第2話「プラウを引き取りに行きました」

 アリスは、先生の住処の近くに俺らが勝手に掘った泉の近くに、佇んでいるように見えた。


 泉の水は澄みわたり、周りは草花が色とりどりに咲いている。

 木には青い小柄な鳥がさえずって、泉からはこんこんと水がわき出ていた。


 そんな風景の中、アリスはたたずみ、洗い立ての髪を見つめながら梳いていた。

 時折、髪から垂れたしずくが、ころころと白く透き通った頬をつたって落ちる。

 昔、こんな神秘的な絵画を見たことがある気がする。

 名前は忘れた。


 アリスは俺に気づいて、微笑んだ。

 天使のほほえみっていうのは、こういうのをいうんだろうな。

 こわばっていた心がほどかれていく。


「先生いる?」

 そう言って近づくと、アリスは顔を曇らせた。


 先生に何かあったのかと焦ったが、アリスは立ち上がって、

『何か』『あった』『?』

と、火文字を使って見せた。


「俺が?」

 そう聞き返すと、アリスは頷いた。


 会う度に、火文字のスピードも見やすさも向上している。

 文字の勉強も練習も、すごい努力してるんだろうな。


 何かあった? か。

 思い浮かぶのは、昨日の議会だ。それと、パーティ。…。


 俺は、今はどんな顔をしているのだろう。

 アリスは良く気づくよな。

 優しくていい子だよ、ほんと。

 こういう気分の時は、ちょっとつらいけど。


「なんでもないよ。ちょっと遊び過ぎて寝不足かな」

 そんなことを言っていると、アリスが手を握ってきた。

 何かを握らされている感覚。

 手を広げると、花びらが3つしかない黄色い花。


「幸運の三ツ星花ですね」

 先生はいつから聞いていたのか、こちらに近づきながらそう言った。

「その花を見つけると幸運になると言われています。本の栞(しおり)にしたり人に贈ったりしますね。なかなか見つからないんですよ」


 アリスを見ると、顔を伏せ気味にして俺を不安そうにうかがい見てる。

 俺が喜ぶか心配しているのか。

 なんなんこの子……。

 喜ぶに決まってるだろ!


「ありがとう。すごい元気出たよ」

 俺がそう言うと、アリスは不安そうな顔からパッと笑顔を咲かせた。

 思わず見惚れた。


 目を細めて、口は開き気味で、屈託なく笑う。

 この世界にこれほど尊いものがあるだろうか。マジ天使。

 この笑顔のためならなんだって頑張れるわ。

 今なら山手線の通勤ラッシュだって耐えられる。

 乗ったことないけど。


 出会ったころのアリスがよぎる。

 あのころは、俺にこうして笑いかけてくれる日がくるなんて想像もしなかった。

 それに、身長伸びたな。


 背が同じくらいだから、目線が一緒で目が合うとドキッとするときがある。

 体つきもだいぶ大人っぽくなってきたし。


 ……いやいやいや、まだ12歳だぞ。

 ここでは同い年だからってまずいだろ。


「そういえば、護衛の子が今日は来ていませんね」

 先生がそう尋ねてくる。

 アマリリスもここに来ている。


 詮索されるのがめんどくさかったので、特に隠すこともしなかった。

 アマリリスは根っからの騎士道+貴族+脳筋なので、たたき上げで、かつ魔術使いで、なおかつ国を追われた先生のことを、あからかさまによく思っていない。


 それでも先生につっかかってこないあたり、ちゃんとわきまえているんだなと感心した。

 それに対して、俺への暴挙はいったいなんなんだ。

 

「たまたまじゃないですか?」

 そう答える。

 昨日のパーティのせいだとは思う。

 まあ、こんな情けない男の護衛なんてやってられなくなる気持ちは分かる。 


「何か、ありましたか? 言ったほうが気持ちは楽になりますよ」

 先生は俺に何か気づいたらしい。

「……先生」

 強制するでもなく、でも放置するわけでもない、先生のやさしさ。


 昨日の議会の話をした。

 増税の話。

 そして、いつもの貴族の横暴っぷり、やっぱり王の発言は無視されること。

 でもパーティの話はしなかった。

 見栄っ張りめ。


「そうでしたか。治めるものが変われば、そこまで国は変わるものなのですね」

 先生は、王が政治をできていたころを知っているんだ。


「王の政治は、どうでしたか」

「私は直接政治に関わっていないのですが、軍属として王を見てきた限りでは情熱に燃えた良き王だったと思います。私は王の政治しか知らないので、比較はできませんが」

 王の政治しか知らない?


「魔族のときは、どうだったんですか?」

「政治、そもそも国というものがありませんでしたね。私の知る限りでは、ですが。数人のコミュニティでも煩わしいと感じるほどですから、種族的に合わないのでしょう。必要性を感じませんし」


「……その考え方、なんとなく理解できます。考え方はバラバラなのに、一つにまとめようとすること自体に無理があるのかもしれません。国なんてものは、ほんの一握りの人が他の誰かから利益を搾り取るだけのシステムなのかもしれません」

「弱気ですね」

「ちょっと疲れているんですかね」


「殿下」

 先生は両頬に手を添えた。

 手から花の香りがした。


「私はこの国が好きです。ここの人の生き方が好きです。人が人のために行動し、個では成しえないものを成し遂げる。どんなに魔族の個の力が優れていても、私は人族の生き方に魅力を感じます」


 先生は、俺を励まそうとしてくれている。

 その励まし方も、なんだか授業の一環みたいでおかしい。

 でもやさしい。


「殿下に教えてもらった『一心同体』って言葉、私は好きですよ。殿下が答えを出すには、まだまだ若すぎると思います。少しずつやっていきましょう」


………

……


 アリスと一緒に東塔に向かっている。

 これからシリス村に向かうが、その前に、メアリに頼んでおいたプラウ(農具)を引き取りに行く。


 シリス村は、モイの故郷だ。

 新しい農具や生産方法を思いつくたびに実験させてもらっている。


 モイが窓口になっているのでやりやすいし、治水事業の際にはモデルケースとして一番初めにやらせてもらった縁もある。

 村民の皆さんもだいぶ協力的で助かる。


 モイは、人身売買から足を洗って以降、俺の言ったことを律儀りちぎにもちゃんと守って国のために働いてくれている。

 今は治水事業も落ち着いていて、ほぼもっぱら俺の助手のような感じになってくれている。

 土地を使わせてもらっているだけでよかったのだが、ありがたい。


 シリス村には、だいたいアリスも一緒に行っている。あとアマリリスも。

 あそこにずっといるより、外の世界を見てもらったほうが将来のためにもいいだろう。


 いつか、ここを離れて自立するようになるんだろうし。

 そう思って、どこかに行く際には一緒に来るように誘っている。


 アリスのほうを見ると、俺に気づいてにこっと微笑みかけてくれた。

 過去を感じさせないくらい、いい子に育ってくれたな。

 うんうん。

 育ててくれたのは先生だけど。


 自立、か。

 この世界では、アリスの年齢的にそう先の話ではないんだよな。

 15歳で成人だからな。

 3年後くらいか。

 アリスの誕生日がわからないけど、15歳のときくらい盛大にお祝いしてあげたい。


 でもちょっと寂しいな。

 自立して外に出て行っても、たまには戻ってきてほしい。

 恋人とか連れてきた際には、お前にアリスはやらん!ドンガラガッシャーン(ちゃぶ台がひっくり返る音)とかやってみたい。


 東塔に着く。


 メアリ親子は相変わらず、この塔の地下に住んでいる。

 メアリがあの部屋を気に入っているらしい。

 気に入っているという表現は違うかもしれない。

 あそこを出るのがまだ怖いのだろう。


 扉の前に着くと、声が聞こえた。

「王族のくせに足元みやがって!」

「アタシらは別に王族だと思っちゃいないよ。アンタらもそうだから、こんなところに追い出したんだろうが。ま、アタシらは金を出すやつに売るだけさね」

 貴族と思われる男と、メアリの母親の会話が聞こえる。


「調子に乗るなよ。ここにいられないようにしてやってもいんだぞ」

「ほう、だいぶ物騒ぶっそうなこと言うね。ああ怖い。あまりに怖いから、アーモルド卿にアンタのことを相談しようかね。ちょうどこれから納品しにいくところだしね」


「あ、アーモルド卿…?」

 男は出て行った。

 プライドは高いが、若いか貴族の下のほうなんだろう。

 本当の裕福層なら、金のことでいちいち言い争ったりしない。


「お、来てたのかい。そんなところに立っていないで入りな」

 メアリ母が招き入れる。


「なんだか、大変でしたね」

「ああいう勘違いしたやつはどこにでもいるもんさ。ま、金があればなんでも言うことを聞くと思っている奴よりかは、扱いやすいさ」

 メアリが作る調度品や装飾品に、金が有り余っている貴族たちが群がり、メアリ親子はめちゃくちゃ生活が潤った。


「アンタのおかげで、メアリにまっとうな格好をさせてあげられることができた」と泣きながら俺の手を握って感謝してくれた。


 部屋に入ると、メアリは立ち上がって胸に手を当て礼をした。

 肩くらいある黒髪を左右に束ねて後ろに垂らし、エプロンをしている。


 もう見た目は普通の女の子だ。

 いや、むしろ普通以上と言ってもいい。

 前髪が目元を隠すまでに長いのは、昔の名残を感じるが。


「そんな堅苦しくしないでいいよ」

 メアリはうなずくが、また同じようにあいさつしてくるだろう。

 メアリなりの礼儀なのかもしれない。


 メアリは流しに向かい、お茶をいれ始めた。

 常に用意されているアリスと俺の席に、それぞれ座る。

 今日は来ていないが、アマリリスの席もある。メアリのやさしさだな。

 お湯を沸かせないので水出しだが、俺はお茶の味が分からないタイプなのでいつも美味しくいただいている。


 机の上に目をやると、作業途中の指輪、棒やすりやブラシなどの道具なんかが置いてある。

 マジカでほぼ造形できてしまうのだけど、さらに高みを目指すメアリに、この道具を教えたら、喜んで併用しだした。

 今では自分に必要と思われる道具を自作し、クオリティを高めて、他の金級魔術師にないオリジナリティを出している。


「あれ、できた?」

 お茶を運んでくるメアリに向かってそう尋ねた。

 メアリはうなずいてお茶をテーブルに置き、手のひらでさし示した。


「はい……、あちらです」

 指の先には、実寸大のプラウがあった。

 プラウとは、トラクターについてる耕す部分だ。

 寸法、大きすぎたかな。

 牛で引けるのだろうか。


「そういやこれ、どうやって持ってこう」

 持ち上げようとするが、持ち上がらない。

 全部鉄製だもんな。


 かといって、軽くしちゃうと土に負けちゃうだろうし。

 耐久性の問題もあるし。

 でもさすがに重いな……。百キロくらいあるだろうか。 


 馬に引かせる台車を持ってきてあるが、乗せられないんじゃ話にならない。

 そう思ってたら、アリスが横に立つ。

 一緒に持ち上げようとしてくれるのか。


 でもさすがに2人でも、

「……え?」

 軽々持ち上がった。

 俺は力をほとんど入れていない。


 横を向いてアリスを見ると、あのプラウをダンベルを持つようなかっこうで持ちあげている。片手で。

 繰り返しになるが、プラウは鉄製で、軽く百キロはあるだろう。

 それを俺と同い年くらいの少女が持ち上げている。


 俺はプラウが持ち上がった反動で尻餅をつきながら、そんな威風堂々たるアリスの姿を見上げていた。


『この子にはマジカの才能があります』

 そう言っていた先生の言葉を思い出した。


「やあ、アリス。だいぶ身体強化のほうも特訓したみたいだね?」

 俺がそう言うと、アリスはちょっと恥ずかしそうに笑った。


 そのプラウを肩に担ぎ直すと、こっちに持って行けばいいの? という感じで扉の向こうを指さした。


「お願いします」

 この日ほど、アリスの背中をたくましいと思った日はなかった。

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