第2話 持ちつ持たれつ

 世には「人への配慮」が溢れている。

 2019年1月から休職中だった飛び降り王子は、同年8月、正式に退職した。もし復職していた場合、労働時間を短くするなどの「配慮」がなされていたらしい。

 抑うつ状態であるという現状報告の投稿をSNSに上げると、心配してくれた友人が「大丈夫? 飲みに行こう」と誘ってくれる。普段LINEをしない友人から「自分も休職して傷病手当て金貰ってたよ。ゆっくり休もう」などと励ましの言葉が送られてもきた。


 こうした配慮は死にゆく者であっても変わらない。

 もう90近くになった祖母の口癖は「迷惑をかけないように死にたい」である。これは老若男女問わず、多くの人が考える「配慮」ではなかろうか。


 祖父の方は王子が中学の頃、膵臓がんで亡くなった。

 死の準備が出来る病ががんだと言われるが、祖父は王子含む三人の孫に百万円を直接手渡しした。

「将来のために使うんだぞ」

 祖父の心の中には「感謝されたい」という気持ちもあっただろう。が、直接「手渡し」するという行為が、孫の将来のためを思ってのお金だということを強調する「配慮」だと思っている。

 どうせ親に行くのは分かっていただろうし、実際、親が自分のために使った(少なくとも、貯金して王子の進学費用に充てた、という使途ではなかった)。それでも孫の将来を思う彼の気持ちはその行為によって今でも忘れられない。

 祖父は死んでもその「配慮」は生きているのだ。


 王子が飛び降り自殺をする際にも「人への配慮」をした。

 一つはマンション五階のベランダに出た時。

 飛び降りを決行しようかしないかベランダ内をうろついている姿は、他人から見たら自殺を迷っている姿に見えたことだろう。

 向かいにもマンションがあり、時間的に明かりの付いた部屋は少なかった。そうは言っても、誰かが王子の飛び降り現場を目撃して精神的ショックを受けないか心配になったのである。その心配に対して何かが出来た訳でもないとはいえ、一つの「配慮」と呼んでも差し支えないだろう。


 もう一つは、飛び降りて地面でうめいている時。

 心配した様子の男性が声をかけてきてくれた。

「大丈夫ですか?」

「お、落ちた……」

 この時「飛び降りた」と答えなかったのには明確な意図が存在する。「飛び降りた」と言えば、男性を驚かせてしまうのではないかと危惧したのである。結局「落ちた」と答えただけでも相当驚いていたからあまり意味はなかったかもしれないのだが……。


 しかし自殺して瀕死状態でも人は人に配慮するのだ。

 忙しい世の中。周囲まで気が回らない人も多い。

 それでも配慮が人を救うのは間違いない。

「あの一言(もしくは、行動)に救われた」と人から感謝されて驚いたことはないだろうか? 自慢だが王子には何度もある。そう思われていただなんて想像もしていないような些細な配慮の事例ばかりだ。

 自分にも言いたい。

 自殺して瀕死状態でも出来る配慮に、もう少し意識を向けてみませんか?

 

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