第15話 いらないもの

 日曜日の昼。

 その日は家族がみんな出かけていて、家にいるのは俺ひとりだった。

 台所を物色してみたけれど昼飯になりそうなものが見つからず、仕方なく部屋着にパーカだけ羽織って向かった近所のコンビニ。


「――あれ、土屋くんじゃないですか。偶然ですね!」

 そこで、季帆に会った。


「……ぜったい偶然じゃないだろ」

 こいつの言う「偶然」ほど白々しいものもない。

 眉をひそめながら振り返ると、白いニットにグレーのショートパンツを穿いた季帆がいた。

 久しぶりに髪が巻かれて、ふわふわしている。学校で会うときより化粧も念入りで、気合いが入っているように見えた。


「偶然です。私、お昼ご飯を買いに来たところなんです。もしかして土屋くんもですか?」

「……まあ」

「わあ、偶然! じゃあせっかくなので、いっしょにどこかでランチしましょう!」

「やだよ」

 一も二もなく切り捨てて、俺は棚のほうを向き直ると

「俺、今コンビニ着だし」

「なんですかそれ」

「コンビニ用の格好ってこと」

 そんな、外食を想定した服を着ていない。ほぼ部屋着だ。


「大丈夫ですよ。なにもおかしくないです。私は気にしません」

「いや俺が気にすんの」

「じゃあ、その格好でも気にならないようなお店にしましょう。牛丼とか、ラーメンとか」

「……え、そんなとこでいいの?」

 女子の言うランチって、洒落たカフェへでも行かなければならないのかと思っていた。

「もちろんです。私は土屋くんとごいっしょできるならどこでも。だから土屋くんの食べたいもの食べましょう。ね、それならいいでしょう?」

 なんてあれよあれよと言いくるめられ、気づけば、けっきょく季帆といっしょにコンビニを出ていた。



「あのコンビニ、よく来んの?」

 短い相談のあと、近くのファミレスに行くことに決まり、季帆と並んで歩き出した。季帆が履いている踵の高いショートブーツのせいか、いつもより目線が近い。

「はい、ときどき」

「季帆の家って、このへんなの?」


 ――えー、なんでこんなところに。

 数日前にあのコンビニで聞いた、女子ふたりの会話を思い出す。

 季帆をここで見かけたという言葉に、もうひとりはそう返していた。驚いたように。


「はい、このへんです」

「……じゃあ、中学どこだった?」

 重ねた質問に、季帆がふっとこちらを見た。

 そうして少しのあいだ無言で俺の顔を見つめた季帆は

「――忘れました」

「は?」

「どこの中学行ってたかなんて、そんな昔のこと、忘れました」

 淡々とそんなことを言って、季帆はまた前を向き直った。


 俺はあっけにとられて、そんな季帆の横顔を見つめていた。

 そんなわけないだろ、と突っ込みかけた言葉は、なぜだか喉で詰まった。前を向いた季帆の表情が、奇妙に静かだったから。

「……忘れた?」

「はい」

 無表情に前を見つめたまま、季帆が頷く。

「だって」だけど軽く目を細めた表情に硬さはなく、むしろどこか穏やかに見えた。

「土屋くんに会う前のことだから」

「……え」

「だから忘れました。土屋くんに会う前のことなんて、もうどうでもいいんです。ぜんぶ」

 言い聞かせるようなその声に、俺はそれ以上、なにも言えなかった。



 お店に着き、俺は温玉ドリアを、季帆はデミグラスハンバーグを頼んだところで

「そういや、樋渡とはどうなってんの」

 ふと思い出して訊いてみると、季帆はテーブルの上にある期間限定スイーツの写真を見ていた視線を上げ、俺を見た。そうしてなんだか誇らしげに目を細めてみせながら

「すこぶる順調です。今、順調にお友達の地位まで上り詰めたところです」

「友達」

「はい。最近、七海さんののろけ話とかもしてくれるようになりましたよ、樋渡くん」

 どうやら、樋渡のほうもまったく季帆を警戒していないらしい。急にこんな接近の仕方されたら、ふつう怪しむだろうに。そろって鈍感なのか、あのカップルは。


「……のろけ話って、どんな?」

「七海さんが、最近すごく頑張ってるって。生徒会の活動もぜったいさぼらないし、体育の授業もちゃんと参加してるし」

「……体育」

 あいつ、まだ参加してんのか。見学しろって言ってんのに。

 生徒会の活動だって、もっと適当に休めばいいのに。朝も放課後も、休日まで欠かさず参加したら、ぜったいきついだろうに。


「それを褒めてんのか、樋渡」

「はい。頑張っててえらいって言ってました。うれしそうに」

 こみ上げてきた苛立ちを吐き出すように、俺は大きくため息をつく。

 やっぱり心配していたとおりだった。樋渡が褒めるから、七海も調子に乗るのだろう。

 ……七海は、頑張らなくていいのに。

 ただ、無理をせず、できる範囲のことだけやっていけば、それだけでいいのに。どうせ、普通の人と同じように、なんて無理なのだから。七海には。


「デートの予定とかも話してくれますよ、樋渡くん」

 思い出したように季帆が言ったのは、テーブルの上にお互いの注文した料理が並んだときだった。

 鉄板の上で肉が焼ける音に、俺はちょっと自分の選択を悔やみながら

「デートの予定?」

「はい。七海さんと今度こういうところに行く、とか。聞けばぜんぶ教えてくれます」

「……信頼されてんだな、樋渡から」

 季帆の取り入り方が上手いのか、樋渡の警戒心がなさすぎるのか。

 たぶん後者のような気がする。

「はい。なんといっても私、樋渡くんのお友達ですから」

「次のデートはどこ行くって?」

 スプーンを手に取りながら、何とはなしに尋ねてみると

「旅行に行くそうですよ。今度の連休」


「……旅行?」

 返ってきた答えに、思わずスプーンを取り落としそうになった。

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