第2話 ストーカー

 知らない女の子だった。


「……や、死なないし」

 あっけにとられながら、とりあえず乾いた声でそれだけ返せば

「じゃあなんで電車のほう見ながら立ち上がったんですか!」

 俺の行く手をふさぐように、やけに近い位置に立っている彼女が叫ぶ。


「なんでって……乗ろうと思ったから」

 困惑しながら答えたとき、電車がホームにすべりこんできた。

 ドアが開き、中から乗客が降りてくる。

 それでも目の前に立つ彼女は動かずに

「うそです! だってあの電車、上りですよ。土屋くんが帰りに乗るのは下りのはずです! どこか遠くの駅へ行って、そこで電車に飛び込もうとか思ってるんじゃ!」

「……え」


  数秒、俺は無言でその子の顔を見つめた。

 やっぱり知らない女の子だ。

 肩まである茶色い髪は、毛先がゆるく内巻きになっている。着ているのはうちの高校のブレザー。同じ高校の生徒らしいけれど、まったく見覚えはない。クラスも委員会も掃除場所も違う。しゃべった覚えもない。

 だったら、なんで、


「なんで知ってんの」

「え?」

「俺の名前とか、乗ってる電車とか」

 ちょっと薄ら寒くなりながら、おそるおそる尋ねてみると

「いつも同じ電車に乗ってるからです」

 間を置くことなく、彼女はさらりと答えた。

「朝も、帰りも。だから土屋くんがどの駅で降りるのかも知ってます。いつも見てますから」

「……いつも?」

 同じ高校に通っているのだから、同じ電車に乗ることはなにもおかしなことではない。家の方向や帰る時間が同じならごく当たり前のことだ。いつも同じ電車に乗っている人の顔や降りる駅を覚えてしまうことも、自然なことだと思う。


 だけど彼女の言う「いつも」からは、どうにも違ったニュアンスが感じられた。

 さっきから彼女が当たり前のように口にしている俺の名前も、なんとなく、友達を呼ぶときのような気安さというか、呼び慣れている感じがある。


「それより、死ぬなんてぜったいだめですよ! たかが失恋ごときでそんな、ぜったい、ぜったいだめですから!」

 気を取り直したように、彼女が説得を再開する。

 胸の前で拳を握りしめる彼女の後ろで、電車のドアが閉まった。ゆっくりと動き出した電車が、ホームから消えていく。

「……失恋?」

「女の子なんて他にもたくさん、たくさんいるんですから。うちの高校だけでも三百人以上いるんですよ。なのに、ひとりに失恋したぐらいで死ぬなんてバカもいいとこです、大バカです。ていうか、なんなら、私と付き合いましょう! ね!」

 まくし立てる彼女の言葉は、ほとんど耳に入らなかった。序盤で彼女が口にした単語だけが引っ掛かっていた。

 失恋。失恋って。


「……なんで知ってんの?」

 それはつまり、さっき俺が見た、七海と知らない男のキスシーンをこの子も見ていたということで。ということは、駅に来る前、この子もあの公園にいたということで。それは、つまり、

「まさか……俺のことつけてた?」

「あ、はい」


  あまりにさらっと返されて、一瞬反応が追いつかなかった。

 え、と間の抜けた声をこぼす俺に

「つけてました。学校を出たところから。土屋くんがなんだか怖い顔してあの二人のこと尾行してたので、嫌な予感がして。あの二人がキスしたあとなんか、めちゃくちゃ思い詰めた顔して歩き出すし。なにかしでかすんじゃないかと心配になって。気をつけて見てたら、死にたいなんて呟くし、うつろな目で電車とか見ちゃってるし、これはやばいと思って声かけました」


 俺は呆けたように彼女の顔を見つめていた。

 理解が追いつくと同時に、口の中が急速に渇いていく。

「いや、ちょっと待って……」思わず後ずさろうとしたら、ベンチに足がぶつかった。

「なに、いつも? いつもそうなの?」

「なにがですか?」

「いつもそうやって、俺のこと見てんの? あとつけたりしてんの?」

「はい」

 あいかわらずみじんも悪びれない返事が、即座に返ってくる。

 まっすぐに俺の目を見据えた彼女は、正義感に満ちあふれた表情をして

「いつも見てます、土屋くんのこと。朝も、学校でも、下校中も。見ててよかったです。今日、こうして土屋くんを止められたから」


 本人を目の前に、堂々とストーカー宣言をしてみせた。

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