恋する乙女と父母の思い2
謁見の間にて儀式が始まるのを待つ間も恋を諦められずに白亜の広間に立ち尽くしていました。
この謁見の間はドゥーランド帝国が災いに汚れることはない力を有するのを象徴してを建てられたと聞いています。
大扉から玉座へと続く帝王の道である赤絨毯。壁一面と天井一面に埋め込まれるのは太陽を描いたステンドグラス。たった二つの装飾しか施されていないからこそそれらは際立って存在感を帯び佇んでいる。
これから小父様とアルテミシアが今日だけは許される特権として帝王の道をヴァージンロードとして連れ添って歩く光景を目にした時、私の理性が保たれるのか正直に言えば自信がありません。
参列する貴族会参席者とその子弟から口々に飛び交うのは小父様とシルフールが結ばれた先に敷かれるであろう国政の在り方についての議論ばかり。
警護として壁際に配された騎士団は言葉こそ発しませんが、自分達の長について良からぬ憶測が飛び交うのを快くは思っていないでしょう。
ユリウスのシーヴェルト家みたいに二人を支援する旨の会話が目立ちますが、当然内心では寝首を掻く算段を立てている輩もいるに決まっている。儀式の最中に不埒を働くかもしれない不届き者もいるかもしれない。
本来であるならば私もそのような輩を討ち取るべく気を張らなくてはいけないのかもしれませんが、いかんせん心を平に保つのは至難の業。
(もう自分を止められない、愚かだわ……)
そして一番危惧するのは不埒を働くのは私ではないかという思考です。
そもそも小父様は誰のものでも無いのだけれど、助けられた身でありながらあの人を自分の所有物と間違えてしまえば、それはあの傲慢不敵なアルテミシアと同列ではないですか。
それでも一週間考え抜いて考えが至ったのは、婚姻の儀の場で陛下を前に再度アルテミシアに決闘を挑むことでした。我ながら頭が沸いてしまったとしか思えなくて、幾度も自分の心境を疑ったけど、結論は変わらない。
ツヴァイトーク家の権力を私欲に使うなど、父母に誓った気高い生き様に反するのだと理性は叫ぶのに本能を押さえつけるには力が足りなくて決心を固めてしまった。
(……結局私は恋を選んでしまった、この選択は大勢の人を不幸にしてしまうかもしれない、もちろんそれには小父様も含まれている、あの人の優しさも無駄にしてしまうのに、ごめんなさい……)
嫌われて、軽蔑されるのは目に見えている、それでも私を守るためにご自分を投げ出されるのは止めてほしい小父様にも自分の人生を歩んで欲しいから。
「落ち着かないのかい?」
どうやら私は余程平常心を欠いているのですね、ユリウスが近づいて来ていたのに挨拶されるまで気が付かないなんて。
「ユリウス……やはり分かりますか、私が心を乱しているのが?」
「この前の一件もあるしね、正直に言ってアイリスが突拍子のない事しでかすんじゃないかってヒヤヒヤだよ」
「まったく……失礼な物言いですね」
こんな時まで私の心を見透かすなんて、この友人はどこまで人心の機微に敏いのでしょうか。
「正解ですよ、今日の私は自分を留めるつもりなんて微塵もないんだから」
「そうか……」
やれやれと頭を横に振りながら心境を吐露する。すると友人は確信を得たと言わんばかりに押し黙ってから、私の頭に右手を添えてきました。
「ユリウス?」
「ん〜と、なんかこうしたらいいかなって、そんな感じがして」
「もう、子供扱いしないで下さい」
決して私を馬鹿にしてるのではないのは分かりますから、やんわりと手を払い除ける。するとユリウスは短息してから私を見つけて……。
「決めた道を進みなよ、僕はいつでもアイリスの味方だから」
それだけを告げてその場を離れていきました。
味方だから。たった一言の労いなのに、私の心に波打つ乱れはいつのまに落ち着いていた。
(……ありがとう)
これからツヴァイトークの娘がが起こそうとしている馬鹿げた行いを肯定してくれたわけではない。
だけどユリウスは何が起きようと私の味方だと言ってくれたのはきっと嘘偽りないと思う。だから今は謝罪ではなくて、感謝の気持ちを抱いていたい。こんな愚かな女に心を寄せてくれてありがとう。
私が進もうとしているのは誰も幸せになれない結末が待っているかもしれないけど、迷わずに踏み出せる。
やがてその時は訪れました。
玉座の正面に設けられた大扉が厳かに左右へ開き、陛下がその御身を表されたのです。
側近の騎士二名を護衛に伴いながら赤絨毯を渡る、我らが皇帝ロウオン・ダンデ・ドゥーランド九世陛下。
齢七十四を数えるにも関わらず鍛え抜かれた体軀から迸る威厳の圧力は圧倒的で、浅黒く焼けた肌と太陽を弾く金髪は権力の象徴と言うより武力の象徴としての方が相応しいかもしれない。
事実優れた格闘家でもあり、かつては歴代の騎士団長とも対等に渡り合った人物だと聞いています。
陛下が優れた武力をお持ちになるのもある意味では自明のことなのかもしれません。
帝王とは国を守護する軍事力である騎士、国政を円滑に維持する貴族、それら国の中枢全てを掌握し平和の象徴として君臨するのを求められるのですから。
やがて国の象徴である陛下は玉座に着かれ、側近の二人は左右に陣取りました。
自然と場に漂う気が引き締まっていく。
この場に集う貴族はそれぞれ国政における特権を有する者達ばかり、逆らえる人間など皆無に等しい彼らがただ唯一頭を垂れるのが陛下なのです。
「皆の者よく集まった」
陛下が重々しい声音で言葉を紡がれました。
「貴族会そして騎士団の諸君、どうだこの滑稽な儀式に呼ばれ馳せ参じなくてはならないとなった我が身を嘲笑った者はいないか?」
思いもよらない暴言に一同は唖然と口を開いて静まり返ってしまった。
私も同じです、とても陛下の発言とは信じられない。
「………………いないようだな」
玉座より一面をぐるりと見渡してから、獰猛な笑みを浮かべた陛下は続けました。
「つまらん世界だ、ドゥーランド帝国はこの場に集った僅かな人間に全てを掴まれ動かされている、生まれついての地位に踊らされ貴族に相応しい器量も持ち合わせないにも関わらず、特権を振りかざさなくてはならない犠牲者の数が増え始めたのはここ三十年の話、各国における戦争に終止符が打たれてからだ、まったく不憫な国もあったものだ、これでは民も浮かばれんとは思わんか?」
(いったいどうしてこんな……)
ここまで貴族達を挑発してしまえばいくら陛下とは言え牙を剥かれるやもしれない。
逆賊を力で捩じ伏せるとしても多くの臣下から忠誠を失ってしまうでしょう。
確かに陛下は普段から完全実力主義を貫いているので有名です。
歴代の皇帝とは違い、力さえ持ち合わせていれば生まれ育ちは関係なく適切な地位を与える確固たる姿勢で国の礎を築かれてこられました。
「諸君よ覚えておけ、本日の婚姻の儀を我が直々に迎えるのも、全ては彼奴らの実力を諸君らに見せつけるのが目的である、目に焼き付けよ、耄碌せずに刻み込め、この国における最上の栄誉を受ける人間の有様に嫉妬を抱きながらな」
(陛下、まさかここまで残酷な思惑をされていたなんて……)
つまりは小父様とアルテミシアに権力の傀儡になれという訳です。
小父様とシルフール家が結ばれて確固たる臥城を形成すれば、凡ゆる思惑が二人の望む形に動くでしょう。
そうなった際に産まれるであろう反発分子の数は非常に多い筈、即ち臥城の切り崩しを狙った国政内の戦争が勃発する。
歴史を紐解けば戦争は多大な被害だけでなく、数え切れない程の技術確信を起こしてきている。
生き残る為。
勝ち抜く為。
死と敗北から逃れたいが為にあらゆる術を模索し進化を促される、それが戦争。
陛下は今日の儀式を以ってして国に強制的な進化を施そうとしている。
小父様は自分を妬む者、シルフールを揶揄する者、全てが容赦を捨て去り牙を剥くのを覚悟して婚姻を結ぼうとしている。
そしてそれはきっとアルテミシアも同じ筈。
二人の覚悟を察してしまって、私の思考に初めて歯止めが掛かり始めた。
(止めてしまって良いの……私の幼稚なわがままのせいで二人の覚悟を止めるなんて……許される事じゃない……)
あれだけ煮えたぎっていた恋の炎が瞬く間に萎んでいくのをはっきりと自覚していくうちに、陛下が次なる命を下されました。
「儀式を始めよ、来たれ誠の貴族よ!」
地に響くような一声で再び扉は開かれ、そこから本日の主役たる二人が現れた。
(……素敵……)
濃紺のフロックコートを装った小父様は凛々しさが普段より溢れていて本当に素敵。ならず者だなんてご自分を揶揄されているけど、落ち着き払った佇まいはどう見繕っても紳士の物腰です。
(……綺麗……)
エンパイアラインのウエディングドレスで着飾ったアルテミシアは悔しいけど優雅でいて美しい、線の細い身体の今にも折れてしまいそうな繊細さは磨き上げられたガラス細工のよう。
(……悔しいな……)
小父様の凛々しさとアルテミシアの美しさが会場を飲み込んだのはただ単に装いが素晴らしいからだけではありません。
二人から国を背負うと言う覚悟が迸っているから。
国の清濁を飲み干そうとする決意を備えているから。
だからこそ会場に集まった敵も味方もこの一時だけは二人に向かい無言の敬意を払っている。
チラっと小父様の視線が私に向けられてその瞳の色を見てしまった。
穏やかに波紋は立たずに、微笑んでいた。
その一瞬であの人が固めた決意がもう一つあるのを私は知ってしまいました。
アイリスを護る。
騎士、貴族として国を護る番人であろうと決心して、人としての矜持を捨てた小父様がたった一つ手の中に残してくれた人としての願い。
(ああ、駄目だった……)
小父様を解放するなんて息巻いてたけど、それも結局は口実に過ぎなかったんだ。
実際にあの人の決意を目にしてしまった今、最早幼稚な考えは粉々に砕け散ってしまった。
(だめだ……やっぱり出来ない、あの人の決意を、私に残して下さった願いを踏み躙ろうとするなんて、浅はかだったんだ)
最後の最後にようやく踏ん切りがついてくれた。
きっと小父様が歩かれている道はかつて父様と母様も歩まれた道程なのでしょう。
父様の願いを継承された小父様が辿るのは誰にも止められない茨の道、そして共に歩む役目は私ではなくアルテミシアが選ばれたのがやはり心残りですが。
(ごめんなさい……ごめんなさい、小父様……さようなら)
二人が丁度陛下の御前に至った時、私は心の中で別れを告げました。
見届けなくちゃ、あの二人が貴族の誇りと責務を全うする瞬間を。
「滑稽だな、世界の平穏などという大義の為にそなたらは望んで傀儡に成り果てると申し出るか?」
「左様でございます」
「私とベルクリッドはドゥーランド帝国に身を捧げましょう」
陛下の罵りを真正面から受け止めて、それでも小父様とアルテミシアが纏う気概は揺るぎを見せない。
「ほう……」
陛下の目つきがスゥッと細身を帯びる。
やがて立ち上がると、右腕を大きく振り上げながら高々と宣言されました。
「ならば人としての矜持を捨て去り見事傀儡として成り下がって見せよ! さすればドゥーランド帝国皇帝ロウオン・ダンデ・ドゥーランド九世の名において其方らにこれ以上ない誉れと栄誉をくれてやる!」
陛下の左後ろに控えていた側近が陛下と小父様達の間に進み出て跪くと黄金で作られた小箱を掲げながら、それを開きました。
中に用意されていたのはこれも黄金で作られているであろう二対の指輪。
あれを嵌めてしまえば互いの婚姻、そして国への絶対の忠義を誓う証となり、二度と呪縛からは逃げられない。
それと理解していながら小父様もアルテミシアも迷わずに誓いの指輪へと手を伸ばしました。
それぞれが右手に相手の分の指輪を持ち、空いた左手を相手に差し出す。
向かいあった二人が厳かに差し出しあった薬指へと誓いの証を嵌め込もうとしました。
その瞬間、会場に硝子が砕け散る音が派手に響き渡った。
天井のステンドグラスが粉々になりながら降り注ぎ、参列者から悲鳴がドッと立ち昇る。
続けて砕けた天井から次々と黒尽くめが数え切れないだけ降り立ってきた。
数はとても片手では数え切れない、十や二十どころか止め処なく流れ込んできていつ終わりが見えるとも分からない勢いです。
身体にピッタリと張り付く軽鎧に身を包み顔も同じく黒の仮面で覆っている為素性は分からず、全員が光を反射しない黒々とした長剣で武装している。
襲撃者は会場中に散らばり手近の貴族を片っ端から斬りつけ白亜の床を無残にも鮮血で汚してく。
各個の体捌きと全体の連携から一定の訓練を受けた不埒者だというのは自明です。
対して上方からの奇襲などと予想の外からのアクシデントに警護役である騎士団は陣形を構築するのに手間取り効率的に動けないでいる。
それでも生き残っている参列者をその背に匿う形で保護しなら幾人かの賊を打ち倒すも多勢に無勢の状況は変わらない、いずれ数の暴力に押しきられてしまうでしょう。
私にも刃は振り下ろされました。
スレスレで躱し足払いをかけ床目掛けて倒れ込もうとする賊の顔面に膝を見舞うと、相手は気絶したのでしょう、ピクリとも動こうとはしません。
長剣を奪い続く二人目、三人目も斬り倒す、命こそ奪わないつもりですがいざとなれば敵とはいえ容赦を捨てる心構えをしなくては。
ですが如何としてこのドレス姿は動きにくくて、いつ戦いに支障をきたすか分からない。
(ごめんなさい!)
長剣でスカートを膝下まで切り裂いて動きを身軽にする。
小父様がせっかく用意してくれた大切なドレスなのに、本当にごめんなさい。
お陰で小父様とアルテミシアの下まで走り抜けられた私は二人を援護するべく更に三人の賊を打ち倒し合流に成功します。
「アイリス無事だったか!」
「私は心配していませんよ、アイリスさんならこの程度の輩に遅れをとるとは思えませんから」
「よくぞご無事で、加勢します!」
二人も敵から奪った長剣を用いて応戦していたらしく、合流した私達三人は背中合わせの陣形を組み、襲い来る敵を薙ぎ払うべく私とアルテミシアで飛び出した。
「ふっ! はぁ!」
私の剣が振るわれ二人を切り伏せる間に。
「奉り願う、凍てつきなさい!」
アルテミシアの包術が迸り十の敵を氷漬けにしてしまう。
悔しいけどこれが剣のみで戦う限界値であり、包術に認められた騎士との歴然とした差なのでしょう。
だけど私が戦える事実に変わりはない、今はただ目の前の敵を打ち倒すのみ!
「てぇやぁあぁあああああああ!」
騎士団の働きで生き残った参列者が全員退避したのを確認して、飛翔の陣を発動します。
体が羽根に生まれ変わる錯覚に浸りながら、壁を蹴り上げ高く飛び上がった後に急降下し敵を仕留めると床を転がる反動で更に加速しながら再度空に舞い戻る。
獲物を仕留める隼の如く空を駆け巡る私の剣線。
竜王の如く獰猛に標的の命を狩尽くすアルテミシアの氷。
まさかベルクリッド流の姉妹弟子で共に戦う日が来るなんて思いもよらなかった。
守らなくちゃ、例え包術を使えなくても大切な人達だけは!
「はぁあぁあぁああああああ!」
体は悲鳴を挙げるのも構わずに速度を限界値まで引き上げて更なる勢いで戦いを続行する。
構うもんか、騎士の責務を果たせるなら体の一つや二つくらい惜しくなんてない!
そう気概を持ってしても現実は残酷です。天井の大穴から賊が流れ込んでくる勢いは陰りを見せない、一体如何程の戦力を蓄えてきたのか、やはり数の利がある相手側が有利なのは間違いない。
「お戻りなさい、巻き込まれますよ!」
アルテミシアの気迫を込めた呼び声が私を呼びつける。
癪に触りますが応じて飛翔の陣を解いて小父様とアルテミシアの下に舞い戻りました。
同時にアルテミシアは天高く左手を掲げて。
「奉り願う、閉ざせ氷塊!」
包術の祈訓と込めた願いを叫びました。
するとそれに応えた世界がアルテミシアの願いを聞き届けて砕けたステンドグラスを巨大な氷塊で埋め尽くしました。
まさか賊を撃ち払いながらこんな巨大規模の包術の準備も並行して行っていたなんて、この女は悔しいけど天才です。
お陰で賊の侵入路は断てた、そうなれば……。。
「奉り願う、裁きの光を……」
剣を構えたままじっと佇んでいた小父様の詠唱が水面に波紋を広げるかの如く静かに拡がっていく、
小父様の足下に銀雪色の方陣が描かれたのは、世界が騎士団長の願いを聞き届けた証拠です。
「はぁあぁぁあああああああああ!」
虚空へと向かい長剣が横凪に振るわれると床、壁、そして天井を覆う氷塊に無数の方陣が展開され、その全てから光の剣尖があらゆる角度から飛び出し、正確無比に賊のみを貫いていく。
眩いばかりの極光が謁見の間を埋め尽くし、続けて木霊する阿鼻叫喚は一瞬にして終わりを告げました。
乱れ舞う裁きの剣筋に焼き尽くされていく賊共は断末魔すら残すのも叶わずに殲滅されてしまう。
床一面に血が漂い、宛ら海を彷彿させるのは積み重なった死体の量を鑑みれば当然の結果。
私は血海に足を濡らしながら惨劇の終焉を眺め、恥ずかしくも片膝をついてしまった。
体は正直です、覚悟を決めていても実際に人を切ったのは今日が初めて、目眩にも似た疲労感で頭が痺れるのに耐えきれなかった。
今更ながらに背筋に冷たさが走り、体の芯から震えが起こる。
(これが……戦場なのですか……小父様は、アルテミシアは……幾度もこの恐怖と隣り合わせの世界を体感しているのですか……)
私が騎士学校に通うのを許したのはあくまで護身術の一環だと言われていた理由を痛感しました。
人を斬るのが怖い、これは偽りのない感情で騎士になるには許されない汚点となる。
(いくら剣技を磨いたとしても私は騎士に削ぐわない、それはつまり小父様を支えるのに相応しくない……こんな形で思い知る事になるなんて……)
感傷に浸るべき場面でないのに関わらず悔しさを噛み締めてしまった。
(立たなくちゃ、私が騎士に相応しくない人間だとしてもたった今戦場に身を置いているのは変わりないんだから、戦うんだ!)
奮い立ち体を起こした私が耳にしたのは悲痛を帯びた小父様の叫びでした。
「陛下!」
小父様が叫ぶ方を見やると、血海に沈んだ二人の陛下の側近と今まさに賊の強靭に胸を穿たれた陛下が映りました。
「そんな……」
陛下が討たれるなんて、あってはならない事実が目の前で起こっている。
胸を貫かれて尚、膝を突かず賊を睨みつける陛下の眼光は死を目前としているとは思えない激しさを携えて、威圧を放っている。
離れた場所にいる私ですら激痛が走りそうになる覇気に陰りはない。
「くく……始めから余を仕留めるのが目的か、貴様等の思惑通りに進んだのはさぞ僥倖だろう」
「黙れ、我ら天の車にはまだ成さなくてはならん使命があるのだ」
「なるほど、次の人柱は決まっているというのか……それはツヴァイトークの娘か?」
「……」
「……敗者である余が立ち入るのも無粋だったな……ならば勝者である貴様らで抗ってみせよ! この世界の残酷な有様にな!」
陛下は自らを貫く刃を鷲掴みにし握りつぶすなどと人間離れした所業で間合いを作り、瞬く間に包術を乗せた拳を放ちました。
「奉り願う! 爆ぜよ賊めが!」
辺りに一斉に吹き荒ぶ熱風が威力の程を悟らせ、賊の顔面を捉えた拳が爆炎を撒き散らし相手を吹き飛ばす。
ですが結果は仮面を剥がしたのみで終わっていた。
(信じられません、陛下の拳を真正面から受けてあの程度で済むなんて!)
気力を振り絞りきり、遂に力尽きた陛下も血の海に沈みました。
熱の余波が肌を焦がしているせいで、陛下が討ち取られたなどと実感が湧いてくれない。
「……」
認識が思考に追いつきません。
たった今起きた事象はドゥーランド帝国の崩壊そのものと表現しても差し支えない。
それに賊が口にした『天の車』という単語、それは十年前の反乱を起こし、小父様に壊滅させられた反帝国組織を指している。
壊滅した筈の彼の組織が生き残って今回の事件も首謀していたとしたとしたら、国を揺るがす新たな反乱の幕開けなのかもしれない。
だとしたらどうすれば、これからの状況を打破すればいいの……。
「……裁かれる覚悟は済んでいるのだろうな、陛下を手に掛けるなどと例え貴公であろうと許されざる大罪に相違あるまい」
小父様の口調にはある種の気安さも混ざっているのはどうして……まさか賊のことを知っているの?
「大罪か……なるほど確かに帝国の忠実な傀儡たる騎士殿にしてみればこの男を殺めた私は咎人に違いないだろう、しかし私から見てすれば愚かしい停滞の中に甘んじ、希望の芽を摘みとり続ける世界の在り方を容認する輩全てが咎人と断じてくれる……この男は正に停滞の象徴だ、死をもってその罪を償わせたまでよ!」
今まで背を向けていた賊が一気に私達へ向き直りました。
肩口で切り揃えた亜麻色の髪。
彫りが深いにも関わらず普段は綿菓子のように柔く甘い表情を浮かべていると見知っている顔。
ですがこの時ばかりは強烈に眉間へ刻み込まれた皺の在り方から私の知る紳士では無いのだと教えられる。
エリオット・ウォーラーさん。
私の先生と言えるお方の一人が反逆者と成り果てた姿がそこに有りました。
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