第23話 好きだから

 いつもは学生であふれている車内も、今日はガラガラだった。

 席も座り放題で、俺たちは扉近くにある四人がけのボックス席に向かい合って座ると

「そういやお前、大丈夫なの?」

「なにがですか?」

 ふと心配になって尋ねたら、季帆がきょとんとした顔でこちらを見た。


「今から柚島とか行ったら、帰り、相当遅くなると思うけど」

「え、大丈夫ですよ。べつに柚島に行かなかったとしても、どうせ今日は、一日土屋くんの傍から離れないつもりですし」

「……ああ、そうだったな」

 そういえばそんなことを言っていた。俺が家に帰ったら、家の前でずっと見張っていると。

 季帆が本気でそうするつもりなのは、もう嫌になるほどわかる。


「だから、むしろちょうどいいです。家の前にひとりでいるより、土屋くんといっしょにお出かけできてうれしいし。ね、土屋くんは柚島行ったことありますか?」

「いや、ない……と思う、たぶん」

 咄嗟に思い出せず、歯切れの悪い返答をすると

「たぶん?」

「もしかしたら、ちっちゃい頃とか行ったことあるかも。でも覚えてない」

「このあたりに住んでるなら、たぶん一回は行ってると思いますよ。小学校の校外学習とかで行きませんでした?」

「ああ、行った……ような気もする」

 校外学習。

 季帆の口にしたその単語が、なぜか少し頭の隅に引っかかっていると

「私も小学校の頃に校外学習で行きました。それ以来です、柚島」

「へえ」

 俺が気の抜けた相槌を打ったところで、会話は途切れた。

 だから俺は黙って窓のほうへ目を向けた。


 普段あまり見慣れない景色が流れていくのを眺めながら、そういやお金足りるかな、前にチャージしたのいつだっけ、なんて今更な心配をしていたら

「土屋くん」

 ふっと真面目なトーンになって、季帆が呼んだ。

「そんなに、死にそうな顔しないでください」

 俺は季帆のほうへ視線を戻した。

 そうして何度かまばたきをしてから

「……俺そんな顔してんの?」

「はい、もう絶望! て顔中に書いてある感じです。そんな悲観的になることないじゃないですか。たしかにさっきのあれはきつかったかもしれないですけど、私は私で計画を進めてますので」

「……計画って、樋渡を寝取るってやつか」

 そういえばこいつ、そんなこともしてるんだった。……俺のために。


「そうです。そっちが上手くいけばどうせ、あの二人は別れるんですから。だからそのときは、土屋くんが七海さんを」

「いいよ、もう」

 たとえその計画がうまくいって、七海と樋渡が別れたとして。

 七海が俺のもとへ戻って来る可能性なんて、万に一つもないことぐらい、もうわかる。

 ……いや、そもそも七海は、最初から俺の傍になんていなかったのか。

 七海にとって俺は、“ふつうの幼なじみ”ですらなかったのだから。


「そんなこと、しなくていい。どうにもならないから」

「なんでですか。傷心のところをうまくつけば、まだチャンスは」

「つーか、どうせその計画うまくいかないよ。たぶんだけど、樋渡、お前のことなんて眼中にないだろ。七海もぜんぜん不安がってなかったし」

「まあ、それは私も薄々感じてますけど、でも大丈夫です。まだ最終手段がありますから」

「最終手段?」

 はい、と得意げに目を細めてみせた季帆は、軽くこちらへ身を乗り出して


「――色仕掛けです」

「……は?」

「男子高校生にはけっきょくこれがいちばん効くって、ネットで見ました。だからもう押し倒して無理矢理にでも既成事実を作っちゃえばいいんです。樋渡くんなら細いし、私でも押さえ込めそうじゃないですか。だから放課後にでも、どこかで二人きりになれる機会を狙って」

「……いや、無理だって」

 なぜかどや顔でそんなことを言ってくる季帆に、俺はふと途方に暮れた気分になる。

 なんで。

 なんで、こいつは。

「いいよ、ほんとにもう。そんなことしなくて」

 季帆は本気なのだろう。本気で俺のために、そこまでするつもりなのだろう。なんの迷いもなく。躊躇もなく。

 今更そんなことを実感して、なぜだか一瞬、泣きたくなった。

 わけがわからなかった。

 こいつのすることは、最初からずっと。


「だってそれ、お前の気持ちはどうなんの」

「私の気持ち?」

「好きでもない男とそんなことして。それも、他の男を他の女とくっつけるために。もしそれが上手くいったとして、そのあとお前はどうすんの」

 季帆が、七海から樋渡を奪うと言ってきたとき。

 俺は一瞬、期待した。

 奪えるのなら奪ってほしいと、思ってしまった。

 それで七海が傷つこうが、べつにいいと思った。むしろ傷つけばいい。そうして思い知ればいい。自分の見る目のなさや、今まで誰が、お前がそんなふうに傷つかないよう、守ってきてやったのか。

 そう、思ってしまったのに。


「私はいいんです。土屋くんが幸せになってくれれば、それで満足だから。土屋くんが、もう死にたいなんて思わないようになってくれれば、それだけでいいんです」

 季帆は臆面もなくそう言い切って、穏やかに目を細める。

 その言葉にも笑顔にも嘘は見えなくて、俺はよけいに途方に暮れた。

 なんでだよ、と力ない声がこぼれる。

 季帆の言うことが、なにひとつ理解できなくて。


「好きなら、自分がいっしょにいたいもんじゃないの? 自分が手に入れたいって、思うもんじゃないの。わけわかんない、お前。なんでそんな、俺のためばっかり考えられんの」

 言い募る俺の声に必死な色がにじんでいたからか、うーん、と季帆はちょっと困ったように首を傾げて

「私の動機が、“好きだから”じゃないからですかね」

「……は?」

「仕返しだって言ったじゃないですか。これは、土屋くんへの仕返しなんですよ」

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