恋する乙女はメイドな生徒1
「てやっ! はぁっ!」
握りしめた木剣で斬りかかる。
一つ一つの打ち込みは小さくてもその分相手に反撃の隙を与えない打ち込みが私の武器だ。胴へ肩へ意表を突いて脛や腕と絶えず標的を変えながら続く連撃にやがて相手の防御も崩れていく。
「くそっ、このぉ!」
相手が私に勝る技量はただ一つ、男性である点を生かした膂力だけ。強引に私を突き飛ばし体制が崩折れた所へ渾身の上段を振り下ろしてきました。
一つでも相手に勝る武器があるならそれは戦いにおける十分な突破口となる、打ち合いにおける定石です。ですがそれもタイミングを誤らなければの話ですが。
一つだけ道があるということは、どうあがいてもその道を進むしか勝利出来ないのと同じ、であるなら罠を仕掛けるのも容易いことです。
ワザと小技で挑発し大振りな技を誘導すれば決定的な急所を曝け出させるのも訳はないこと。
「ふっ」
私は一息の呼吸で相手の懐へと潜り込み、木剣の柄で鳩尾を突き上げました。
「がっ!」
急所を撃たれて息を吐き出したのでしょう、痙攣を見せた後にだらりと全身を脱力させる、勝敗の選定には申し分ない根拠となる。対戦相手の騎士見習いを鍛錬場の床に下ろし、私は胸の前で敬礼を行います。
「稽古相手ありがとうございました」
礼を尽くすのに勝者も敗者もありません、彼のお陰で私はまた一つ強くなれた、そこに感謝の意を捧げましょう。
「さあ次の相手は何方ですか? このまま続行で私は構いません、是非ともご教授をお願いしたい」
訓練所を見渡すと外野を為している騎士見習い達がざわめき始めました。
誰も彼も私の相手を申し出る気配を感じさせる者はいません。それも最もなのでしょう、この集団の中で女は私だけなのです。
更に言えば恐らく私はこの中の誰よりも強い。自惚れでは無く、騎士学校に入学してからと言うものの未だに敗北を喫した事はありません。
このままではいけない、一層の強さを目指すなら私は苦い敗北に身を浸す必要がある、不意打ちでも複数で掛かってきても構いません、誰か挑みかかってくれる者は居ないのでしょうか?
皆さんも修練を重ねて強くなっている、昨日は敵わなくとも今日ならばと意気込む猛者に私は出会いたいだけなのに。
「アイリス、これくらいにしてはどうかな?」
外野の中から一人が歩み寄ってきました。穏やかな表情を浮かべた細身の彼はユリウス・シーヴェルト、肩にかかる鳶色の長髪が特徴のクラスメイトです。
「これ以上やってもみんな疲弊するばかりさ、がむしゃらに剣を振るうのが僕たち騎士見習いの本分じゃないだろ?」
「ですが私は……」
「僕も皆んなも理解してるんだよ、このクラスで一番強いのはアイリスだ、実力差がある者同士が無闇やたらに鍔迫り合うのはお互いの実力に陰りを見せる、訓練にならないからね、それは分かるよね? それに……」
ユリウスは私の耳元で囁きました。
「このままだとあいつらいつもの言い訳で君から逃げていくよ」
「!」
頭が瞬時に冷える思いでした、訓練への焦りで沸き立っていた思考が落ち着きを取り戻します。
「ありがとうユリウス、またあの言葉を耳にする所でした」
「僕の方こそごめん、こんな形でしかアイリスを説得できなかった」
「構いません、私を宥めてくれる友人がいる事を感謝しなくては」
「そう言ってもらえると肩が軽くなるよ」
ユリウスは私から離れると周囲を見渡し、声を張り上げました。
「どうだいみんな、これ以上負け恥を晒すのは僕たち貴族の嫡子としては避けたいと思わないかい! 彼女の美しい容姿に惑わされてはならない、清潭に編まれたオフゴールドも吸い込まれそうな空色の瞳も白磁の肌もアイリスの人形のように整った顔立ちに映えて僕たちの心を誘惑してならない、だけどアイリスの実力は本物だ、女性でありながら僕たちを物ともせず白星を重ねる彼女に賞賛を贈って今日の鍛錬を終わらせるのが紳士の嗜みだと進言するけど、もしよろしければ盛大な拍手で応えてもらいたい!」
ユリウスの演説が終わってしばらくするとパチリ、パチリと手を打ち付ける音が聞こえ始めました。やがて音は鍛錬場を満たすばかりに膨れ上がり、耳どころか体まで揺さ振られます。
(全く、人の心を掴むのが上手いですね)
私と皆の実力差から予測される結果を誇示し、そこから生まれる不利益を提示した上で口当たりの良い紳士という言葉で纏め上げた。
実力差を素直に認める自分達は誰よりも寛大であると私に示すチャンスを示したのです。この空間で失いかけた貴族の威信を取り戻すにはお誂え向けの演説です。
(そのお陰で私も助けられたのですがね)
ふぅと息を吐いて、クラスメイトに手を振りながら鍛錬場を後にします。これくらいは空気に乗っておかなければユリウスに申し訳が立ちません。
出口に差し掛かった所で顔だけで振り返るとユリウスが何かを言っているのが見えます。拍手のせいで聞こえはしませんが古い付き合いです、唇の動きを読むくらいは難しくありません。曰く。
(お仕事頑張って)
友人からのエールにウインクで返して私は訓練場を離れました。
小走りに学舎同士を繋ぐ花壇を抜けて更衣室へ向かい荷物を掴んで、訓練着から着替えるのも時間が惜しいからそのまま正門へと足を向けます。
正門を抜けて煉瓦造りの街並みへと踏み出すと凛と張り詰めた騎士学校の空気から世界は一変して、賑わい溢れる喧騒となりその中を走り抜けて行くんです。
私が住まう屋敷まで走って三十分くらいでしょうか、人通りの中を動くのですから小走りになりますがそれでも毎日の学舎との往復はそれだけで良い鍛錬の一部でもある。
朝は静寂の空気を駆け抜けて、今は人混みを避けながら動く、持久力、瞬発力、足捌きと満遍なく鍛えることが出来ます、準備運動と鍛錬の仕上げにはもってこいです。
街並みを通過すると世界は再び静寂さを取り戻します。
でもそれは学舎の緊張感とは打って変わる穏やかさに包まれた空気です。貴族の住まう居住区は華やかな豪邸が立ち並び、私の目的地はその中でも一際目立っているのは間違いありません。
門から屋敷が陰る程の庭園、幾人もの庭師が丹念に造り上げた花園を更に駆け抜けてようやく目的地に到着しました。
「すぅ……はぁ……すぅ……はぁ」
丁寧に呼吸を整えてから扉を潜ります。
「ただいま戻りました!」
品がないかもしれませんが屋敷の広さもそれなりにあるので声を張らないと挨拶も儘なりません。淑女の礼節を守りなさいと言われることもありますが家族への挨拶の方が私には大切ですからこれは譲れないんです。
「おかえりなさいませ」
奥から燕尾服を着こなした老齢の紳士が姿を見せます。よく手入れがされた亜麻色の髪を肩口まで伸ばし、彫りの深さが目立つに関わらず張り付いた表情は綿菓子みたいに柔く甘い紳士はエリオット・ウォーラーさん、この屋敷の執事を務める方です。
「いかがでしたか今日の学校は、ご学友の皆様と楽しく過ごせましたかな?」
穏やかに顔へ皺を寄せるエリオットさんの笑顔はいつ見ても和ませてもらえる。
これで元帝国騎士団副団長だったなんて未だに疑問に思ってしまうのは私だけの秘密です。
「はい今日も鍛錬では負けなしでした、正直もう少し腕の立つ方と手合わせを願いたいです」
「はははは、正直ですなアイリス様は。ご安心召されよ、好敵手とは時が来れば自然と巡り会うもの、それまでの間ご自分を磨く事を怠りさえしなければ、その方は素晴らしい友となりましょう」
エリオットさんは感慨にふけるのか瞳を閉じてから続けました。
「私と貴女様のお父上の様に」
私の父、オールハイド・ヴァン・ツヴァイトークは先代の帝国騎士団団長でした。エリオットさんとは歳の差はあっても長年好敵手として、信頼出来る友として背中を預けあったと聞いています。
「私にとってもエリオットさんと父様の関係は眩しくて羨ましく思います、いつか私にライバルが現れたならばお二人の様になりたい、それも私の目標の一つです」
「寛大なお言葉大変嬉しゅうございます」
恭しく一礼するエリオットさんを見ていると、なんだか自分の言葉が恥ずかしく思えてきました。
「エリオットさん、私身支度を整えてきます、すぐに伺いますのでもう暫くお待ち下さい」
「かしこまりました、まだ時間もありますしごゆるりと」
エリオットさんが奥に下がるのを見送ってから階段を登り自室へと向かう。
鍛錬着を脱ぎ去って荷物と一緒にベットへ放り込むとクローゼットから屋敷での服を取り出します。
濃紺のワンピースに袖をを通して、上から純白のエプロンを重ねて裾を伸ばす、最後にエプロンとお揃いのカチューシャを頭に乗せれば私のお屋敷での仕事着の完成です。
備え付きの姿見に映る自分を見て気持ちを学生時のそれから切り替えます。
姿見に映るのはアイリス・ヴァン・ツヴァイトーク、このお屋敷にお仕えするメイドでございます。
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