第14話 ウサギとカメ

 生き地獄、という言葉でどういう状況を想像するだろうか?

 ググってみた。

 交通事故で愛する家族を失った遺族。

 愛する人と望まない離婚をしてシングルマザーになった女性。

 いじめられて教師に相談しているのに、まともな返事が返ってこなかった学生。

 思いの丈をぶつけたいのにその対象が(い)ない、というのが主な共通点ではないだろうか。


 生き地獄というには大袈裟かもしれないが、謝りたいのに謝りたい人と接点がなくなって苦しんだことが飛び降り王子には何度かある。

「本当に申し訳なかった」

 この一言を伝えられないがために、癒やされることのない罪悪感。

 許されない人間だと自分を責め続ける苦しみ。

 ある意味、生き地獄だなと昔から思っていた。


 だが、王子が味わった真の生き地獄はそんなものではなかった。

 一生、自力で小便を出せなくなると宣告されながらも奇跡的に出せるようになったのち。

 出せるようになっただけで済む問題ではなかったのだ。

 小便がとにかく出にくい。トイレに十分以上こもってようやく出る、ということが何度もあった。


 それはまだいい。

 最悪だったのが大便の方である。

 便意があるのに大便が出ない。我慢する力も弱っているからいつ漏れるか分からない恐怖との戦い。いくら下剤を使っても上手くコントロール出来なかった。朝、出てくれた場合は問題ないのだが、そこで出なかった場合はほぼ一日中便意と戦う必要がある。

 便意があり、我慢し続けている状態で何が出来るだろう?

 何も出来ない。

 少なくとも、何にも集中出来ない。

 当然、外出もままならないから引きこもりになる。だから家で出来る作家を目指そうと思ったのだ。

 しばらくして、ある向精神病薬の副作用で毎朝出るようになった。これでコントロールは出来るようになったが、今度は耐性がつき、薬を増やさなければ出ないという状況に陥った。

 そして増量し続けた。

 薬の最大容量に達した時、どうすれば良いのかという不安との戦いが始まった。

 ダメ元で、鍼灸院に電話をかけた。

「良くなるかは分かりませんが、一度来てみてください」

 一回目の治療で「あ、これならもしかして」と手応えを感じた。

 数回目の治療で、自力で出す力が戻った。

 数年通い、日常生活で全く困らないレベルまで回復した。


 数年前、謝りたかった人をFacebookで見つけて謝ることが出来た。飛び降りのきっかけの一つとなった女性だ。

 謝っても、大便を出し切った時のようにすっきり、とはいかなかった。

 こんな経験の積み重ねによって、人間は臆病にもなれば、慣れて図々しくもなる。

 王子は図々しくなってきているのを年々感じている。

 こうなったら絶対に長生き、それも健康な状態で、という意地みたいなものがある。最近はうつ状態が酷くて全く出来ていないが、ランニングは一生の趣味にしようと思っている。

 足腰の筋肉のことなんて何も考えていない健康な人を出し抜いてやろうという魂胆なのである。

 ウサギとカメの話をした。

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