神谷琴音の思いと新作作り

「おはようございます」

 時間通りに来た孝は、ホテルの部屋のチャイムを鳴らした。

 そんなに時間はかからずに神谷さんが出て来た。

「おはよう、コウ君。いつも時間ピッタリだよね」

「まあ、何か急用でも出来ない限り、遅れたら信用を失うと思って」

 今は学生だから、作家の仕事を多少疎かにしたぐらいで生活に困ることはないかもしれない。でも、もし専業作家としてやっていくなら、編集の神谷さんぐらいには信用を失って欲しくない。

「まあ、心配になる必要がないので、こちらとしては気が楽だけど。別に、多少は遅れたっていいんだよ」

「そういうものですかね……」

「まあ、コウくんはそのまま純粋に育って下さい。前の担当作家の子は本当に酷かったですからね」

「そんなに酷かったんですか?」

 前の担当作家がやらかした酷い事を思い出しているのか、次第にプルプル震え始めた。

「平気で待ち合わせに遅れるし、締め切り破り常習犯だし、なのに、書き上げたものは面白いとか、今の出版業会を舐めてるんですか」

 神谷さんの怒りがどんどんぶち撒けられてきた。

「と、ところで、ゲラ一覧の方なんですけど……」

「ああ、いつも通り事務仕事は早いよね……。凄く助かるわ。えーっと、何にチェックしたのかな〜」

 思わず、素知らぬふりをして資料やメモを出そうとしたら、腕を掴まれた。しかも、かなり力が入っている。孝は大人しく、神谷さんの方へ向き直ることにする。

「コウ先生。この夥しい数のチェックはなんですか?」

「えーっと、……その……ごめんなさい」

 昨晩、ウキウキしながらつけたチェックは、今回のゲラ一覧の三分の二に近かった。

「これを本当に読み切るんですね?」

 孝が神谷の後ろに修羅を見たのも気のせいではないだろう。

「は、はい」

「面白いと思った作品に関しては推薦文を必須にしますが、どうしますか?」

「か、書きます……」

「なら、まあいいです。作家のモチベーションアップにつながるなら、私がこっちに来るときの荷物が重くなろうが構わないです」

「本当にすみません」

「そのかわり、ちゃんと推薦文は書いてくださいね」

 神谷さんには申し訳なさしかないけど、こうやって、最終的には笑い飛ばせる器の大きさに少し憧れたりもする。

「それと、今朝ラズベリー文庫編集長からのメールで、コウ先生の次回作は来年の秋に刊行したいとのことです」

「結構ブランクが開きますね」

約一年。そのブランクは小さいように見えて結構大きい。一年間何も出さないままだと、忘れ去られてしまう作家さんも多いと聞く。

「何が問題でもあったんですか?」

「問題はないんだけど、いろんな作家さんから原稿が上がっているみたいで、出版枠の関係で秋になっちゃうのよね」

 どのレーベルも、その月に本が出せないということを極力避けたい。そのためには、あらかじめ、月毎の冊数を決めておくなどして前々から調整することもある。なので、たとえ原稿が完成していたとしても、出版枠の関係で出版が先延ばしになる事もザラにあるそうだ。

「わかりました。とにかく、いい作品を書けばいいんですよね?」

「コウくんみたいな前向きな心を取り戻したいです。それじゃあ、まずはプロットの方を完成させちゃいましょう」

「あ、それじゃあ、準備しますね」

 気持ちを切り替えて、今日のメインの仕事に取り掛かる。

 今のところ来年の中盤までの出版は決まっているけど、その先はまだ決まっていない。それに、この前出したのがBL小説だから、今日からはBL作品を中心に作ることになる。

「さて、コウ君は今回の作品のカップリングについて、どんな風にしたいの?」

 僕は書き上げるのは早いのに、設定をきちんと考えるのが苦手だ。だから、プロット作りの段階で、僕が描こうとしていることを神谷さんに伝えて、それを神谷さんと一緒に話しながらプロットを作っている。

 普通の作家さんなら、自分以外の人とプロットを考えるのは邪魔だと思うだろうし、そもそもプロットは自分で作らなければならないだろう。だからか、ほぼ全ての作家が、担当編集にアドバイスを求めることはあっても、自分でプロットを作っている。だが、神谷さんの場合は少し違う。僕の書きたいようにやらせてくれて、時系列で問題が発生したり、補正したりしてくれているので、本当にありがたい。

「今回は、ポワポワしている子とクールでイケメン、面倒見の良い子のペアなんですけど、どうですか?」

「相変わらず抽象的なまとめ方ね」

「す、すみません。で、どうですか?」

 神谷さんは少しの間黙り込んで、答えた。

「いいと思います。年齢層は今回も高校生?」

 いつもBL作品を描くときには想像しやすい年齢で描くようにしている。あと、読書傾向として、BL小説だと高校生のカップルが多かったので、自分で描くときも自然と高校生カップルになってしまう。

 でも、今回は少しだけ違う。

「実は、今回は中学生と高校生のカップルでやってみようと思うんですけど、いいですか?」

「それは、別に構いませんが、どっちが中学生ですか?」

「今のところ、攻めのイケメンの方です」

「ちなみに、二人の関係を聞かせてくれるかしら」

「二人は幼馴染で家族ぐるみの仲。年は一つ違いなんですけど、高校生の方が少し頼りなくって、立場的には逆転してる感じです。あとは、よく二人っで遊びにいったりとかする仲良しぐらいですかね」

「……」

「あの……神谷さん…?」

 このときの孝は内心かなり焦っていた。

 自分の中ではめちゃくちゃ面白いと思っていた展開がボツになるのは凄く悲しい。しかも、話の展開が酷いときっぱり言われる分にはまだいい。でも、溜められると反応に困るし、どんな反応を示すのかが気になる。

「いいと思います」

 どうやら、孝の心配は杞憂だったようだ。

「本当ですか?」

「ええ。二人の仲とかデート風景があっさりと思い浮かんできました」

「じゃあ、あとはストーリーですね!」

 僕の場合、キャラクターが好印象ならストーリーもいいものができることが多い。そして、キャラクターが浮かんだ時点で大体の話はできていることが多い。今回も例には漏れず、大体の話の流れを考えてきていた。

「今朝思いついたメモを読みますね」

 そう言って、電車の中で書いたメモを読んだ。内容はこうだ。

 家族ぐるみの付き合いをしていた二人。二人は大抵一緒にいたが、一人が高校生になってから、妙に中学生のことを意識してしまうようになった。

 ある日の放課後、高校生の部屋に集合して、二人して勉強していたとき。疲れたからと寝た中学生の顔が綺麗で、思わずキスをしてしまう。してから、自分は何やってるんだろうと焦って、ちゃんと考えてみたら、自分は中学生のことが好きなんだとわかった。

 それから、高校生の方の会話が少しぎこちなくなった。それは高校生に何か隠し事があるんじゃないかと中学生は思った。それを確かめたくて、中学生は二人でデートをすることにした。

 デートの帰りがけに通ったビルにある名物の観覧車を見て、二人で乗ることにした。その観覧車の中で中学生は高校生の心を聞く。それを聞いて、自分にとっては気持ち悪くないこと、むしろ嬉しいことを伝え、二人の恋が結ばれる。

 まだ、登場人物の名前すら決まっていないし、ストーリーに何か意外な点があるわけでもない。

 でも、この話を思いついたときに、こんな話があったら素敵だろうなと思った。

 話を静かに聞いてくれていた神谷さんは、少し重たそうに口を開いた。

「ストーリーは平凡です。なので、今回はキャラクターだけになってしまうかもしれません」

 神谷さんの言うことも分かる。確かにそれは、僕も懸念していたことだ。どこにでもありそうな展開。誰でも書けそうな展開。キャラクターが際立ちすぎて、ストーリーが薄れてしまうかもしれない。

「でも、面白い。なので、今回は私の意見を挟まずに一旦書いてみてください」

 意外だった。神谷さんだから、この話を面白くするために早々に上方修正すると思っていた。

「良いんですか?」

「もちろん」

 神谷さんは凄く上機嫌に答えた。

「だって、コウ先生の小説の読者第一号の私が言うんですから、面白いに決まっています。いままではサクサクと作品作りに入っていた分、今回の小説には長い時間かけて作りましょう」

「分かりました」

 とりあえず、今日から忙しくなりそうだ。この小説は多分、神谷さんと僕がタッグを組んでやってきた中で、一番の長期戦になっちゃうかも。でも、この作品はちゃんと書きたいなと思った。

「それじゃあ、一回書いてみます」

 ここからが、正念場だろう。

 孝は気持ちを新たに、思い浮かんだエピソードを書いてみることにした。


***

 普通の編集者は売れる作品づくりをするのだろう。

 私も基本的にはそうするように心がけている。

 だけど、今回の作品は妙に私の胸をドキドキさせた。絶対に面白い作品になる。そう思わせてくれた。だから、あえて今回は私がストーリーをいじらずに行こう。

 神谷は孝と話しながらそう思った。

 思い返せば、コウ君の作品はほとんどが受賞作品だが、唯一BLだけは受賞していなかった。それには、レーベルの編集者達があまりいい評価をつけなかったことにある。もちろん、それなりに評価は高かったが、もっと情熱的な恋愛を登場人物達にはしてほしいというコメントが多かった。私自身は読んでいて物足りなさは感じなかったが、確かに、情熱的というより初々しい感じの恋愛だった。

 それは二作品目を書いたときも変わらなかったし、今回のものに関してはさらに初々しかった。

 でも、初々しい作品だからこそ、初恋をまた味わっているみたいに感じた。

 これは売れるか売れないかと言われても、完成したものを見ない限り分からない。そんな危ない橋は渡るものじゃない。

 でも、これは私が売りたいと思った作品なんだから責任もって売りに出よう。

***



「神谷さん、この二人のデートシーンなんですけど、カフェに入らせたんですが、何を飲んだら映えると思いますか?」

 先週から書き始めたものを、今週は実際に小説の形にしている真っ最中。その中で、二人のデートシーンでカフェに入って、親睦をさらに深めるシーンがあった。そして、孝はデートなんて経験はなく、話のつながり的に二人で一緒のものを頼むという話になった。

「そんなの、抹茶でも飲ませればいいじゃないですか」

「抹茶かー」

 一瞬、それで行こうかと本気で考えた。

「……なんですか、そんなすごい落ち着いたデートあります?品のいいおじさまカップルのデートじゃないし、ましてや、舞台は現代だし」

 現代の若者が私服でデート中なのに、抹茶はないでしょ。

「やっぱりそうよねー」

「コーヒーだと何も話を進められなくなるじゃないですか」

「確かに」

「かといって、普段は大人し目のこの二人がアイスフロートとかは、なんか嫌なんですよね……」

 あくまで僕個人の偏見だけど、アイスフロートはもっと活発な組み合わせか、シチュエーションが暑い日とかじゃないとなんか合わない気がする。

 ましてや、今回は秋が舞台なのに、アイスフロートはないでしょ。

「じゃあ、タピオカミルクティーとかどうですか?」

「あの、インスタ映えとかでなぜか流行ってるやつですか?」

「そうそれ。あれなら色的にも落ち着いてると思うし、秋っぽい感じしない?」

 確かに、見たことのあるタピオカミルクティーは少し茶色っぽくて、秋っぽい感じがする。

 でも……

「タピオカミルクティーは良い案だと思うんですけど、僕、飲んだことないんですよね……」

「たまに思うけど、孝くんって流行に疎いの?最近の男子高校生ってもうちょっと流行に敏感だと思うけど……」

 いや、だって、近くにあった時に、飲んでみようかなと思いはするけど、あんなに女子や女性が並んでいたら尻込みするじゃん。

「それじゃあ、今から取材も兼ねて飲みに行きますか?」

「え、それって、不味くないですか?」

 見方によっては高校生が大人の女性とデートしてるところにしか見えないと思うけど。

「不味くはないと思うけど。私も何回か飲んだことはあるし」

 どうやら、神谷さんと僕との間で意味の齟齬ができているみたいだ。

 でも、この齟齬を解消しようと進言したら、神谷さんにからかわれるんだろうな。それはなんか嫌だし……。

 まあ、ここは腹を括って、取材しに行きますか。

「わかりました。じゃあ、取材しにいきましょう」

「それじゃあ、近いところを調べるね」



 そう言って神谷さんが調べたところは、駅中にある全国チェーンの店だった。

 案の定、そこには女子や女性が多かったが、中には男子や男性の姿もあった。

「孝くんはこの行列からも、しっかりとイメージを掴み取ってください。で、小説にできるように考えといてください」

「わ、分かりました」

 小説を書くにあたって、取材するという経験があまりなかったので、何をすればいいかがいまいち分からない。小説内の食事シーンやなんかは、適当なお店に入った時に感じた感覚で書いているし……。

 そこまで思い至って、孝はあることに気がついた。

 そうじゃん。感覚を掴めばいいんじゃん。この場の雰囲気とかを掴んで、それを小説に落とし込むだけじゃないか。

 それを思いついてから、孝は早かった。

 店の内装や作る工程をじっくりと見て、それをメモしたり、体感で覚える。ただ……。

 これは、作り方については後から資料を探したほうがいいかもしれない。

 孝はそんなことを思ってしまった。

  


 並んでいる間にあらかた見た孝は、自分が注文する番になって、少しテンパることになった。工程を見ていたのは良いけど、注文する商品を決めていなかったのだ。

 まあ、冷静な状態の孝なら、登場人物達が飲むものタピオカミルクティーの名前を忘れていなかったかもしれない。

 だが、後ろに迷惑をかけるのはどうかと思っているので、余計にテンパってしまっている。しかも、唯一助け舟を出してくれそうな神谷さんは先に席に座っている。

「いらっしゃいませ。ご注文は何にされますか?」

 冷静を失った孝は、兎に角オススメを聞こうとした。

「えっと、オススメはなんですか?」

「そうですね。無難に勧められるものだと、タピオカミルクティーかと」

 孝が初心者だと思ったのか、店員さんがど定番の商品を勧めた。だが、それのおかげで本来注文すべき物を思い出した。

「そ、それのホットでお願いします」

「畏まりました。タピオカミルクティーのホットで一点で270円になります」

 そう言われて偶々千円札しかなかったので、それをパッと出す。

「千円のお預かりで、お釣りが730円になります。レシートはご利用ですか?」

「お願いします」

「それでは、横にずれてお待ち下さい」

 孝は、一仕事終えた気分になってしまった。だが、タピオカミルクティーの味をまだ確認していないので、まだ仕事は残っている。

「お待たせしました。タピオカミルクティーです」

 さっきの店員が渡してくれた。

「ありがとうございます」

 持った感じだと、見た目よりもずっしりとしていた。少しストローでかき回すと、容器越しにタピオカの少し硬い感触が伝わってくる。

 飲むのは席に座ってからにしようと思って、見回すと、神谷さんは奥の方にある二人掛けの席を取っていた。

「お待たせしました」

「全然大丈夫よ。私も久しぶりに飲みたかったし」

「そういえば、これって経費に入るんですかね?」

「入れても良いけど、申請は自分でやってください」

 神谷さんとちょっと雑談して、早速飲んでみる。すると、いきなり、スポンと、何か硬い球体が喉の奥にぶち当たってきた。

 思わずむせてしまう。

「コウくん、本当に飲んだことなかったんだね」

「そう言っているじゃあないですか!」

「確かにそうね。でも、あまり勢いよく飲んじゃダメよ。絶対むせるから」

 孝は、中学生の方が高校生に対してタピオカミルクティーの飲み方をレクチャーするシーンをちゃんと入れようと思った。

「次はゆっくり吸います」

 少しむくれながら言うと、神谷さんは少し笑った。

 気を取り直して飲んでみると、結構甘いミルクティーと、味はないが食感が楽しいタピオカが心を落ち着かせてくれる。ホットにしたのも大きいかもしれない。

「結構おいしいんですね」

「それはもちろん美味しいんでしょうけど、大体がこの飲み物を味わいに来ているんじゃないと思います」

「じゃあ、何しに来るんですか?」

「それはもちろん」

 そう言って、神谷さんはスマホの画面の一角を指差した。

「インスタに投稿する写真を撮るためなんじゃないですか?」

「そんなアプリがあるんですね」

 孝はタピオカミルクティーを飲みながら答えた。

 これが普通の男子学生なら、「ああ〜、そんなのが流行ってたな」と思うだろう。だが、相手は孝だ。今さっきまでタピオカミルクティーを一度も飲んだことがないような人だ。しかも、友達が少な過ぎるせいで流行にも疎い。そんな孝が、インスタ映えという言葉を聞いたことはあっても、インスタを知っているはずがない。

「すみません。流行に疎い人に答えた私がアホでした」

「え、あ、なんかすみません……」

 このとき、神谷さんは孝に流行の情報をちゃんと流そうと心に決めたのだった。



「それじゃあ、早速戻って、デートシーンを書き上げてくださいね」

「分かりました」

 ゆっくりと飲んでいた孝のおかげで、部屋を出てから既に一時間はかかっている。並ぶのに二十分近くかかったのだから、これぐらいの時間の超過は仕方ない。

「あ、今朝来たときに渡し忘れていたゲラを後で渡しますね」

「ありがとうございます!」

「あと、今回は多過ぎたので鞄を二つほど借りてきたので、明日来るときにまた持ってきてください」

「あ、はい」

 孝は若干重くなったお財布の代わりに、さらに重たいものを持って帰ることになるみたいだ。

「とりあえず、出版が早いものから先に読んでください。推薦文が書きたくなったものは書いてきてもらえるとありがたいですが、今度会うときに書くのでも構いません」

「あ、ちゃんと考えておきます」

 神谷さんは忘れていなかったようだ。

 心なしか、孝は気分が滅入ってしまった。



「神谷さん、やっぱり他の作品も書かなきゃいけないですよね……」

 日曜日。いつも通りにホテルの部屋に来てから、少し会話をしてる最中に孝が何気なく発した。

「はい。ていうか、昨日は取材だけでほとんどを潰したので、ちゃんとやらないといけないですね。ていうか、結局アズマレンさんの絵をまだ渡せてないので、とりあえず、あの作品以外は目標のところまで完成させましょう。でないと、私の荷物が重くなる一方なので」

「あ!アズマさんの絵貰ってなかった!」

 どうやら孝はアズマレンの絵を貰うことを忘れていたようだ。


 さて、話は二日前に遡ることになる。

 孝が学校帰りにいつものホテルにきたとき、いつものように、打ち合わせから入った。

「で、いつも通り、取材はお断りしとけば良いわね」

「はい。いつもいつもすみません」

「そう思っているなら、一回くらい取材受けてくれても良いのに……」

「|三穂(みつほ)ミチ先生との対談ならやりたいです」

 孝は一ファンとして、また先輩作家として三穂ミチ先生をリスペクトしている。だからこそ、三穂ミチ先生との対談なら喜んで引き受ける気でいる。

「それは一回話してみるけど、三穂先生が承諾してくれるかは運次第ですからね」

「わ、わかってます。ただ、そんな夢みたいな企画があったら良いのにと思っただけです」

「まあいいわ。それで、この前案を出してくれた作品があるでしょ」

 神谷さんが言わんとしている作品が、この前から書き始めているBL作品であることは容易に想像がついた。

「それは出版するのもまだまだ先だから、全然焦らなくていいんだけど、それとは別で、スパイラル文庫で書いてるシリーズのフェアをそろそろやりたいんだって」

 スパイラル文庫は柳原出版のライトノベルを扱っている文庫だ。そこで書いているシリーズは確かに売れ行きがいいらしい。確か、現在は二巻まで出ていて、二、三ヶ月に一回のペースで出版される用意はできているはずだった。

「それは構わないですし、柳原出版が勝手にやってくれればいいと思っているのですが、何か監修するものでもあるんですか?」

「うん。まあ、企画は勝手にやっるんだけど、それに合わせて出版を前倒しにしたいと思っているみたいで、まあ、アヅマレン先生の絵の兼ね合いもあるから、絵が出来次第にはなるみたいだけど。それに合わせて別シリーズを始めてみないかって提案があったの」

「構わないですけど、アヅマレン先生の仕事が忙しくなるんじゃないですか?」

 早めに原稿が上がっているからと言って、本が完成したわけじゃない。中の挿絵や表紙絵を描くイラストレーターの仕事もあれば、印刷所への原稿の手配もある。

 特に、イラストに関してはアズマレン先生一人に任せていることもあって、あまり出版を前倒しにできない。しかも、既に来年の夏に出版する原稿が出来上がっているので、冊数にして十三冊。これらの表紙とイラストを仕上げるにはそれなりに時間がいる。

「たしかに、アズマ先生が承諾しなかったら、この提案は没になりますね」

「それなら……」

 それなら、なんでそんな無謀な計画をするのか。

 そこを孝は聞きたかった。

――わざわざクリエーターを困らせることはしなくてもいいはずだ。

 孝がその言葉をいう前に、神谷さんが遮った。

「たしかに同時期にとなると難しくなります。ですが、お偉いさん達は多くの売れる作品を出して、お金儲けしたいだけで、そのきっかけ作りとして偶々フェアが使われただけなんですよ」

 たしかに、それは理解できる。出版社側としても、売れるならどんどん売っていきたいし、せっかく売れている作家がいるならその作家を使いたくもなるだろう。

「わかりました。その話は受けますが、一つ条件を付けさせてください」

 一つだけ条件を付けたって、無理にねじ込んできた案件を飲むのだからそれぐらい飲んでもらわないと困る。

「まあ、常識的なことなら大丈夫だとおもいます」

 神谷さんも、さすがにただで孝が飲むとは思っていなかったようだ。

「アズマレン先生に対しては無理強いをしないこと。これを飲んでもらえるよう伝えてくれませんか?」

「つまり、アヅマ先生が満足のイラストを書き終わるまできっちり書いてもらうってことでいいかな?」

「それで大丈夫です。なので、アヅマレン先生には新シリーズを始めることにした話と、フェアをやることになりそうだという話、期限は今までと変わらずに急かすことがないと伝えておいて下さい」

 大好きなイラストを描いてくれるアヅマレンに対する孝なりの配慮。それは神谷さんもわかったのか、「上の人達にはその条件を飲んでもらうよう説得します」と言っていた。

 


 そして、今は日曜日の朝。

 昨日の今日で、できれば新作の構想も練りたいところだ。

 だが、帰宅してからもBL小説の方にばかり意識がいってしまい、新作のことまで考えが及ばなかった。

 なので、もう少し構想を先延ばしにしても構わないとは思う。ただ、何も案を浮かべられないのなら、とりあえずBL小説の方を仕上げることを最優先させる方向でいいと思う。

 そのことを話すと、神谷さんは軽い感じで、

「まあ、先にBL小説の方を完成させちゃうのもありですけど、構想ぐらいは考えておいて下さいね」

 と言った。

「て言っても、本当に構想が浮かばないんですよね……」

「まあ、それはゆっくり考えればいいですし、昨日渡したゲラとかからインスピレーションを得るのもいいですよね」

「あ.……、すみません。先にBLとか恋愛とかから読んだので、むしろBLの話の方が思いついちゃって……すみません」

 そう言うと、神谷さんは少し呆れたような顔をした。

「まあ、読んだら読んだで推薦文書けるのありましたか?」

「三穂先生、最高でした」

 あまり表情が変化しない孝がたまに見せる恍惚とした顔は、見ていて幸せになる。

「それじゃあ、今回も感想の方をよろしくお願いしますね」

「分かりました!」

 孝は執筆作業に入る前に早速推薦文を書き始めたのだった。

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