恋する乙女と譲れぬ戦い7

庭園は月明かりと街灯に照らされるせいか夜でありながらも輝いて。

咲き誇る薔薇の数々は私へ微笑むように鮮やかに咲き誇り。

リィンリィンと虫の音が紡ぐ小さな演奏会の会場となっています。

観客は私一人だけ。とても贅沢な事なのに今の私には見惚れるのも聞き惚れるのも叶わない。

「ひっく……ひっく……」

庭園の中央、円形に開けた休憩場所のベンチにかけたまま涙でエプロンを汚していました。

先程まで堪えていた量が多かったのでしょうか、雫は止めどなく流れ続けて収まりを見せない。

心に抱えた悲しみが涙の形で溢れいるなら暫く降り止むことはなさそうです。

「小父様……小父様……」

恋する気持ちを受け入れた時から決して叶わないのだと言い聞かせてきました。

いつかこの思いはいつか私を焼き尽くしてしまう、全てを消し去る炎に姿を変えてしまうから深い所へ鍵を掛けなくちゃ、私の為に、小父様の為に。

ですが押しやろうとすればするほど膨れ上がって私を焦がす熱い炎は全身を包み、やがて身を委ねるのが心地良くなっていた。

小父様を思う度に高鳴る炎は甘美に酔わせる魔力も宿して、恋は盲目とは本当なのだと痛いほどの思い知らされる。

「……っ」

気力を振り絞って立ち上がった私は、無駄と思い知っている行いに出ました。

「奉り願う、我が包力よ応えたまえ!」

幼い頃から口にしては挫折した包術の発動祈訓。

いつかは、いつかはと挑みながらも只の一度も巻き起こらない世界の奇跡に今日も打ちのめされる。

「どうして……」

世界に見放された貴族。

それが他の貴族達が陰で囁く私への当てつけでした。

学校の模擬戦で無敗であろうと、包術が使えない時点で対等とはみなされない。

見放された貴族との立会いなど、勝敗の是非をつける意味も無いと言われ続けてきた。

その記憶が相まって、更に雫は溢れてくる。

どうすれば泣き止むのだろう、尽きることのない涙が枯れる方法を教えてほしい。

いいえ、本当は既に知っている。

波を枯らして炎を消し去る術、それは……。

「やはりここにいたのか」

カッカッと杖が石畳みを突く音が聞こえました。

「アイリスは昔から思い詰める時や悲しみに暮れる時はここに来ていた、幾つになっても変わらない癖があるのは親代わりとしては安心するものだな」

暗がりの奥から姿を現したのはとても会いたくて、でも離れなくてはいけない人。

ベルクリッド小父様。私の親代わりであり、剣の師であり、愛しい人。

小父様は右手に帯剣していました、鞘に収まった見覚えのあるそれはいつも私が小父様との鍛錬で使う模造剣です。

「小父様、それは……」

「私達に言葉は不要だろう」

穏やかな笑みを浮かべた小父様は私へ向かい模造剣を放りました。

弧を描きながら落ちてくるそれを右手で掴み取ると、小父様の意図を確かめるべく向かい合い視線を交わせる。

小父様の澄んだ瞳、夜空の様な深く穏やかな視線が私を受け止めてくれる。

「随分と泣きじゃくっていたみたいだな」

「こ……これは、泣いてなんか……」

「隠す必要はない、涙ほど純粋に感情を現わせる術を私は知らないのだ、特にアイリスの流す涙は君の心を映すかの如く澄んでいる、このならず者には眩しすぎるくらいにね」

小父様は微笑みを絶やず左手の杖を右手に持ち替え、左身を引いて正眼に構えました。

「だから今の涙がアイリスの胸の内に溜まり続けているなら全て流し尽くしてしまえばいい、来なさい、君の師は弟子の涙を受け入れる度量くらいは持ち合わせているぞ」

「……」

本当に私達の間に言葉は要らない。

シャランと鈴鳴りを伴って鞘から模造剣を振り抜くと鞘は後ろへ放り、剣を両手で上段に構えました。

「すぅ……はぁ……」

小さく、深く呼吸を繰り返し体内の濁と世界の精を入れ替えて、心の乱れが落ち着くのを待ちます。

閉じた瞼の内側は暗く、意識の中から汚れが薄れるに連れて見えるべき物が浮かんできました。

小父様の優しさに縋りつく、醜い私が。

「……!」

カッと見開くと同時に直線を跳躍し小父様へ斬りかかります。

「はあぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

私の間合いに小父様を捉えた瞬間振り下ろす一撃。

実剣ならいざ知らず、杖で受けるなどあり得ないそれを小父様は軽々と成して魅せました。

模造剣の腹に杖を当てがい力点をずらした、言葉にすれば単純でも実戦で瞬時に行うのは至難の技。

更には力点を制されているから小父様は力を欠片も使わないで鍔迫り合う。

その至難を容易いと宣えるからこそ、この方は騎士の頂点に立たれている。

「どうした、心の内に渦巻いていた思いはたった一撃で吐き出せる程度の物だったか?」

挑発ではありません、遠慮するなと言っているだけ。

「さあ、曝け出しなさい!」

剣が弾かれて距離を作られる。

もう一度小父様の表情を見てみれば穏やかなまま、私を見守り続けてくれている親としての顔。

だから……。

「ちぇああああああああ!」

形振り構わず模造剣を振り回した。

型もへったくれもない剣技と呼ぶには粗末過ぎるただの乱撃。

手加減をしない全力の速度で小父様の周囲を走り回り打ち続ける。

小父様は右脚を軸にし駒みたいに体を回しながら全てを受け流す。

打てども打てども届かない。

遥かな高みに佇むこの人を超えなければ私の中の弱さを振り払えない。

愛しい人に甘える心に打ち勝つには剣を届かせるしかないのに。

「……強くなったな」

小父様が感慨を込めた呟きを落としました。

「身のこなしから生ずる速さ、それを維持する為の体力、全身を使い弱点である剣の軽さを打ち消した重みのある斬撃、飛翔の陣を使えない開かれた空間でよくぞここまで私に追い縋れるものだ、だが……」

また力点をずらされて弾かれる。

体が勢いに乗っていた分反動も大きく、石畳に強く打ち付けられそうになるも、受け身をとり体のバネを利用して体制を立て直す。

「心の乱れを御しきれずにいるな、打ち合いを続ければ静けさを取り戻すと思ったがこれだけ打ち込んでも心は晴れないか……教えた筈だぞ……」

小父様の杖が右片手で上段に構えられました。

次で最後にしようと仰っているのです。

「剣筋を描き出すのは己の心、如何なる戦場であろうと波紋を無くし我が身と剣を一つに束ねてこそ包力は応える、剣だけでは隼の型は成り得ない、剣と包術を共に自在とするその時こそ隼の型は完成を遂げると」

小父様が纏う気が変わりました。

優しく私を見守ってくれる親から、剣の師である騎士へと。

気に呼応したのか風鳴りが酷く煩くなった。

けして錯覚ではなく、騎士から滲み出る包力が大気すらも掻き乱しているのです。

「私は……」

足を肩幅に開き、両手で握った模造剣を地と水平に構えたまま、体を後ろへ引き絞る。

ベルクリッド流 隼の型 俊風(しゅんふう)。

全身の力を余さず連動し極限まで速さを追求する隼の型において、奥義 流星に次ぐ速度を生み出す音速の突き。流星が飛翔の陣による最大加速を必要とするのに対して、構えさえ構築出来れば如何なる時も使える得意技の一つ。

奥義の五分の一程の速度でも、今の間合いならば躱させないには充分。

「私は弱いです、心も体も全て弱くて、だから包力は……世界は応えてくれない……」

流し尽くしたと思った涙の最後の雫が頰を伝いました。

「だから私は……」

雫が地に落ち弾けたのを合図に。

「私自身に勝ちたいのです!」

体が風になったと錯覚する時、重力を跳ね除けて小父様へ向けて放たれる渾身の突き。

弱さ、幼さ、悔しさ全てを乗せて目の前に聳える壁を打ち破らん。

その時こそ私は小父様と対等な場所に立って、長年の思いを打ち明けよう。

だけどもし果たせなかったとしたら……。

「ぬぅん!」

剣先が小父様へ迫り、あと一歩と言うところで振り下ろされた一撃。

技でもなんでもないただの一太刀が大気を揺らし私の俊風を押し留めました。

それも私に触れもしないで。

「………………」

言葉が出ません。

小父様は最初から私を傷つける意図は持っていなかったのでしょう。

杖は私の左肩の寸前で止まっています。

振り下ろしに乗せられていたのは純粋な剣気、触れるだけで相手に敗北を悟らせるには余りある密度の重圧です。

もし私が剣気に呑まれず剣を届かせていたなら勝てていた。

技でも体でも無く心で押し切られてしまった結果、完全に敗北しました。

「……終わりだな」

「……はい」

模造剣を地に置いて、片膝を付き、頭を垂れた私は宣言しました。

「私の敗北です」

壁を破れなかった未熟さを認めざるを得ない。

涙は完璧に枯れきっていて、悔しいくらい心は軽い。

「……エリオットとの会話を聞いてしまったのか?」

杖を下ろした小父様が聞いてきました。

「……すみません、意図しての行いではありませんが耳に入れてしまいました」

「それは分かるさ、廊下にいつものティーセットが残されていた、病み上がりの体を押して用意してくれたのだろう……レモンタルト美味しかったよ、アイリスの作る甘味の中でもあれが一番気に入っている」

まさか食べてくれてるなんて思いもしませんでした。

ちゃんとしたティータイムをご提供出来なくて不甲斐ない。

「……アルテミシアとの婚姻は以前から上がっていた話だ」

聞きたくない、だけど受け止めないと前に進めない。

押し黙ったままの私に小父様は語っていきます。

「アルテミシアのシルフール家は貴族会において第二位の権力を有している、一族の歴史も深く国王への発言権を持つ数少ない貴族だ……彼らにとって私は気に食わない存在だ、平民上がりのならず者でありながら貴族会、そして騎士団の長を拝命し国政を動かす中核となったのだから当然だろう、就任した直後から私を失脚させようと妨害を受けたのも一度や二度ではない」

淡々と語られるのは小父様の貴族としての戦いの歴史でした。

「貴族会の内で幾度となく争い、そして打ち破る日々の中で最近になりシルフール家は方針を変えてきた、争い打ち負かすのでは陛下に反逆と見なされ国政から遠ざけられる可能性もある、ならば私を長の座ごと一族に取り込めば戦わずして勝利出来る、だからこそ跡取りであるアルテミシアを私の妻にと推めてきたのだ、かの一族に名を連ねれば私にとっても大きな後ろ盾となる、国政を守る番人として強固な布陣を敷けるだろうと持ち掛けてきた」

やはり政略結婚でしたか。

「正直な話をすれば受けるつもりは無かった、私は権力欲しさに貴族となったわけではない……師であるオールハイド殿に受けた恩義に報い、あの方が成そうとし果たせなかった平和の礎を創り上げるのが私の責務だ、だがより早く事を進めるには力が要ると思わされるのも現実……シルフール家は権力を欲しはするが誤った国政を望む訳ではない、であるなら利用するのも必要かと考え始めていた矢先に今日の出来事が起きた」

それはもしかして……。

「アルテミシアが私に熱を上げているのは気が付いていた、私とて女性が色恋に浮かされているくらいは見当が付く」

でしたら私の気持ちを悟れなかったのは、私を女として見てくださらないからですか……。

「あれは欲望に忠実で自尊心に満ちている、悪い事にそれらを遂げるに余りある才気を持ち合わせてな……しかしまさか学生となりアイリスを狙うとは考えもしなかったが、あれにとって姉弟子に当たるアイリスを打ち倒し気を引く算段だったのかだろが、私の読みが浅かった、これ以上アイリスに矛先を向けさせる訳にもいかない……」

膝を付いた小父様は私と目線を揃えて下さりました。

強い決意と何かを詫びる様な弱さが綯い交ぜになった瞳で私を見つめて、耐えられなくなった私は下を向いてしまいました。

「私はアルテミシアと……シルフール家と婚姻を結ぶ」

一番聞きたくなかった答えを教えてくれました。

「私はオールハイド殿から数え切れないだけの物を引き継いできた……騎士の礼節、貴族の役割、国を守る使命、そしてアイリスを託された……」

小父様の右手が私の左頬に添えられました。

ゴツゴツと強張った手は岩の様に硬く、他の貴族が目にすれば品が無いと笑い者にするでしょう。

だけど私にとっては触れているだけで心が安らぐ魔法の手です。

幼い頃から焦がれて、触れる事が出来るのに、本当の意味で届かない愛しい手。

「オールハイド殿の忘れ形見を危険な目に合わせる訳にはいかない、剣を教えたのも騎士学校の門を叩くのを許したのも自分の身を守る術を身につける目的での事、自ら望んで戦場を駆けるためでは無い」

そして届く事は一生無いと告げられてしまったのでした、よりによって私の身を案じる小父様の思いやりという形を成して。

「これを期にアイリスは独立してはどうかと考えている、婚姻を結べばこの屋敷にはアルテミシアも住まわなくてはいかん、共に暮らすのはあれとて望まない筈だ……アイリスも十六になるのだから正式にツヴァイトークの家督を継げる年齢だ、その意味合いを含めていい機会だと考えているのだが……」

「分かりました」

地を見つめたまま淡々と答えました。

「家督を継ぐのは私自身も望むことで、小父様に甘えるのはいつか終わりにしなくてはいけないと思っていました、むしろどんな形であれ婚姻を結ばれるなら祝福させて下さい、奥方を迎えるなら貴族の責務と言わずに小父様にとって幸せの一つにしてほしい、父様とてきっとそう仰ると思います」

嘘です。

こんなの嘘嘘嘘! 小父様を取られたくない! 私を一人の女として扱ってほしい! アルテミシアじゃなくて私が小父様を幸せにしたい! 私が……。

(小父様の……お嫁さんに、なりたい……)

小父様の思いやりを無駄にしない為にも震えとして身体中を駆け巡る悔しさを押さえつけ、叶わぬ恋心を理性で縛り付けながら、真意とは裏腹な言葉を口にします。

「……そうか」

左頬から手が離れて、小父様が立ち上がるのが気配で分かりました。

「アイリスにも家督を継ぐ気概が芽吹いているのなら無碍に摘み取る必要もあるまい、勇気ある決断に感謝する……明日も学校があるだろう、今日はもう休みなさい」

足音が離れて行くのを合図に顔を上げると、小父様の背が遠ざかっていくのが見えました。

(小父様……)

一歩一歩距離が空いていくにつれて小父様と心まで離れていく様に感じるのは錯覚ではない。

(……ありがとう……ございました……)

私は負けました。

小父様でもアルテミシアでもなく、まごう事ない自分自身の心の弱さに。

剣に乗せて小父様へ放った思いは掠すらせず無残に砕け散ってしまった。

もしも剣(こころ)が届いたならば思いを打ち明けよう、だけど届かないのなら……。

(小父様を愛しています……)

砕け散った恋の残骸は風に流して捨て去ろう、そう決めていました。

叶わぬ恋は終えてこの先私自身が何を始めるべきなのか、まだ霞が掛かって見えないのです。

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