第8話 白衣の天使
人は想像力豊かな動物だ。
そのため客観的な事実よりも、先入観の方にとらわれることが多々ある。三つ例を挙げてみよう。
細菌は総じて不衛生な存在だ。
賞味期限を過ぎたものは食べられない。
血液型診断は正しい。
以上。
この三つは「科学的には」誤りである。
腸内細菌一つ取ってみても、人間の健康を維持するために大きく貢献してくれている。
また、歯ブラシは一度の使用で便器と同じくらいの細菌が増殖するという。
その数、実に一億。
スマホには便器の十倍以上の細菌が付いていると言われているから、十億くらいだろうか。それでもそれら細菌は人体に悪さしないため、何の健康被害もない。
普段見ない莫大な数に驚くのだろうが、よくよく他と比較してみると案外大したことないという一例だろう。
次の賞味期限。
一ヶ月賞味期限を過ぎた卵でも火を通せば食べられると知ってから自分で検証している。何の問題もない。
最後の血液型診断。
昔、血液型の性格診断は正しいかという実験を大学で行ったことがある。科学的に否定されているのは元々知っていて、結果もその通りに出た。翌日、研究に参加した女学生たちが血液型診断の話で盛り上がっている。実験の話題ではない。
「ゆかりちゃんO型っぽーい」
「O型に見られるA型でした」
……言葉を失った。
先入観の力は強力だ。
清潔かどうかは主観に委ねられる分野だ。つまり清潔よりも、清潔「感」が重視される。トイレのあと、手を洗わないで米を研いでも危険な大腸菌は熱で死滅するから問題ない。が、心理的に抵抗はあるだろう。
血液型診断の実験結果は、女性同士のコミュニケーションにあっけなく敗れ去った。
では、飛び降りた人間はどう振る舞うだろうか?
どのような先入観を投身自殺者に持つだろうか?
まるでお通夜のような暗いオーラを放っていると想像する人もいるだろう。
飛び降り王子はそうではなかった。
搬送されたICUで、かけていた眼鏡がなくなっていて周囲が朧にしか見えなかった。だが、たとえぼやけていても、担当の看護師が可愛いらしい雰囲気を漂わせているのは分かる。
「君、可愛いね。名前は何て言うの?」
飛び降りたばかりの人間がナンパをしたのである。
「宮田です」
看護師の返答に不意を突かれた。というのも、王子は下の名前で返ってくることを期待していたからである。まさか名字で返ってくるとは……。ここは公共の病院であり、キャバクラではないのだと痛感させられた出来事である。
生活に不便がなければ先入観を抱いたまま過ごしても何の問題もないと思う。疑うことは頭を使ってなかなか疲れるだろう。いくら頭の良い学者でも、専門分野以外では酷い先入観を抱いていることは多い。自分に意味あることだけは、手を抜かずに裏付けを取れば良いのではないか。
しかしながら、飛び降りたばかりの人間のナンパに引っかかる女性はこの世に存在するのだろうか?
もしいたら、天使だと思って必死で口説きたいものである。
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