恋する乙女はメイドな生徒3
日が落ちて空が夜に染まる頃、私は厨房をお借りしています。
「今日の茶葉は香りが落ち着いてる品だからこのままだとお菓子に負けちゃうわね……そうだ、良いリンゴがあったはずだからアップルティーにしよう、それならお菓子にも負けないコクが出るし、えっとそれじゃあ……」
果物の籠からリンゴを取り出すと薄くスライスしてからお鍋で煮た立てて香りを移すと、それを茶葉の入ったポットに注ぎ蒸らしてあげます。
これでお部屋に運ぶ頃には飲み頃になっているはずです。
オーブンを覗くと焼き菓子も焼き上がったらしく、取り出してお皿に盛り付けて完成しました。
お茶とお菓子をワゴンに乗せて目的のお部屋に向かうとしましょう。
月明かりとランプだけが照らす廊下を渡って、今日念入りに掃除したリビングの前に辿り着きます。
トントントンとノックをしてからドア越しに声を掛けます。
「アイリスです、お邪魔してよろしでしょうか?」
「構わないよ、お入りなさい」
すぐに帰ってきた返事を聞いてからドアノブに手をかけて扉を開きます。
「失礼します」
スカートの裾を持ち上げて会者してからワゴンを伴って室内に足を運びます。
ゆっくりと進んでリクライニングチェアーの側に寄ると、それに掛けているこの屋敷の主人が私を見上げました。
「ただいまアイリス、今日も一日を終えられたよ」
燻みを見せる銀髪に引き締まった顔付きをした壮年の紳士。
このお方こそこのお屋敷の主人にして現帝国騎士団団長であらせられるベルクリッド・ファン・ホーテン様、十年前私を救い出してくれた命の恩人です。
「お帰りなさいませ旦那様、本日もご公務お疲れ様です」
「堅苦しくしないでくれないか、せっかくの我が家だ、今くらいは気安く呼んではくれないか」
「そうですね、この格好だとつい癖になっていて、すみません小父様」
「ふふふ、アイリスは真面目だな、本来ならば君はこの屋敷の客人であるんだ、もっと気楽に過ごしてほしいし仕事もエリオットに任せて構わないんだがな?」
「そうは参りません、小父様は私の命の恩人です、助けていただいてその上無償の施しを受け続けるとなったらツヴァイトーク家を継ぐ者としてあってはなりません、第一私自身が弛んでしまいます」
「そうか……このやり取りも何回目になるか最早覚えてすらいないが、アイリスはどこまで行っても誇り高い、私としては年相応に学業と遊びに性を出して欲しいのだが……」
「成績は常にトップを守っていますし、お屋敷のお仕事も私の楽しみの一つです、どうか私の楽しみを奪わないでくれませんか?」
「そうか、ならばお言葉に甘えてしまうか……まあもっとも……」
小父様がチラリとワゴンへ視線を送りました。
「こうしてティータイムに付き合わせている時点で甘えているのだがね」
「すぐにお茶を入れますね」
陶器のカップにアップルティーを注いで焼き菓子と一緒にサイドテーブルへお出しします。
「今日はアップルティーとクッキーです、どうぞ召し上がれ」
「いただこうか」
小父様はリクライニングチェアーに掛けたままクッキーを一つかじり、それからアップルティーをゆっくり味わっていきます。
「……美味しいね、昔から甘味には目がないのだがアイリスのお菓子は群を抜いて美味しいな、これを楽しみに毎日を過ごしているようなものだ」
小父様はふぅと息をつきました。
「嬉しいです、小父様」
「一日中貴族会のお偉方と顔を付き合わせて、その上騎士団の鍛錬、騎士学校の視察と続いていれば正直それなりに疲れる、私のような現場上がりのならず者には相応しくない役職なのだが……」
小父様は非常に謙虚なお方だと思います、今ご自身で挙げられた役職のそれぞれは一つとして動きが滞れば国政に障害を齎すであろう重大な物ばかりです。
謙遜なさらず小父様には胸を張ってもらいたい。
ですから……。
「そんなことありません!」
気が付いたら私は小父様へ向かって乗り出していました。
「小父様が騎士団長に就任されてから騎士団の業績が上がったのは市政の民も周知の事実です、それはつまり帝国の防衛力の強化の先に民の生活がより安全となった証拠です、それに加えて貴族会の腐敗した輩の掃討から騎士学校への大掛かりな支援を始めとした現政策と後進の育成、この国の未来を見据えた小父様の取り組みを知らない人間は探す方が難しい、私の学友も小父様に憧れて騎士学校の門を叩いた者が大勢います!」
気が付けば小父様が目を丸くしていました。
つい熱くなってしまって恥ずかしい、一歩後ろに下がって頭を冷やしましょう。
「何より十年前の天の車によるクーデターを食い止め、帝国を救った小父様はこの国にとって英雄です、ベルクリッド・ファン・ホーテンはまごう事無い私達の平和の象徴なんですよ、だから今くらいは甘いお菓子で疲れを癒して下さい」
天の車。それはかつて存在した反帝国勢力を指します。
国家の転覆を私の両親の死を引金に起こそうとしたかの組織ですが、小父様を始めとする騎士団の精鋭により駆逐されて消失しました。
帝国に降りかかる厄災を切り捨てた英雄、それが国民による小父様への印象です。
「……そうか」
小父様は立てかけてあった杖を取るとゆっくりと立ち上がろうとします。
健常者の倍は時間をかけて体を起こされましたが、そのお姿を目にする度胸の奥が締め付けられるのはいつまで経っても治らないでしょう。
クーデターのあの日、命を落とそうとしていた私を助ける為にご自身を構成する包力を消費した小父様はそれ以降左脚を患っています。完全に動かないわけではありませんが日常生活を送るには杖の助けが必要になります。
本来ならこんな重荷を背負う必要などありはしないのに……。
(私を助ける為に、小父様は……)
今でも小父様は帝国随一の剣技をお持ちです、圧倒的な剛剣の前に打ち合いで真正面から打ち勝てる人間はそうはいません、ですが脚を患いすらしなければ勝てる人間は皆無だったでしょう。
(私の為に……ごめんなさい……)
小父様の未来を奪ってしまった、そんな自責の念が私の心には昔から渦巻いています。
(ごめんなさい、ごめんなさ……)
「アイリス」
心中で自分を責め始めた私の頭に小父様は手を添えてくれました。
ごつごつとした岩の様な手から伝わる温もりは助けられたあの時から何も変わらないで、私の心を落ち着けてくれるんです。
「ありがとう、貴族会のお偉方より、国民の誰よりもアイリスが私を英雄と呼んでくれるのが一番の励みになる」
優しい笑みで私を見下ろしてくれます。
「だがね、私の政策も騎士団や騎士学校の在り方も、君のお父上が行おうとしていた物を引き継いでいるに過ぎない、私にとってはオールハイド・ヴァン・ツヴァイトーク殿こそが誠の英雄、平和の象徴だ……つまり君は英雄の娘である、どうか胸を張ってほしい」
「小父様……」
優しすぎる言葉に瞳が潤み始めてしまいました。
「どうしたんだ、泣くような言葉をかけてしまったかな?」
「ちっ違います、そうじゃなくて父様を英雄と言って下さったのが嬉しくて……」
「それは事実だからね……ほら泣き止んでくれないか、このままでは綺麗な泣き顔にすら見惚れてしまいそうだ、アイリスはお母上の美しさを良く引き継いでいる、今の君を見たらご両親もさぞ喜ばれるだろう」
「あの、その、私……」
涙は止まり始めましたが、入れ替わりに頰が赫らんでいくのです。
「すみません、明日も学校がありますので失礼します!」
「おい、アイリス!」
小父様の声を振りほどいて廊下に飛び出して、そのまま自室へと走って行きました。
ベットにもたれ掛かると自分の頰に触れてみます。
(熱い)
頰は確かな熱を帯びています。
トクトクと早鐘を打つ心臓の鼓動が煩くて。
小父様の手の温もりが鮮明に残っていて。
意識の中が小父様で埋め尽くされる。
(小父様、私は……)
この感情は許される物ではありません。
主人に、恩人に、ましてや国の英雄に抱く事はそれ自体が罪となるはず、ですが……。
(貴方が……愛しいのです……)
心に灯った熱い感情、それは恋。
(……小父様を……愛しているのです)
誰にも打ち明けられない恋心を私は抱いているのです。
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