恋する乙女と父母の思い1
一週間と言う時間は予想より遥かに早く過ぎ去ってしまった。
その間に策を巡らそうと知恵を働かせるも案が飛び出る訳でもなく、無為に時間を垂れ流しただけ。
だけど、いくらツヴァイトーク家とは言え小父様の婚姻を止めるなど無理な話。
私は今日を迎えるまでの間は抑えきれなくなってしまった恋心の所為で小父様の顔をろくに見るのも叶わなかった。
小父様を見かけると頰どころか耳まで真っ赤に染まってしまって顔を合わせるのを避けてしまうから、エリオットさんから聞いた話だと小父様はアルテミシアと婚姻を結んだ事で私に嫌われてしまったとお考えみたい。
確かにアルテミシアも原因の一部かもしれないけど、重要な部分は私の心にあるのは今となっては気が付いて欲しいと願うばかり。
悔しいのは気が付いて貰えても小父様の歩みを止める術にはなり得ないという事実。
(本当に悔しいなぁ)
鏡越しに私にとって自慢の一つの母様譲りの髪(オフゴールド)が編みあがるのを見届けて、誰にも気が付かれないくらい小さく溜息を吐きました。
普段は自分で自分で編んでいるのですが今日ばかりは話が違います。
婚姻の儀に参列するべく登城した私は一室を使ってドレスアップを行なっている最中です。
つい先程まで城のメイド四人がかりで着飾られた特注のドレスは秘密裏に小父様が注文してくれていた品だと聞いて驚きました。
一目では黄金を溶かしこんだのではと間違うくらい鮮やかな黄金色に輝くゴシックドレス。
きっと私の髪(じまん)に合わせてコーディネートして下さったのだと思います。
十六歳を迎えれば法の上では私が望みさえすれば家督を継げるようになる。
となれば公の場での装いも必要になるだろうと小父様が掛けてくださった親心なのでしょう。
それも驚かそうと秘密にするなんて、小父様にしては珍しく子供っぽい。
初めて目にした時はドレスの美しさに見惚れてしまって。
ドレスの経緯をエリオットさんから聞いた時は嬉しくて。
そんな思い入れがある品のお披露目があろう事か小父様の婚姻になるなんて皮肉な話です。
「アイリス様、お待たせ致しました」
髪を編んでいたメイドが一歩下がったのはドレスアップが終了した合図。
立ち上がり姿見へ映して見ると、それが自分だと理解するのに数秒掛かってしまいました。
自分でも重々承知していますが普段の私はかなりのお転婆です。
薄化粧くらいは嗜みで心掛けていますが、鍛錬で走り回るか、お屋敷の仕事に精を出しているかが生活の基準ですからとても淑女と言える物腰かと問われれば答える自身はありません。
ですが姿見に映る姿は……。
(母様みたい……)
いつも淑やかで優雅な物腰で微笑んでいた母様に瓜二つだと思えるのです。
こうして見比べてみた時にちゃんと親の血を引けているの誇らしくて、同時に情けなくもある。
(自分の心に一つ御せないなんて、あの日父様と母様に誓ったのに、誰より強くなって、賢くなって、もう私の様な悲しい思いを世界から一つでも減らす為に、何より私自身が幸せになれる様に父様と母様の分まで生き抜いてみせます、だから安心して見ていて下さい、お二人の愛娘の気高い姿をって」
右手で鏡の中の自分に触れながら。
(今の私のどこが気高いと言うの……結局小父様への想いを捨てきれなかった幼い私なのに……)
トントントンと扉がノックされる音が三回響いて、そちらへ目をやるとエリオットさんが姿を表しました。
入れ替わりにメイドが退室してエリオットさんと二人きりとなりました。
「…………こうして見るとお母上に瓜二つですな」
エリオットさんはどこか懐かしむ様子の視線で私を見つめました。
「アイリス様のお母上アザレア様は平民の出だというのはご存知ですな?」
「はい、父様から聞いております」
「そうですか、当時若くしてツヴァイトークの家督を継承されたオールハイド殿は早急な婚姻を迫られておりました、兄弟の居なかった彼には御家存続の為にも跡取りを残す責務がありましたからな、政略結婚とも言えるであろう婚姻を陛下に命ぜられるも、断固として拒否しようとしたのは若気の至りだったと酒に酔えばよく私に漏らしていたものです、確かに王の命に反するのですから普通ならば処刑物でしょうな」
「その話は初めて伺いました、まさか陛下に絶対の忠誠を誓っていた父様がそんな真似をしていただなんて」
「私も初めて耳にした時は驚きを隠せませんでしたよ、どうやって切り抜けたのか問い詰めてみたら陛下はこう仰ったらしいのです、では貴様には心に決めた者がいるのかと」
「心に決めた人……」
「左様、そしてオールハイド殿は二つ返事でイエスと答え、自分の思い他人の素性を明かしたらしいのです、我が家に仕えるメイドの一人だと」
「母様がメイド!」
立て続けに明らかになっていく両親の秘密に思わず声を上げていました。
「お母上は平民の中でもあまり裕福とは言い難い階級の出身でした、身寄りもなく自分の力で生き残る為に独学で教養を身につけツヴァイトーク家へ奉公に出たのです、そしてオールハイド殿と出会った……」
過去を思い出しているのか、瞼を閉じながらエリオットさんは言葉を続けました。
「陛下も大変驚きになられたらしいです、確かに平民から貴族へと迎えられた人間は歴史を紐解けば存在し、現在の法においてもそれを阻む物は存在しない、ですがそれが名門ツヴァイトーク家となれば話は別です、使用人を妻に娶るなど相当な反対にあったそうですが、オールハイド殿は断固として譲らずにアザレア様を選んだ理由を突きつけたそうです」
「教えて下さい、父様はどうして母様を愛したのか、私知りたいです!」
「オールハイド殿が出会ってきた誰よりも気品に溢れていたからだそうです」
「気品に溢れていた……」
それはよく分かります。私が身につけたいと目標にする所作の多くは母様が教えて下さったのですから。
母様の仕草は呼吸の深さから手の運び一つとっても見惚れてしまうくらい美しかった。
だけどその所作の美しさは単なる体の運びから魅せられる物ではない、母様の心の奥から滲み出る高貴さが形として現れた物であるのは明白でした。
「アイリス様のお祖父様は昔気質な方でしてな、オールハイド殿が幼い頃から厳しく貴族としての在り方を教え込んでいたそうです、それは最早調教だと言っても過言ではない激しさだったと」
お祖父様にはお会いしたことはありません。私が産まれる前に戦場にて命を散らしたと聞いています。
「一人の人間という生き物を貴族という別の存在へと作り変えるのは並大抵の負荷ではありません、それ故にオールハイド殿の精神はいつ壊れてもおかしくはなかった、それでも僅かな隙を他の貴族に見せれば即座に足元をすくわれてしまう、誰にも打ち明けられない苦痛を超えてしまいそうになった時に彼に寄り添ったのがアザレア様だったのです」
「如何様にして母様は父様を支えたのですか?」
「それはですね、オールハイド殿の部屋に花を飾ったらしいのです」
「花……ですか?」
「それも大層な品ではなくただ一輪をそっと生けただけらしいのですが、オールハイド殿はそれを見た時にいつしか花を愛でる余裕すらも失っていたのだと気がついたそうです、そして花を用意したメイドを呼び出し訳を問うた、彼女が行うまで彼の部屋に潤いを用意しようとする使用人はいなかったのですから、そうしたらアザレア様はこう答えたそうです……」
部屋の空気がすぅっと引き締まるのを感じる。エリオットさんがこれから話さられるであろう内容こそ私に一番伝えたかった事なのでしょう。
「普段のご主人様を見ているとまるで人形みたいに見える、花を見て綺麗だと感じるくらいの心の余裕は忘れないで欲しい……貴族の矜持としては主人に向かってそのような物言いをする使用人など追い出してしまうでしょう、ですがそれまで名前すら覚えていなかった使用人が自分の身を案じ、明日のパンを失う事よりも他者を思う優しさに生きている事実が彼の心を動かした、それ以来彼女には花を届けさせその折に交わされる僅かな会話が彼の心が壊れてしまわない最期の支えになったのだと言っていました、この話の後それでも彼女を娶るのが許されないのならば貴族の地位も名誉も一切を捨て去り彼女と共に生きる道を選ぶ、だが認めてくれるのなら生涯全てをかけて国の平和の為に尽くすと宣言したらしいです、もし仮にオールハイド殿がアザレア様との未来のために地位を捨て去ってしまえばツヴァイトーク家は根絶してしまう、それだけは防がなくてはと陛下は二人の仲をお認めになられたのです、そして……」
エリオットさんの右手が私の左肩にふわりと乗せられました。
私の顔を覗き込む為か膝を落として視線を合わせて最後の告白をされました。
「産まれた我が子に二人が結ばれるきっかけとなった花の名前を付けた、『恋を愛しい人に告げる』を花言葉に持つアイリスの名をね」
「えっ!」
父様と母様が結ばれた恋の花、私の名前にそんな由来があったなんて……。
「家を捨ててでも結ばれたい……二人はそんなにまで惹かれあっていたのですね、あの厳格な父様からはとても想像出来ない情熱的なお話です」
「それこそアザレア様と結ばれたからこそオールハイド殿は誓いを守られていたのですよ、国の平和を願い最後まで戦われていたのは友である私が一番存じております、故に志半ばで倒れられたのは心残りだったことでしょう……彼の悲願は誰かが引き継がなくてはならない、そしてそれを成すべきなのは友である私、そして弟子であるベルグリッドです」
「ですがそれなら娘である私が……」
「オールハイド殿……いえオールはアイリス様の幸せを蔑ろにした訳ではない、貴女が戦い命を落とすのを彼も望んではいますまい……そうなれば私は友の思いを裏切るのかもしれない」
膝を伸ばしたエリオットさんは私の髪を何度か撫でてからその場を離れていきました。
ですがドアを潜る手前で振り返り頭を垂れた父様の親友は最後の労いを掛けてくれました。
「今日は旦那様の晴れの日でありアイリス様にとっても新たな門出となりましょう、不詳エリオット・ウォーラー、微力ながらお力添えをさせていただきます」
メイドとしての私を育てて下さったもう一人の師の言葉をちゃんと拾い上げました。
確かに今日は特別な日にはなるでしょう、エリオットさんも儀が上手く行くように動くので力添えをしていただくのも事実、だけど何かが引っかかる……。
「父様をオールって呼ぶのも久しぶりに聞いたな」
かつて騎士団の長と副長であり無二の親友でもあった父様とエリオットさんですが、父様が亡くなってからというもの私的な場で呼び合っていた愛称は使われなくなりました。
いつもオールハイド殿と呼んでいたのに、どうして今に限って昔の呼び名に戻したのか。
「エリオットさん、貴方は心のうちに何を秘めているのですか……」
さっきのエリオットさんは優しい執事ではなく、暗い色を瞳に携えていらした。
背中にぞくりと悪寒が走ったのが偶然だと信じたい。
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