだろう。

 仕掛けて来ない。

 敵も長距離ミサイルを撃ち尽くしたのだろう。三雲はそう思った。五分と五分。三雲は兵装セレクタースイッチをSRM(短射程ミサイル)に切り替える。三雲のF-15には4発の赤外線追尾式ミサイルAAM-5を搭載している。射程は約40キロ。すれ違いざまの一撃では躱される可能性が高い。古典的な空中戦になりそうだった。ドッグ・ファイト。相手の尻を噛みつこうとぐるぐる回って隙を狙う様子が犬の喧嘩に似ていることから、そう呼ばれる。

 わずか150メートルほどの距離で敵とすれ違った。その際に生じた衝撃波で、三雲は一瞬だけ頭が真っ白になる。身体が反射的に動いた。操縦桿を右に倒して下に叩き込む。アフターバーナーは全開。機速はマッハ2を超えている。急激な降下旋回に反応して、太股を包んでいるGスーツ内の気嚢が膨れ上がり、血管を圧迫する。それでも重力に抗しきれなかった血液が上昇してくる。眼の前が赤くなる。

 レッド・アウト。

 三雲は本能的に操縦桿を緩める。右のフットバーを思い切り踏み込む。右旋回。左眼が飛び出しそうだった。首を巡らせる。ヘルメットが重い。《敵は?敵は?》単機で乗り込んできたことを後悔していた。黒っぽい機体が視界をかすめる。敵だ。敵は機首を鋭く上げ、上昇に転じる。

 空中ですれ違った刹那、2機の戦闘機は別れる。上昇旋回の頂点に達した敵の機首が三雲機―《イーグル》を求める。下方、2000フィート。《イーグル》の熱源を捉えた赤外線追尾式ミサイルの感知部がパイロットにオーラルトーンを送った。パイロットは躊躇わずトリガーを押した。翼下からオレンジ色の炎が噴き出し、ミサイルが飛翔した。

 コクピットにミサイル警報。三雲は咄嗟に操縦桿を左に倒す。右に旋回していた《イーグル》の機体が左に急旋回を切る。すかさずフレアを発射する。敵のミサイルがわずかに脇を逸れる。フレアに引き寄せられた刹那、中空で炸裂した。敵は降下に入る。

 三雲は大きく左に旋回しながら、操縦桿を引き起こす。敵を眼で捉えようとするが、暗い視界では何も見えない。ヘッド・アップ・ディスプレイには数十個の光点フリップが表示されている。敵が電子妨害ジャミングを仕掛けているからだ。さらに操縦桿を引いて機首を上げる。AAM-5が敵を捉える。

発射フォックス・ツー

 命中するとは思っていなかった。逃げるために1発。

 敵はわずかに針路を変えただけで三雲のミサイルをやり過ごす。東に逃げた目標―三雲機を捉えてアフターバーナーを点火して加速。再び赤外線追尾式ミサイルを発射。

 クソッ。

 コクピットに再びミサイル警報。三雲は半ば夢を見るような気持ちで警報を聞いた。ヘルメットが汗で滑り、額の下まで落ちる。夢中で操縦桿を倒し、フットバーを蹴る。高度が墜ちる。段々と低空に追いつめられる。ミサイルが6時、真後ろから迫る。尻を振りながら逃げを打つ。思い切って操縦桿をひねる。バレルロールを打ち、フレアを発射。ミサイルがわずかに逸れる。2本目のミサイルもフレアに引き寄せられて中空で炸裂。

 敵は機首を真下に向けたまま、垂直降下に入る。

 三雲は強引に操縦桿を引いた。《イーグル》のエンジンが悲鳴を上げる。機体が上昇に転じる。レーダー警戒装置が警報を送ってくる。敵が距離を詰めてくるのは百も承知だった。三雲は胸奥で心臓が跳ねるのを感じた。反転する機体の中で、唸り声を上げる。上昇する《イーグル》、下降する敵機。

 敵のパイロットは驚愕する。急上昇した《イーグル》が眼の前いっぱいに広がってくる。兵装セレクタースイッチを機関砲ガンに切り替えて操縦桿のトリガーを切る。20ミリ機関砲弾が毎分6000発の勢いで吐き出される。曳光弾がオレンジ色の帯を作る。一瞬よろめいた《イーグル》が態勢を立て直して間隙を衝いてきた。パイロットはフットバーを蹴り、操縦桿を倒した。敵機が不自然な姿勢のままフラリとよろける。一瞬だが機速が鈍った。

《チャンスだ―》

 敵機のエンジンから放出される赤外線を捉えたAAM-5の感知部がイヤレシーバーにオーラルトーンを送ってくる。

発射フォックス・ツー

 三雲はすかさず操縦桿の発射スイッチを2度押し込む。

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