第7話 慣れないことに慣れた時に僕が慣れたくないこと

「人間とは、どんなことにも、すぐ慣れる動物である。私には、これこそ、人間の最上の定義であると思える」

 ドストエフスキーの名言である。飛び降り王子はこの言葉を、ナチス強制収容所での体験を綴った『夜と霧』経由で知った。


 本当だろうか?

「ブラック企業勤務。残業は毎日。有給がないのも当たり前」

 ネットでも見るし、身近にもいる。

 こういう人は劣悪な環境で働くのに慣れているのだろう。が、慣れる前に辞める人もまた多い。働き方改革を謳う社会は、ブラック企業撲滅の方向に進んでいるように見える。


 王子は二十歳の時にうつ病と診断された。

 世の中に上手く慣れることが出来なかったのが一因だろう。

 王子と同じような人はおそらく多い。一昔前までは垣根が高くて偏見もあった精神科も、今では通う人が増えている。


 一言。

 全く慣れていないではないか!

 精神疾患に慣れるという見解があるかもしれないが、少し違うと思う。

 この病気には基本的に完治がない。

 あるのは、寛解。「全治とまでは言えないが、症状が収まって穏やかであること」。

 つまり、精神疾患というのは、世に慣れることの出来なかった人が最終的に「壊れた」結果だと個人的には思っている。

 そこに慣れはない。

 不安定な状態だからだ。

『夜と霧』にも、収容所から帰還した人たちが元の生活に適応出来ない姿が描かれている。また、ベトナム帰還兵が精神に変調をきたして立ち直れない姿は、ハリウッド定番の題材にもなっている。『タクシードライバー』がその一例である。


 王子もまた、飛び降りて「壊れた」脊髄の神経の後遺症に決して慣れてはいない。

 まず、足腰が弱い。

 右足の膝から下は未だに痺れやすく、筋肉も付きにくくて細い。左右のバランスの悪さもあってか、疲れやすくもなった。


 加えて、勃起力も弱い。

 個人輸入代行で安く購入したED治療薬が手放せない。


 どうしても昔を思い出してしまうのだ。

 王子はリレーのアンカーを任されるくらい足が速かった。今では幾らランニングしても、スタミナは付くがスピードの方が付かない。

 性的な機能にも自信があった。精神的な問題や飲酒でEDになるなんて自分とは無縁のことだと思っていた。今では性交渉が怖いくらいである。


 ドストエフスキーの定義は詰めが甘い。慣れるの意味も不明瞭だし、慣れない状態に慣れている、は無限ループとなりかねない。


 といっても、純粋に慣れることも沢山ある。

 昔はうつ状態でもコンビニに行く前に必ずシャワーを浴びるくらい人目を気にしていた。実家にいる時は、歯磨き後、執拗に口をゆすぐ音が煩いと、両親から文句を言われる程だった。


 今では人目に慣れて、うつ状態の時はシャワーを全然浴びない。電動歯ブラシを使っているのに歯磨きすら億劫だ。

 いやはや、全くの不健全な慣れだ。

 昔、相当に嫌悪していたおっさん化現象が自分にも現れるとは。

 どうやら「自分だけは○○にならない」と考えがちなことには慣れきっているようである。

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