恋する乙女と想い人2

「子供だとばかり決めつけ、侮っていたか」

アイリスは飛び去って行った。

あの金色に輝く翼はアイリスの御神が齎した力の象徴なのだろう。

そして包術に目覚めたと言うことはツヴァイトークが有する固有属性、再誕の恩恵も得られている筈だ。

歴代のツヴァイトークが重ねてきた記憶と包力を継承する血脈の包力、そうなればアイリスの両親が抱いた想いも知り得ているだろう。

「アザレア様……オールハイド殿、私はやはりならず者だったらしい」

初めてオールハイド殿と顔を合わせたのは騎士団に入団した直後だった。

御前試合で優勝した私は正規の手順を踏むことなく、団長直属の親衛隊に配属された。

そして初対面の新米騎士に団長は辛辣な歓迎を贈呈してくれた。

『薄汚いならず者が騎士の装束で着飾ってきたか、滑稽だな』

正直、苛立ちが沸点を超えたのは言うまでもないだろう。斬りかかり八つ裂きにしてやりたかった、だが些細ないざこざでようやく漕ぎ着けた騎士の位を捨てる気がなかったのも事実。

あの時は無言でその場をやり過ごし、それが正解だった。

『己を律する理性はあるか……そうだそれでいい、今お前は怒りの感情を抱きながらも知恵によってこの場を制した、言葉にも力にも頼らずに己の心を持ってしてな』

何を体の良い負け惜しみを。

これも口には出さなかったが、オールが続けた言葉で先の台詞が負け惜しみではなかったと悟ることとなった。

『主に忠誠を誓え、但し主とは皇帝でも僕でもない……誓うべきは自らの心と帝国に暮らす全ての民だ、さもなくば騎士を名乗る器ではない』

忠誠を誓うのは帝国でも皇帝でもなく自らの心だと?

あろうことか騎士の長たる者が宣う台詞とは到底信じられない。

だが、不思議とあの台詞には説得力があった。

何故かと問われれば理屈を説明するのは難しいが強いて上げるのなら、オールハイド殿の瞳は濁りでくすんでいなかったからだ。

見てみたい、この男が歩もうとする道の行く末を共に歩みながら。

そう願いながらも自らの手で師の命を奪うきっかけを作り、あまつさえその娘に心を奪われるとは情けない限りだ。

「アイリスの瞳にも宿っていたからな」

自らの心に誓う忠誠と言う気高さ。

家族も地位も奪われながらも笑顔を絶やさなかったアイリス。

彼女は幼い頃から貴族としての生き様の片鱗を見せてくれていた。

きっと私の心を動かしたのは自分の様な紛い物とは違う真の高潔さをアイリスが携えていたから。

「だとすればけじめを付けなければな、師の忘れ形見であり我が弟子、そして……」

愛してしまった輝かしい女の為に。

「征くぞ、ダモクレス!」

鉄屑寸前の我が半身が唸りを轟かせながら呼応を始めた。

空気が、空が、世界が揺らぐのなど構うものか。

展開されている心界領域には領域を統べる御神が存在している。

術者の現し身であり絶対の守護者たる御神が授ける最強の宝物たる心器。通常ならば御神と心器による連携を極めてこそ騎士として、包術師として戦場に馳せ参じるのを許される。

その点で言えば我が御神は異端も甚だしいと言わざるを得ない、在ろう事か我が身に纏うダモクレスの末路は心器であると同時に御神なのだからな。

我が身を護る気などさらさら持ち合わせていない、戦場に立つならば己の力で生き抜いて見せよと宣うのだ。

ならず者としては相応しい御神であろう。

「はぁあぁぁぁぁ……」

ダモクレスが私の世界である心界領域から包力をかき集めそれが身体中を駆け巡り、熱を帯びた吐息は濃白の湯気として吐き出される。

肩幅に開いた両の脚で四股を踏みしめ、空を突かんばかりにダモクレスの末路を振り上げる。

鍛錬を積み上げ、数多の技を会得し、幾多の包術を納めた先に見えた境地は至極に単純明確。

全包力を御神に託し一切の迷いを捨てて振り下ろす。

奥義と呼ぶには浅はかだろうが、これが私の持ち得る全てであり極意。

崩界。

技と呼ぶには粗末な一連の挙動を私はそう名付けている。

(手加減はしない、本音でぶつかり合おう)

私とアイリスが本当に大切な思いを打ち明ける時に言葉は不要だ、剣と剣で心を交わし伝え合う、今までずっとそうしてきたのだから、そしてこの一太刀が最後となるだろう。

「アイリス! お前は生きろぉおぁおおおおおおおお!」

有りっ丈の願いを託して、私はダモクレスの末路を盛大に振り下ろした。


遥か天空より降り注ぐのは黄金の焔に包まれた流星、それが今の私の姿です。

雲、大気すら焼き尽くしながら地上めがけて舞い落ちる一筋の黄金は突き進んでいくほど熱く、激しく燃え盛っていく。

地上では大規模な爆発が生じていた。

荒野を砕き、大木を薙ぎ払う包力の暴風は空すらも喰らわんと規模を拡大し蹂躙していく。

天と地、世界の二極で生じた包力の奔流と奔流が遂に衝突する。

轟音が果まで響き心界領域そのものが震え上がったと言っても過言ではない衝撃が両者を貫いた。

流星となり降り注いだ金焔の剣。

世界そのものを崩さんと振り下ろされたベルクリッドのダモクレスの末路。

心器としての格を問うのならば、金焔の剣はダモクレスの末路の数歩先に位置する位力を有している。

ですがそれは現実世界であったならばの話。

ダモクレスの末路は心界領域の主たる御神そのもの、ベルグリッドの心界領域から供給される包力は底が知れず、今この時に置いては金焔の剣を凌駕しています。

いくら再誕の属性により歴代のツヴァイトークから包力を託され瞬間的な爆発力で釣り合おうと総量では太刀打ち出来ない。

均衡が保たれたのも束の間、ベルクリッドの包力が私を押し始めていく。

まだ金焔に陰りは映らない。しかしそれも時間の問題でしょう、絶対的な包力の内包量の差でやがては完全に押し切られてしまうだろう。

「まだだ!」

金焔の柄を一層強く握り締めながら私は叫んだ。

「もう絶対に負けない、あの人に護られるだけなんて真っ平なんだ!」

金焔を陰らす訳には行かない、ありったけの包力を注ぎ込み踏み留まるもやがて限界は訪れてきた。

切っ先から徐々に薄れていく金焔。流星の勢いも削がれ始め減速していく。

「届かせるんだ、あの人に私の思いを!」

心に決めた、もう迷わないと!

しかし現実は覆らない、ベルクリッドの包力の奔流が私を拒絶するかの如く行く手を阻む。

「力が足りない、これじゃあ……」

決意を固めた心に揺らぎが芽生えてしまった。包力は術者の精神の象徴ともとれるエネルギー、揺らぎが生じれば術も乱れてしまう。

 私が纏っていた金焔が徐々に霧散し始め、包力を幾ら注ぎ込もうとひび割れた器の如く垂れ流してしまう。

『主、自分を見失わないで』

焦りと緊張が心を硬くしていく中、語りかけてきたのもう一人の自分でした。

「イリス!」

『思い出して主、包術の勝敗は力の押し合いで決まるものじゃない、主が相手に伝えるべき思いが火種としては力となる! 揺るがないで、届けたい思いを強くイメージして!』

揺るぎない思い……そうか、私に足りなかったのは。

『ありがとうイリス、もう少しだけ力を貸して!』

『御意に、我が主』

イリスが教えてくれたのは包術の極意、それはベルグリッドが授けてくれた騎士の極意とも一致する。

「奉り願う……」

この荒んだ荒野がベルグリッドの心象だと言うのなら。

「花よ咲き誇れ!」

自らの心象で潤して見せればいい!

霧散していた金焔が空を覆い尽くす規模で拡散しながら地上へ降り注ぐ、恰も花の種子が風に流されて舞い散るように。

「お願い、芽吹いて!」

僅かでもあの人に触れらることを祈って、私は種子を見送りました。


種子が降り注ぐ。それは風に乗る綿毛の如く荒野に降り立つと瞬く間に芽吹き、一輪の花と咲いた。

降り注ぐ種子は一つや二つではない、数えきるのは到底無駄だと割り切れる膨大さが荒野を埋め尽くし、灰褐色に乾いた大地を黄金で塗り替えていく。

「これは……」

ベルグリッドは不意に降り立った黄金の正体に直感で思い至る。

「アイリスの包力、まさか……」

黄金の規模が拡大されるのに連れて崩界の威力が引き下がるのは錯覚ではない。

「私の心回領域が侵食されている……アイリスの心界領域によって……」

心界領域を侵食されるのは即ち術者の精神が打ち負けたことを指している。

だがその様な事象は本来ならば起こり得る訳は皆無、ベルグリッドの包力はアイリスに打ち負ける余地など微塵も有りはしない。

展開された心界領域によって増幅されたベルグリッドの包力は再誕により歴代のツヴァイトークから包力を授かったアイリスにすら打ち勝てる総量を得ている。

しかしそれも心界領域が展開されていてこその力差であり、領域が侵食され規模が逆転するならば話は別だ。

再誕の恩恵を受けたアイリスに比較してしまえば本来のベルグリッドのそれは赤子も同然。アイリスの心界領域が展開されるのならば尚更である。

(そうか……私は負けたのではない、私は……)

自ずと荒野に振り下ろしたダモクレスの末路から手が離れていた。自らの心がアイリスの心に染まる理由を悟ってしまったからだ。

「お前を拒絶するなど到底無理な話だったな」

敗北ではなく受け入れてしまったのだ、アイリスの心を。

乾ききった荒野として顕現する心に咲き誇った黄金は罅割れた騎士の心を潤してくれる。

「アイリスを護るなど息巻いていたが所詮私の弱さの隠れ蓑に過ぎないか……アイリスを愛することを恐れた男としての弱さだ」

天を仰ぎ見ると自分に目掛けて迫り来る黄金の流星が見えた。

自らが弟子に授けた奥義、だが弟子の剣はベルグリッドの知るそれを超越していた。

「もう逃げはしないぞ、来なさいアイリス……」

天へ向かい両腕を拡げその時を待つ、愛しい女が舞い降りてくる瞬間を。

遂に流星がベルグリッドの奥義を突破し勢いを増しながら舞い降りてくる。

金焔の軌跡を描きながら降り注ぐ流星がベルグリッドに重なった時、彼の体は強く強く抱きしめれていた。

「ようやく……届いた」

金焔の剣はベルグリッドの真横に突き立てられて微塵もかすりはしていない。

アイリスがくれるのはもう逃さないと言わんばかりに抱きしめてくる抱擁。

この女はどこまでベルグリッドを求めていたと言うのか。血にまみれアイリスを欺きながら生きてきたならず者を。

「ありがとう」

過去の自分ならば振り払っていたかもしれない。美しい花を血で汚すのを躊躇っただろう。だけど今は躊躇をかなぐり捨てて愛する人を抱きしめられる。

「ありがとうアイリス、こんなならず者を思い続けてくれて」

「ありがとうベルグリッド、幼い私を護り続けてくれて」

 拳一つ分だけ体を離したアイリスは真っ直ぐにベルグリッドを見上げてから。

「でもそれももう終わりです、これから私はベルグリッドの横に立ちます、護られるだけじゃなくて私にも貴方を護らせて下さい」

「そうだな……長い間忘れていたよ、誰かを頼ること……誰かに肩を許す大切さを……アイリス、どうか私を支えてほしい」

「はい、私に貴方を支えさせてください、もう独りで戦わなくていい、貴方の肩は私が預かります」

「そうだな……どうやら私は気が張り詰めていたらしい、そんな事にも気が付かないとは愚かだな、今なら……」

ポタリとアイリスの頬に雫が垂れた。それは彼女から涌いたものではなく、孤独な騎士が流した涙だった。

「アイリスと二人で歩いていける」

「そうですよベルグリッド……」

孤独な騎士の胸元にアイリスの顔が埋めれる。心の距離に比例して体の隙間が消えた証拠である。

「私が弱いばかりに長い間待たせてしまいましたけど、今は少しだけ強くなれたと思います、だから私に涙を見せてくれたのが嬉しい……安心して私に寄りかかって下さい」

「アイリス……」

アイリスは見上げて、ベルグリッドは見下ろしながら視線と視線が絡み合う。

そこから更に惹かれ合うのは自然な流れだったのだろう。

互いの吐息が感じられる距離を通り過ぎて、唇と唇がぴったりと重なり合う。唇同士を触れ合わすだけの幼い行為の筈なのに熱が、鼓動が余す事なく伝わってくる。

最初のキスはアイリスの命を繋ぐ為にベルグリッドから施したものだった。

二回目は力量の差を越えて想いを伝えるためにアイリスがぶつけた激情だった。

そしてこの三度目はそのどれもと意味合いを違えている、愛しい人を離すまいと交わされる愛の形なのだ。

黄金色のアイリスの花が敷き詰められた心の世界で、時が止まったのかのように口付けを交わし続ける二人。

心界領域を、そこに咲く花を形作る包力が緩やかに崩壊を始めていく。黄金と白銀の包力は溶けて混ざり合い、やがて純粋な光の帯となりアイリスとベルグリッドを包み込み、二人はもとの世界へと送られていくのだった。

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