第16話 友達

「あ、旅行って言っても泊まりじゃないですよ。日帰りです」

 俺がよほどけわしい顔をしていたのか、季帆があわてたように付け加えてくる。

「そりゃ当たり前だ」

 高校生の分際で泊まりなんて、冗談じゃない。

 いや、日帰りでも冗談じゃない。旅行というからには、遠出するのだろう。朝から夕方まで、一日がかりで出かける気なのだろう。

 冗談じゃない。


「どこに行くって?」

「柚島だそうです。海沿いのカフェでランチして、景色の良い丘に登ったり、雑貨屋めぐったりしてから、夕陽を見て帰るって」

「……柚島」

 ほら、めっちゃ遠い。

 ここからだと、電車でも片道二時間はかかる。しかも丘に登ったり、雑貨屋をめぐったり?

 七海がそんな負担に耐えられるはずがない。途中で倒れたらどうするつもりなのだろう。


「七海、行く気なのか?」

「え? そりゃもちろん。ふたりで計画立てたそうですから」

 ああもう。イライラと頭を掻く。

 どうしてわからないのだろう。自分の身体が弱いこと。十五年生きてきて、なんで学習しないのだろう。そんなことをしたらまた体調を崩すことぐらい、もういい加減わかるだろうに。


 苛立ちながら俺が乱暴に温泉卵をスプーンで崩していると

「そんなに嫌なんですか?」

 俺の顔を覗き込んだ季帆が、ちょっと不思議そうに訊いてきた。

「べつに泊まりじゃないんですよ? 日帰りですよ?」

「嫌だよ。日帰りでもいっしょだ」

「うーん、じゃあ私、旅行は止めるよう樋渡くんを説得してみましょうか」

「いや、いい。俺から言うから」

 短く返せば、え、と季帆は少し戸惑ったように

「言うって、誰にですか?」

「七海に」

「旅行はやめろって言うんですか?」

「そうだよ」


 顔を上げると、季帆はなんだかちょっと困ったような顔でこちらを見ていた。

「でも」

「なに」

「七海さん、すごく楽しみにしてるそうですよ」

「だからなんだよ」

 いつの間にか卵は跡形もなく崩れて、ホワイトソースに混ざっていた。

 そりゃ、楽しみにしているのだろう。大好きな彼氏との遠出だから。自分の身体のことも考えられないぐらいに、浮かれているに違いない。

 だけど、七海に柚島は無理だ。どうせ。

 小学校の頃から、遠出するようなイベントはぜんぶ欠席してきたくせに。どうせ途中で体調を崩して、ろくに楽しめずに終わることなんて目に見えている。

 七海は、本当にわかっていないのだろうか。

 わかっていて、見て見ぬ振りをしているのだろうか。いつものように。


 季帆はなにか言いたげな顔をしていたけれど、けっきょく、「まあいいや」とひとりでなにやら完結して

「土屋くんの思うようにやってください」

「言われなくてもそうします」

「ですよね」



 食べ終わり席を立つとき、季帆が当然のようにテーブルの上にある伝票を取って

「私が払いますね」

 なんて言われて、ぽかんとした。

「は? なんで」

 奢られるような理由はない。同じ学生だし、同い年だし。

「自分の分は自分で払うよ」

「いえ、私が払います。今日は無理に付き合ってもらったんですから」

「べつに無理にってことも」

「最初に誘ったとき、土屋くん、嫌だって言ったじゃないですか。それを私が強引に連れてきちゃったから」

 そう言った季帆の声がどこか硬くて、俺は眉を寄せた。


 伝票を渡すよう差し出した俺の手は無視して、椅子に置いていた鞄をさっと拾った季帆は

「今日は私なんかに付き合ってもらったお礼です。ね、奢らせてください」

「いや、いいって」

 さっさとレジのほうへ歩きだそうとした季帆の手をつかみ、引き止める。

 私なんか。

 さっき季帆が口にした自虐的な言葉が、小骨みたいに気持ち悪く引っかかっていて

「ちゃんと割り勘にしよう。なんか気持ち悪いじゃん。ふつうに友達同士で飯食っただけなのに奢ってもらうって」

「――えっ?」

 そこでなぜか、素っ頓狂な声が上がった。

 季帆が驚いたように目を見開いて、俺を見ている。


「友達同士?」

「うん」

「私たち、友達同士なんですか?」

「え、そうだろ?」

 あまりに信じがたいことを耳にした、みたいな顔で季帆が訊いてくるので、思わず不安になって聞き返してしまうと

「あ、は、はい」

 めずらしくぎくしゃくした調子で、季帆が頷いた。

「友達、ですね」

「うん。だから割り勘な。ふつうに」

「はい」

 もう一度季帆のほうへ手を差し出せば、今度はおずおずと伝票を渡される。


「……ありがとう、ございます」

 うつむいたまま、噛みしめるような声で季帆が呟いた。

 何に対するお礼なのかは、よくわからなかった。

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