第9話 慣れるべきことに慣れないことについて僕の言えること
07の記事を書いて以来「慣れる」の定義が気になって仕方がない。
「慣れる」は「馴染む」に近く、肯定的なニュアンスを含んでいる場合が多い。
その前提でドストエフスキーにいちゃもんをつけた。彼はおそらくフラットな意味で使っているだろうから、ちょっと意地悪をしたという訳だ。ただし、定義の詰めが甘いという意見に変わりはない。
大辞林では……
①たびたび経験した結果、当たり前のこととして受けとめるようになる。なれっこになる。
②何度も経験してうまくできるようになる。習熟する。
③接触する機会が多く、心理的な隔たり・距離感がなくなる。
ア/人に親しみをもつようになる。
イ/獣・鳥などが人に対して警戒心や敵愾心をもたなくなる。
④体になじんで具合がよくなる。
まだあるが、このくらいにしよう。
①がまさにフラットな意味である。そこに良いも悪いもない。
一方、②以降は良い意味だと言えるだろう。
では、悪い例はないだろうかと思い、身近な例を探した。
あった。
飛び降り王子は、前職・コールセンターの仕事の適性があると思っていた。今でも仕事自体は向いていると思っている。
だが、それが仇になったのだ。
同期と会うと挨拶のように繰り返される会話。
「まぐさん、最近、仕事どう?」
「いやあ、慣れてダレてしまってやる気ないですね。若井さんはどうですか?」
「んー、まあまあかな」
慣れるは「ダレる」でもあるではないか!
ちなみに「まあまあ」と答えた人は現在も仕事が続いている。
コールセンター業界は離職率が極めて高いのだが、周りを見る限り、最初に張り切っている人は続きにくいように感じている。その後、慣れた時のギャップに苦しむからだ。元から淡々としている人は感情に波がないから続く。
感情労働の筆頭とも言えるくらいの仕事だ。感情が動きやすい人はどこかでがたが来るのかもしれない。
慣れることに関する悪い例……。
飛び降りて入院した王子は手術が終わるまで体が動かせなく入浴も出来ないため、看護師に体を拭いて貰っていた。
当然、性器も見られる訳である。
初めは羞恥心を抱いたが、自分でも意外なことにすぐに慣れた。
また、排泄の能力がなくなっていたため、入院して一週間近く経った時に、ベッドで看護師に浣腸をして貰って大便を出した。その時には完全に羞恥心なんてなくなっていた。
手術後、歩行器を利用して歩くようになっていた時の話である。
デイルームでコーヒーを三缶飲んだ。
便意を催したからトイレまで歩行器で急いだのだが、間に合わず、デイルームで漏らしてしまったのだ! 我慢する力も全くなくなっている。頭は真っ白。看護師を呼んで掃除をして貰った。その時は自分の今後の不安しか頭になかった。
これらのエピソードが悪い例ではない。
家族や他人に介護されるのは恥ずかしいと老後を心配をしている人がある程度いるだろう。
自信を持って言える。
すぐ慣れるから心配するな。
ある程度慣れない方が相手に悪い、と。
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