第13話 人体の不思議展

 人間の体は上手く出来ている。

 例えば、重要なイベントがある日、目覚ましをかけた時間よりも早く起きる。おそらく大半の人が経験済みだろう。


 また、酒を飲んで記憶を失いながらも無事帰宅している。これも少なくない数の人が経験していると思われる。

 飛び降り王子はしょっちゅうある。


 精神的に荒んでいると、通常の意識でいることが苦しくて、どうしても酒で気を紛らわせたくなる。

 酒で記憶を失うのは実のところ、失っているのではなくて、単に記憶出来なくなっているだけらしい。記憶を司る海馬が麻痺するせいだとか……。とにかく、その時は記憶があるから、無事帰宅出来るのだろう。


 ところが、帰宅出来なかったことが一度だけある。

 飛び降りる前のだいぶ昔の話だ。

 自宅マンションのオートロックが何度ナンバーを押しても開かなくて、王子はガラスドアを蹴り飛ばしていたらしい。

 そして、そのガラスドアを割ったという。

 気付けば、王子はパトカーの中……。

 一晩、留置場で寝るという貴重な体験をした。

 覚えていることで興味深いのがトイレ。留置場内の陰にあるだけで、何の仕切りもない。自殺防止の役目を果たしているのだろう。


 ちなみにロックが開かなかったのは当然である。

 自分の住んでいるマンションではなかったからだ。


 翌朝起きて、取り調べを受けたのだが、これが非常に高圧的で不愉快だった。

「酔っぱらっていて覚えていません」

「嘘つくな! 本当は覚えてるんだろ!」

 このやり取りが何度も繰り返された。

 そもそもガラスドアを割る動機がない。悪いことをして開き直るつもりはないが、あまりにしつこくてイライラさせられた。


 結局、地元から来た母が身元引受人になって、王子は放免された。

 その後、謝罪のため、ドアを破壊したマンションに赴いた。

 マンションの管理人さんが非常に好意的な人で、笑って「可愛い顔をした男の子が暴れてるからビックリしたよ」と怒っている様子は全くなかった。しかも彼は定年退職の日で最後の出勤日だったというから、凄い偶然だと盛り上がった。五万円の弁償だけで済んだのは幸いだった。


 脳も時にはバグを起こすようだ。

 それでも人体はおおよそ上手く出来ている方だろう。


 さて、飛び降りの時の話である。欄干を乗り越える際、体を横にして飛び降りようとした。が、転落寸前、あまりに怖くて欄干の柵を掴んだ。

 宙吊り状態。

 下を見る。

 高すぎる! 間違いなくお陀仏するだろう高さ!

 勇気を出して目を瞑り、手を離した。

 その瞬間である。

 意識が飛んだのだ。


 噂には聞いていたが、本当に意識が飛ぶとは。

 その後、手術の際の全身麻酔で似たような経験をした。徐々にではなく、即座に意識を失う感覚が非常に似ている。

 ちなみに飛び降りたからといって誰もが意識を失う訳ではないらしい。


 しかしながら、酒をバカみたいに飲んだり、五階から飛び降りてみたり、そんなことをしてもほとんど健康を保てているなんて。

 人間の体は本当に上手く出来ている。

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