恋する乙女と譲れぬ戦い4

鍔迫り合いの形を保ったまま、どれくらい経ったのでしょうか。

既に何時間もこのやり取りを続けているのではないか、私にはそう思えてならないくらい怒りは心を通して剣に宿っていました。

「小父様を寄越せとはどう言う了見ですか!」

「言葉通りですわ、私はあの方が欲しい、身も心も全て手に入れたい」

「そんな事誰が許すと……」

「あら、貴女は許す立場にいるのかしら?」

「それは……」

「アイリスさんが団長の庇護下に置かれているのは有名な話ですし後ろ暗い事などありません、ですが特別な感情を団長に向けられているとなれば話は別です」

「……!」

どうしてアルテミシアが私の秘密を知っているのです!

エリオットさんやユリウスどころか誰にも話した事など無いのに。

「ふざけた事を言いますね、私が小父様に特別な思いを抱くなどありえません、あの方は私の恩人です、義を貫くことしか私には許されない!」

「あくまでしらを切るのですね!」

アルテミシアの剣が私を弾いて、二人は再度中央にて正眼に剣を構え直しました。

「女同士ですもの殿方には気が付けない感情の機微にも気が付けますわ、ましてや同じ方を思うのでしたら尚更です」

「貴様!」

「ですからこの試合私が勝てば団長から手を引いてください、屋敷から出てあの方に近づかない様にして頂きたいのです」

「……私が勝ったら」

「あら?」

「私が勝ったら、貴様はどうするのです!」

最早怒りを抑えるのは無理になってしまいました、私の恋心はいざ知らずこの様な暴虐武人な女が小父様にこれ以上近づくのは阻止しなくてはなりません。

「そうですね騎士団を辞めて遠方の田舎にでも引き上げましょうか、もちろん団長には二度と近づきませんわ」

「分かりました、その約束決して違えませんよう誓いなさい!」

「ええ誓いますわ、勝つのは当然私なのですから!」

相手の胴目掛けて突きを放つと、すぐさまガードの体制を取られました。

予想通りの動きです、狙いをずらして籠手への一撃が決まれば剣を落とした相手など私の敵ではありません。

ですが相手からしてもこのくらい対処するのは訳が無いのでしょう、体を屈めて突きをやり過ごすと下方からの振り上げを見舞ってきます。

私は体を後方へ逸らし回避すると同時にサマーソルトの要領で顎を蹴り上げようとしますが、アルテミシアも瞬時に後方へ跳びのき躱されます。

お互いに後方へと跳びのきましたから素早く体制を整えた方が先手を打つでしょう。

そしてアルテミシアの方が上手を行きました。

直線ではなく敢えて半円を描く軌道でこちらへと失踪し横薙ぎを見舞おうと木剣を振るって来ましたが、寧ろ私の思う壺です。

鍔迫り合う刃を滑らせ相手の助走を利用して受け流します。

自然とアルテミシアの背後を取った私はガラ空きの背中へ向けて一撃を振るいました。

「てやぁ!」

ですが確実とも言える一撃もあろう事か防がれてしまいました。

それも振り向く事なく背後へ回された木剣によって。

「ふふ……楽しいですね!」

瞬時に正面へと向き直ったアルテミシアは息つく間もない連撃を乱れ打ちで仕掛けてきました。

力任せにがむしゃらに振るわれるだけですが一撃一撃が女性にしては重く、全て受け切るも衝撃が重なる毎に節々に痛みが蓄積していくのが分かる。

このままでは防戦一方、かくなる上は……。

「てやぁああああああ!」

私も連撃による攻めに転じるしか無い、相手の剣をはたき落としながら刹那の隙が生まれるのをひたすら待ちましょう。

がむしゃらに剣を振るうアルテミシア。

正確に打ち合いを受ける私。

まるで対照的な二人かも知れませんが、私はどこか言いようの無い奇妙な感覚を覚えていました。

(アルテミシアの剣筋、これはまるで……)

そして遂に私の剣筋が一手相手を上回り、待ち望んだ隙が生まれたのです。

「はぁああああ!」

「くっ!」

防御の薄れた右の上腕を狙い、相手へ向かい踏み込みすれ違いざまの斬撃が決まりました。

背中合わせで距離を取る形になり、残心をとった私は再度正眼に木剣を構えて息を整えます。

「ふぅ……」

アルテミシアは先の形で固まって動きません。

一撃を見舞った右の上腕を見てみると鍛錬着が裂け薄っすらと血が滲んでいるのが遠目でも伺えました。

観客達からも騒めきが起こっています。

騎士、それも団長直属の親衛隊に所属するアルテミシアに一介の学生が一矢報いれば驚きの声が上がるのも無理はありません。

そして原因はもう一つあります、私の動きは普段の鍛錬試合に比べて少なくとも倍速であるはずです。引き上げようと思えばまだ二段階は早まるでしょう。

私は普段本気で学生と打ち合う事を小父様に禁じられています。

小父様に授けて頂いた私の剣は既に学生のそれを遥かに凌いでしまっている、無闇に振るえば人を害するなど容易い領域だから小父様との立会い以外でこれを禁ずると。

正直この試合でも本気に近い力を出すのに躊躇いはありましたが相手は現役の騎士です、多少なりとも手は抜けない。

心の未熟さで剣を振るってしまった事は小父様に報告して私自身も改めて鍛え直す事とします。

そして試合はまだ終わっていません、これからが本番でしょう。

「……素晴らしいですわ」

アルテミシアがゆったりとした動作で私へ向き直りました。

「私に一撃を見舞ったのは親衛隊でも上位十番に数えられる方々だけでしたのに、学生であるアイリスさんに肌を傷つけられるなんて……心の底から賞賛を贈らせて下さい」

「お褒めに預かり光栄です、ですがこれで終わりではないですよね? 傷の一つで勝敗を決める程騎士の決闘は甘くない」

「ええその通り、勝敗はどちらか一方が敗北を認めるまで試合は続きます、私も少しばかり本気を出してもいいかも知れませんね」

アルテミシアが顔にかかる長髪を払うと彼女の余裕に満ちた表情が露わになります。

「その前に一つお聞かせください」

「あら、何かしら?」

「貴女の剣筋には覚えがあります、がむしゃらに振るっている筈なのに私の剣筋と動きが似通っているのです、もしかして……」

「そうですわアイリスさんのご想像通り、私の剣もベルクリッド団長による手解きの賜物ですの」

やはりそうでしたか。

小父様ご自身は私達の様な連撃ではなく寧ろ一撃の威力に比重を置いた剛剣の使い手です。

ですがその様な威力に任せた一撃など私の膂力では扱える訳もない、よって私の為に少ない動作と先読みによる流れの掌握で戦いを制する剣を編み出し授けて下さいました。

言うなれば私の剣はベルクリッド流 隼の型。

小父様が名ずけてくださった私の宝物です。

「私の剣はベルクリッド流 竜王の型、剣の一撃の重みに加え剣筋の速さを追求した型ですの」

道理で見覚えがあるわけです、私自身が振るっている剣技こそが奇妙な感覚の正体だったのですから。

「実は私、誰かに師事をしたのは団長が初めてでしたの」

「……どういう事ですか?」

「そのままの意味です、剣を握り思うままに振るえば誰も私を止められませんでした、誰も彼もが膝を付き勝者の余韻を味合わせてくれました、親衛隊上位の皆さんと団長を除いてね」

試合中でありながらアルテミシアは恍惚とした表情を浮かべる何も無い宙を見つめています。

過去の甘いひと時を思い出す乙女の様相です。

「団長に完膚無きまで叩きのめされたあの日から私の心は奪われて離されません、親衛隊に入隊してから団長と交わした鍛錬の日々、その中で与えてくださった荒鷲の型は一層私を輝かせてくれたのです……ああ団長、お慕いしております」

「まだ決闘の最中ですよ、色めきだつのも大概になさい!」

怒りを露わにする私を前にして尚アルテミシアは頰を朱に染めたまま続けます。

「そう怒らないでくださいまし、言ったでしょう本気を出すと、騎士と見習いには明確な差があると教えて差し上げましょう」

するとアルテミシアは剣先を床に突き刺し不敵に笑みを浮かべ。

「悔しいですが剣技においてはアイリスさんの方が一枚上手の様です、まだ動きも速くなれるでしょうしこのまま剣技だけで挑むのは愚かですわね」

初見でそこまで見抜くのですか、悔しいですが剣士としての審美眼は本物みたいです。

「だからこそ教えて差し上げます、騎士の戦いは剣のみが全てではないと」

アルテミシアの体がぼうっと光を纏いました。

氷青色をした光のベール、やがてそれは木剣を伝い床へと落ちて彼女の足下に法陣を描きました。

「アルテミシア君止めなさい!」

教官が制止しようとするも聞く耳はないらしく、彼女は発動祈訓を歌い上げました。

「奉り願う、凍てつく翼よ舞い踊れ、私の心が世界を包もう!」

剣先から極寒の冷気が溢れ出し見る見るうちに床を凍結、更にその規模を拡大していきます。

世界を包む源の力、包力。

陰と陽に大別され調和しながら有機無機を問わず世界の全てを構成するエネルギー。

当然人間も包力により構成されており、修練を積めば発動助詞を唱え世界と調和する事で神秘の事象を引き起こすことが出来ます。

ですがそれは言うに容易くは無く、騎士学校に入学する時点で素養の有無を選別され在学中初歩的な術式を五つも修得出来れば精鋭として騎士団に迎えられるとさえされています。

アルテミシアが発動した規模の大きさから彼女の才気が如何なるのものか嫌が応にも思い知らされてしまう。

悔しいばかりです。

「さあ仕切り直しです、私の氷を如何様に捌くのか見せて頂きます!」

距離があるにも関わらずアルテミシアは剣を振るいました。

すると剣先から溢れんばかりの氷雪が渦を巻きながら襲い来るのです。

「全員退避!」

最早止められないと判断した教官が生徒達を避難させるべく声を張り上げ、生徒はみな我先に出口へと駆け出して行きます。

ただ一人ユリウスだけを残して。

「アイリスこれ以上は危険だ! アルテミシアは僕たちとは次元が違う!」

この状況で尚私を止めようとしてくれる勇気ある友人に心の中で謝ります。

「ごめんなさいユリウス、この決闘だけは退けないんです!」

三人だけが残った鍛錬場は氷雪に埋め尽くされ、唸りを上げながらのたうち回るそれは自然界の覇者たる竜を彷彿とさせる。

狙いを私に定め迫り来る竜を前に私は覚悟を決めました。

「はっ!」

その場から壁へ向かい跳躍し氷雪を回避、壁を蹴りつけて更なる跳躍を試みます。

「アイリス、君は!」

ユリウスが驚きの声を上げていましたがそれも当然でしょう、私が蹴りつけた壁の高さは優に五メートルは超えていたからです。

壁から壁へ、時には天井や床も駆使して迫り来る氷雪を躱しながら私は加速し鍛錬場を駆け巡るのです。

本気を出した今の私は通常の鍛錬場と比べて五倍まで身体速度を釣り上げられ、更にはあらゆる機動力と瞬発力を駆使する事で最高十倍の速度で剣舞を披露出来ます。

ベルクリッド流 隼の型、飛翔の陣。

小父様と共に鍛錬し会得した私の本領の一つ、人前で披露するのは初めてですがそう簡単に捕らえられる自信はありません。

「あはは! 素晴らしい、素晴らしいですわアイリスさん! これ程の体術の使い手は親衛隊にも団長以外にいませんから!」

高笑いを上げながら尚氷雪を鞭のようにしならせ追撃を見舞って来るアルテミシア、心底私との戦いが楽しくてしょうがないのでしょうか、あちらも攻撃の勢いがどんどんと増していきます。

実を言うと私も少しばかり興奮してきています。誰にも向ける事の許されなかった本気の刃を正面から交えられる相手と対峙している、騎士としての私の心に熱い火が灯っているのは確かでしょう。

(ですが!)

これはお互いの矜持をかけた決闘、いつまで続ける訳にも行きません。

(そろそろ決着をつけましょう!)

私の速度が最高潮に達した今だからこそ使える奥義、それを披露して差し上げます。

「アルテミシア覚悟!」

アルテミシアの真上の天井を力の限り蹴りつけて全身のバネから光速の突きを繰り出しました。

ベルクリッド流隼の型 奥義 流星。

飛翔の陣による加速から繰り出される突きは単純故に強力、躱せぬ速さと防ぎようのない威力で敵を貫く様は正しく降り注ぐ流星。

眼前に迫るアルテミシア、当然命を奪う意図はありませんから氷雪を突破し肩を掠めたところで決着とするつもりです。

アルテミシアが私を見上げました、最早敗北しか道が残されていない彼女は表情は蝋梅に染まっていると確信していましたが、私が目にしたのは……。

「なっ!」

この時を待ちわびたと言わんばかりの嬉々とした笑みでした。

氷雪が私に絡みつき流星の勢いに陰りが見えます、ですがこの程度で奥義そのものを抑えつけるのは不可能、力尽くで突破出来るでしょう。

「お見それしました、まさか包力に頼る事なくここまでの力を身に付けられているとは驚嘆に値します!」

「負け惜しみを! それくらいで揺さ振られる私ではありません!」

「お世辞ではなく偽りない賛辞です、間違いなく剣技において貴女は私を凌駕している、ですが!」

吹き荒ぶ極寒の中、アルテミシアが木剣を下段に構えるのを見ました。

「勝つのは私です!」

アルテミシアを包む包力が視界を焼き尽くさんばかりに輝きを増し。

「竜王の型 奥義 逆鱗!」

降り積もった雪が激しく振動し唸りを上げ始めました、まるでそれは触れてはいけない逆鱗を害された龍の咆哮の如し。

氷雪どころか鍛錬場ないし大地そのものが揺さ振られているのではと錯覚しそうな大振動。

そんな天変地異の最中振り上げられたアルテミシアの剣に連なって鍛錬場を埋め尽くしている氷雪が一斉に私めがけて襲い狂いました。

流星を中断しようにも空中では足場も無く回避は不可能、眼前と周囲は襲い来る雪崩に囲まれて逃げ場はない、であるなら……。

「はぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

持てる限りの力全てを尽くして術者であるアルテミシアを討ち取らんのみ!

ここまでくれば狙いを逸らすなど器用な真似をする余裕はない、ただただ全力で突き進むのみ!

「うち果てなさい、荒れ狂う逆鱗の前に!」

「私は負けません! 何が在ろうと師であるあの人の為に!」

「……! だからっ」

アルテミシアの表情に険しさが増し、呼応する氷雪も勢いを強めていきます。

「あの人を苦しめる貴女が許せないんですよ!」

最後に目にしたのは隠す事なく怒りを露わにし叫ぶ彼女でした。

やがて視界は完全に氷雪に埋め尽くされ、極寒に押し流された私は敗北を喫したのです

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