第3話 失恋
「というわけで、失恋したなら私と付き合いませんか?」
「は?」
「都合の良い女として扱ってもらっていいです。なんでも言うこと聞きます。今すぐホテル行ったっていいですよ。一回やったら世界が変わって、死ぬ気なんてなくなっちゃうって聞いたことありますし」
「……いや、結構です。てか、そもそも死ぬ気なんてないし」
なんだか急にどっと疲れがおそってきて、ふたたびベンチに腰を下ろす。
時刻表へ目をやると、あと五分で下り電車がやって来るところだった。街へ繰り出そうという気持ちもすっかり萎えてしまったので、もう大人しく次の電車で帰ろう、と考えていると
「本当ですか?」
「本当。だから安心して、もうほっといてください」
「いえ。安心はできないので、家まで送ります」
「……はあ?!」
ぎょっとした声を上げる俺にかまわず、彼女は俺の隣に腰掛けると
「今はそんな気なくなってても、いつふっと死にたくなるかわかりませんから。さっきまでの土屋くん、本当に死にそうな顔してましたし。心配です」
「いや、マジで大丈夫だから。さすがに失恋ぐらいで死なないから」
思わずそう言い切ったあとで、ふと自分の口にした言葉に眉を寄せる。
失恋? いや、いやいや、
「そもそも、失恋したって確定したわけでもないし」
そうだ。
さっきはつい逃げてしまったけれど、実際のところあの二人がどういう関係なのかなんて、訊いてみなければわからない。もしかしたら罰ゲームとか、友達同士の悪ノリとかかもしれない。
七海がそんなことで男とキスしていたらそれはそれでショックだけど、まあそこはきっちり怒って、一度の過ちなら見逃してやるぐらいの甲斐性は――
「え? あの二人の雰囲気はどう見ても付き合ってましたよ。土屋くんは失恋確定だと思います」
湧きかけた希望を、平静な声が容赦なく沈めてきた。
俺は顔をしかめ、そんな声の主のほうを睨むと
「わかんねえだろ、そんなの」
「わかりますよ。無駄な希望はもたないほうがいいです。どうせ裏切られるんですから、よけいつらくなるだけです」
「決めつけんなよ。なんにも知らないくせに」
そりゃあ他のやつならそうかもしれないけれど、あれは七海だ。七海のことは、この女より俺のほうが圧倒的によく知っている。友達がひとりできるたび、俺に紹介してきたような子だ。そんな子が、俺になにも言わず勝手に男と付き合いはじめるなんて、そんなこと、
「望みのない子に未練がましくしがみつかないほうがいいです。傷つくだけで、なんにもいいことなんてないから。それより新しい恋をしましょう。それがいちばん建設的ですよ」
「……うるせえよ」
反論の声は、情けないほど力がなかった。
簡単に言うな。
惚れた腫れたの恋ではないのだ。十五年だ。俺の人生、ほぼ七海のために生きてきたようなものだった。それを簡単に、だめなら次なんていけるか。俺には七海以外無理だ。考えられない。
……七海も、そうなのだと思っていた。
途方に暮れた気分でうつむいていたら、ベルが鳴った。下り電車がまいります、のアナウンス。
それに反応して立ち上がると、当然のように隣の彼女も立ち上がった。
「……マジでついてくんの?」
「はい。というか、私も家に帰るためにはこの電車に乗らないといけません」
「……ああ、そっか」
それなら一本見送って次の電車に、とも考えたけれど、どうせそうしたら彼女も「じゃあ私も」と言い出すのは見えていたので、もうあきらめることにした。
やってきた電車に二人で乗り込む。
そうして空いていた扉近くの席に向かい合って座ると
「どこで降りんの?」
「中町駅です」
「いや、それは俺の降りる駅だろ。あなたの最寄り駅は?」
「私の最寄り駅も中町駅です」
「……本当に?」
「本当です」
かなり疑わしかったけれど、問い詰めたところで勝てる気がしなかったので、やめた。
「そういや、名前は」
「
あらためて、正面に座る彼女の顔を眺めてみる。
よく見るとわりとかわいい気もする。タイプではないけれど。薄く染めているらしい茶色い髪とか、人工的な色味がのった頬とか唇とか、全体的にチャラい。俺はこういう華やかさより、もっと素朴で清楚なかわいさのほうが好きだ。七海みたいな――
考えかけて、すぐにやめた。振り払うようにいちど頭を振ってから
「あのさ」
「はい」
「忘れてんならごめん。どっかでしゃべったことあるっけ? 俺ら」
「はい。今年の四月十四日の朝に」
「え」
「電車でしゃべりました。私と、土屋くん」
よどみなく告げられた具体的な日付に、また一瞬薄ら寒いものがこみ上げる。今は十月。四月なら、もう半年以上も前のことだ。
「え……そうだったっけ」
「はい、一言二言だけでしたけど」
そこまで聞いても、さっぱり思い出せない。だから本当に、一言二言しか話していないのだろう。寝ていて乗り過ごしそうになっていたこの子に声をかけたとか、そんな感じだろうか。
「じゃあ、そのときから、俺のことを?」
「はい。それからずっと見てます、土屋くんのこと」
「……そう」
そんな一言二言の会話で惚れるなんて、一目惚れかなんかだろうか。もしかして俺ってイケメンなのか。今まで気づいていなかっただけで。
中町駅で降りると、季帆は当然のようにいっしょに駅を出て歩き出した。
このままだと本当に家までついてきそうだったので
「あ、あのさ」
「はい」
「俺、ちょっと寄りたいとこあるから」
「はい。じゃあいっしょに」
「いや、ひとりで行きたいとこなんだ。だからここで別れよう」
「え……どこに行く気ですか? まさか」
「いや、たいしたとこじゃないから。つーか本当に死ぬ気とかないから、大丈夫だから」
「本当ですか?」
「本当本当」
「……じゃあ」
少し考えたあとで、季帆はおもむろに肩に提げていた鞄を開けた。
そうして中からスマホを取り出すと
「私の連絡先を教えますので、夜にでもいちど連絡ください。一言でいいので、生存確認させてください」
「……生存確認て」
どんだけ信用されてないんだ。
だけど家についてこられるよりはマシなので、それぐらいは譲歩することにした。
頷いて、彼女と連絡先を交換する。
「ぜったいですよ。確認がとれるまでずっと待ってますから。日付を越えても連絡がこないようなら、家まで行きますから」
家知ってんのかよ、とは、なんとなく怖くてつっこめなかった。
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