第29話「アマリリス3」

 

 あいつには、あたしの剣が見えているようだった。

 でも、そんなことは全然関係なかった。

 だって、あまりにも体の動きが遅すぎるんだもの。

 だからあれほど、閉じこもってないで鍛えろって言ったのに。


 切っ先は、こいつ――ジャン=ジャック・ド・アトランス王子の前首をとらえた。


 剣が横に動くのに合わせて、首がゆっくりと開いていく。

 首の皮膚が、風に吹かれた布地のように揺らいでいる。

 赤い血は、出来損ないの水魔法のように吹き出している。


 マジカが使えないせいだろうか。

 野菜を切るより手応えがない。


 振り抜いた。

 もう感覚で分かる。

 これは、致命傷だ。

 剣先は脊椎まで達している。


 あいつはただ宙を見ていた。

 後ろにゆっくりと、手を広げて倒れ込んでいく。


 そう。

 誰もそう。


 斬られて死ぬ瞬間って、自分が死ぬって分からないものよね。


 重力で引っ張られて、少しずつ加速しながら、投げ捨てられた人形のように地面に打ち付けられた。


 両手を広げ、天を仰いでいる。

 首のあたりから、血だまりがどんどん広がっていく。

 

「はあっ」

 自分の口から言葉が漏れた。

「終わった」

 五年かかった。

「国賊、ジャン=ジャック・ド・アトランスを討ち取った!」


 あっけない。

 もう少し何かあると思っていたのに。

 何もない。

 何もなかった。


 なんだ、やっぱりあんたも同じじゃない。

 弱い側なのよ。

 こんなことをくわだてなきゃ、生きていられたのに。


 ねえ、あんたはこれで良かったの?

 本望だったの?


 好きなように生きて、大勢を巻き込んで。結局なんにもならなかった。


 ねえ、これで良かったの?

 あんたは、これで良かったの?


 額から滴ってきた汗をぬぐう。

 たった一人、討ち果たしただけだ。なんてことはない。


 でもなんだか、とても疲れた。


「ふう」


 息を整えながら、剣をさやに収めた。

 遅れて、達成感と安堵あんど感がわいてくる。


 あたしは使命を果たした。

 そうよ、あたしは正義を果たしたんだ!


「父様! あたしは!」


 父様がいるほうを見た。

 父様はこちらをジッと見つめ、周りの貴族達は相変わらず、恐れおののいている。

 

「……おかしい」

 ぽつりと、自分の口から言葉が漏れた。

 そう、おかしい。


 なんで、こんなに簡単にこいつを討ち取れた?

 パトリックは?

 アーリャは?

 それに、この静けさは何?


 貴族達の視線を追うようにして、後ろを振り向いた。

 背中に冷水が流れこんでいったような気がした。


 あいつが、立っていた。

 殺したはずのあいつが。


 なんで?


 首は間違いなく斬れている。

 血も、とめどなくあふれている。


 なのに、血色も変わらず、視線をはっきりとあたしに向けていた。

 首筋に手を当てて、血流の感触を楽しんでいるようにも見えた。


「……誰かが」

 やつは口を開いた。

 ノドは斬れているはず。

「誰かが背信すると思っていたよ。それが、アマリリスだったとはね」


 背信、その言葉が重く鉛のように体におおいかぶさった。


 まさか、本当に……?

 もしかしてあたしは、とんでもないことをしでかした……?


 いや、違う!


「神をかたるな! あんたはただの人間よ!」


 言葉と雰囲気に飲み込まれるな。

 こいつは、ただの人間だ。

 これもきっと、何かの子供だましなんだ。


「声が震えているぞ、アマリリス。お前は本当は分かっているんだ。自分が神をおそれていることに」


「震えてなんか!」

 ない!


 右足で地面を蹴った。

 今度は首を切り落とす!


 あたしは。

 あたしは違う!


 いつもは偉そうなくせに臆病風に吹かれる貴族とも、女だとか王族だからとか色眼鏡で見下すくせに、肝心なときには何にもしない騎士とも!


 あたしがやるんだ!

 あたしのこの手で!


「ひざまずけ!」

 あいつが、大きな声で叫んだ。


 何を偉そうに……!

 あんたなんかにひざまずくもんか!


「……え?」


 右足で地面を蹴った、はず。

 一足で、あいつの首に届く、はず。

 なんで?

 だっていつもなら、この会議室の端から端までの距離くらいなら、余裕で届く。


 だから、余裕なはず。

 それどころか、あいつが避けられないくらいの速度をつけたはず。


 でも、右足は離れてくれなかった。

 何かにつかまれた?

 右足を見ても、何もない。


 どういうこと?


 左足が地面に引きつけられ、片足をついた。

 右手が、剣ごと地面に張り付いた。

 体がもってかれそうになる。


 なんで?

 どうなってるの?


「う、くっ」


 左手で体を支える。

 引っ張られている。

 目に見えないものに引っ張られている。

 意味が、分からない。


 周囲を見ると、同じように騎士達はひざまずいている。


 こんなマジカ、あたしは知らない。

 上を見ると、大御神は変わらずあたしを見下ろしている。

 本当に、そんな、まさか……。


 大御神を遮るように、あいつが近づいてきた。

 あわれむような目で見ている。


「そんな目で、あたしを見るんじゃないわよ!」


 そう叫んだけれど、ひるむことなく、ひざをついてあたしの視線に合わせた。


「分かっているはずだ」

 そう口を開いた。


「な、なにを……」


「神の意志は俺にある。もう無駄な抵抗はやめろ」


「そん、なわけ……」


 左手が力尽きて、地面に張り付くように倒れ込んだ。

 床が目の前にある。

 あたしは今、地面に這いつくばっているんだ。


「なんでよ!」

 あたしは叫んでいた。


 無様だって分かってる。

 止められない。


「あたしは、頑張った! 剣術だって、勉強だって、王族としての振るまいだって! 周りがパーティを楽しんだり、女遊びをしたり、あんたが部屋に引きこもっているときも!」


「知ってるよ。アマリリスは頑張ってた」


「知ったふうな口をきかないでよ!」


 じゃあ、なんでむくわれなかった?

 なんで父様は、あたしを見てくれなかった?

 なんであんたを変えられなかった?


「変われなかったのは、アマリリス、君のほうだ」


 あたしが、変われなかった?


「君の監視は、知っていた。それでもなお、何もしなかったのは、お前に見て欲しかったからだ」


「な、なにを……?」


「神が目指す世界を。俺が成そうとしていることを」


「……あたしはずっと見てきたわよ。あんたのことを」


 そう言うと、あいつは首を振った。


「分かろうとはしなかった」


「………」

 何も言葉を返せなかった。


 そうかもしれない。

 ずっと見てきたのはあたしなのに、あたしはあたしの周りの人の意見に従った。


「終わりにしよう」


 終わり?


 首をあげた。

 あいつの顔は、陰になって表情が見えない。

 でもはっきりと感じた。


 そうか、あたしは……。


 負けたんだ。


「アマリリス、残念だ」


 首筋に手を当てられている。


「神の使いに刃を向けてしまった。神はお許しにならない」


「……いいから殺しなさいよ」


 大勢の前で、あたしがさんざんバカにしてきたやつらの前で、無様に這いつくばっている。

 一番バカにしていた、こいつの手によって。


 バカなのは、あたしだった。

 弱かったのは、あたしだった。


「待て!」


 聞き慣れた声が聞こえた。


 唇が震えた。


「認めよう。お前が、大御神のご意志の下にあると。だから待って欲しい」


 父様。


「リリスに罪はない。俺がすべて指示したことだ。とががあるなら、全て俺にある!」


 父様、父様父様父様。


「違う! あたしよ!」

 思わずそう叫んだ。


「父様は知らなかっただけ! あたしがちゃんと見て考えて、……父様とちゃんと向き合えていればこんなことにはならなかった! あんたのそばにずっといたあたしが、ちゃんと伝えなければいけなかったのに……」


 あたしはいい娘じゃなかった。

 なんにも期待に応えられなかった。

 剣術も、勉強も、王族としての振る舞いも思考も政治力も。

 なにもかもリアム王子にはるかに届いていない。

 そして、見下していたこいつの足下に這いつくばっている。

 あたしがこの先生きて、何年も努力しても、きっと、あたしは。


「殺して、お願い」


 せめて、死に様は綺麗きれいでありたかった。

 涙で、言葉が濁った。

 顔はひどく汚れているだろう。

 なんて恥ずかしい最期なんだろう。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい、父様、母様……。


 あたしの首筋に当てられている手に力が入った。

 絞められるのか、と思ったけれど違った。

 苦しくもない。痛くもない。

 視界が白んでいく。


 こんな時まであたしに気遣って、バカなんじゃないの。

 見せしめに苦しませればいいのに。


 意識が、消えていく。

 あたしが消えていく。


 あたしの努力も、成してきたことも、思い出も、想いも、全部消えて溶けてゆく。


 これが、死?


 死んだあと、あたしはどうなるんだろう。

 大御神に背いたあたしは、天国に連れて行ってもらえるのかな。

 母様に、会えないのかな。


 でも、まあいいか。

 最期に、父様があたしを見てくれた。

 もうじゅうぶん。


 でももう一回、焼き芋たべたかったな。


○○○○○○○○○○○

【あとがき】

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