第52話「放ちました」
「メアリ、来てくれたんだ」
俺がそう言うと、メアリはうなづいてくれた。
外に出るのは大変だったろうに。
この黒い砂みたいなものは、メアリにとっての最終防衛ラインなのだろう。
俺を救出するために、今まで出てこなかった外の世界に踏み出した。
しかも、こんな命の危機にさらされる場所に。
そうとう勇気がいったろう。
「ありがとう、メアリ」
メアリが、アリスが、先生が、俺のために。
………。
泣きそうだ。
いや、泣いてる場合じゃない。
アリスもメアリも先生も、なぜだか第二王子も来てくれたんだ。
「私も来てますよ」
ウィールがメアリの後ろにいた。
「なんで!?」
「その反応、おかしくないですか?」
ウィールはアリスに肩を貸していた。
アリスは脇腹を押さえ、口から血が垂れている。
「私はアーリャさんを助けたい。でも、私には獣族を吹き飛ばすほどの魔力はありません。だから、考えて下さい。アーリャさんが認め、第二王子に勝った貴方なら、きっと何かあるはずでしょう」
ウィールさんは、じっと俺を見つめた。
懇願するような目で。
そうだ。
俺は今まで、マジカが使えないなりに、なんとかやってきたんだ。
自分を信じろ。
今、先生を助けられるのは俺なんだ。
今ある装備を確認する。
エナドリ缶、ボーガン、盾。
この戦いにおいてはオモチャみたいなもんだ。
唯一有効打になりそうなテルミットは、先ほどのアリスの攻撃より劣る。
着弾する前に距離を取られてしまうだろう。
硫化水素だって、鼻がきくやつらは異変に気づいてしまう。
有効範囲は、思っているより広くない。
距離をとられて終わりだ。
あいつらに致命傷を与えられる決定打にはならない。
早く何か思いつけ。
こうしているうちに、先生がいつ命を落とすかわからない。
足からの失血だって、相当なものだ。
俺もマジカが使えたら……。
いや、違う。
別にウィールは、みんなだって、俺がマジカが使えることを望んでいるわけじゃないんだ。
今だって、俺にだってできることがある。
そう、今なら。
一人じゃない、みんなが助けに来てくれた今なら。
考えろ、きっとある。
なくても作り出せ。
そうだ。
「ウィールさん」
「はい! なにか、思いつきましたか!?」
「お金ください。今あるだけ全部」
「え? お金? なんで?」
「いいから全額よこせ! この守銭奴が!」
「出します! 出しますけど! さっきから私の扱いひどすぎないですか!?」
この1秒でも時間が惜しいときにウダウダ言っているのが悪い。
金貨2枚、銀貨3枚、マグネシウム硬貨12枚。
これだけあれば、いけるか?
「金貨と銀貨はいらない!」
ウィールに返す。
「こんな小銭でどうするんですか?」
「説明してるヒマはない」
メアリに向き直る。
「この中に、アルミの時と同じように、できるだけ小さく、粉々にしていれてくれ」
メアリは大きく頷く。
マグネシウム硬貨を握りしめる。
手の下側から、マグネシウムの粉が出る。
この缶は、武闘会の一回戦で使った7号。
テルミット缶だ
その中にマグネシウムを入れた。
「メアリ、今からここに水を入れる。そしたら、すぐにフタをしてくれ。密閉……、どこからも空気が漏れないように、完璧にやってほしい」
メアリがうなづく。
「水?」
ウィールさんが反応する。
「そうです。ここに水蒸気をかけて欲しいんです」
「水蒸気?」
「霧です」
「わかりました!」
ウィールが手をかざす。
すると、徐々にアルミとマグネシウムが湿り気を帯びる。
「メアリ!」
そう呼ぶと、メアリは缶を密閉してくれた。
どこにも、隙間も、つなぎ目すらもない。
「アリス、俺はこれからこいつをボウガンで飛ばす。地面や木にぶつかる前に、打ち抜いて欲しい。燃やすんじゃない。炎で打ち抜いて欲しいんだ。できるか?」
無茶な注文だ。
ボウガンは、目で追うのも難しいくらいに速い。
そんなものを打ち抜くなんて、ゴルゴでも難しいんじゃないか。
でもアリスは、うなづいてくれた。
俺は、アリスを信じる。
「みんな、俺がボウガンを放ったら、目を閉じ、耳をふさいでくれ。アリスは……、ごめん、たぶん耳も目もふさぐ時間がない」
アリスは首をふって、俺のことを指さした。
心配そうな顔で。
優しいな。
俺もそんな時間はなってこと、察してくれるんだ。
「だいじょうぶ」
エナドリ缶を見ると、膨張している。
水素が発生しているんだ。
頃合いだ。
覚悟は、決まった。
「先生! マルク兄様!」
思いっきり声を張り上げる。
「エナドリ缶を発射します! 目を、目を閉じてください!」
獣人にも聞こえただろう。
でも戦闘中に、目を閉じれる人がいるだろうか。
でも先生なら、きっと目を閉じてくれると信じた。
先生が目を閉じた時には、エナドリ缶は真っ直ぐに巨木に向かっていた。
この対第2王子のために作られたクロスボウは、威力もスピードもある。
だから、高さがあるところに向けて撃っても、着弾し爆発する威力はゆうにあるだろう。
ただし、弦が長く強いので、弾くのに力も時間もかかるので連射性はない。
子どもの力でも弾けるようにリール式になっているからだ。
けれど、今回は速射性は必要ない。
一発で仕留める。
俺の眼は、予見眼だ。
エナドリ缶の弾道も、先生が目を閉じるのも予見できている。
そしてアリスの炎が打ち抜くシーンも。
強烈な光がさした。
目の前が真っ白になる。
すぐ、耳をつんざく爆音がやってきた。
耳鳴りのような音で、何も聞こえなくなる。
視覚も聴覚も機能しない。
不安が襲ってくる。
何もできない。
だから、祈った。
先生。
生きててください。
視界が戻るまでひたすら祈った。
やがてボンヤリと視界が戻ってくる。
合わないピントを無理矢理、先生がいた場所に合わせる。
獣人が立っていた。
血の気が引いた。
脳が、メアリとアリスを逃がす方法をフル回転で考え始めた。
いや、違った。
獣人は、木に串刺しにされていた。
先生はかたわらにいた。
倒れ込むように座り込んでいた。
「勝った、んだ」
腰が抜けるように座り込んだ。
今回は本当に、生きた心地がしなかった。
「なんなんだ、今のは」
第二王子が言う。
「どうなっているんだ!」
「兄様、今のは光と音で視覚と聴覚を一時的に
「そんなものを戦闘中に、仲間もろともとは、正気か? 少しでも時間がずれたら全滅してるぞ……」
「いやあ、先生を……、いえ、兄様を信じてましたから」
「なんと人任せで運任せなやつだ……、呆れて何もいえん」
ですよね……。
今回のエナドリ缶は、フラッシュバン。
基本的にはテルミット弾だが、マグネシウムとアルミニウムは強烈な光を放つ。
そして大きな音がする。
前世でも、スタングレネードとして、軍事にも防犯にも使われていた。
巨木はあっという間に枯れ果てた。
先生は、かろうじて起こしていた上半身が前のめりに倒れた。
慌てて駆け寄る。
仰向けにする。
先生の顔が、青い。
足からの流血が止まらない。
脈動に合わせて、できそこないの水鉄砲のように血が流れている。
落ちていたツタを拾い、足を縛った。
ぞっとするくらい、血だまりができていた。
「殿下、ご無事で何よりです」
先生は目を開き俺の姿を認めると、そう口にした。
肩、足、脇腹に、獣族の爪で切り裂かれて、開ききって肉がめくれ上がっている。
肩の傷は、骨すら見えている。
「先生、俺のことより、自分の心配をしてください」
「私は、殿下が無事なら、それでいいのです」
先生はつらそうなのに、ほほえんでそう言う。
「なんで、どうしてそこまで僕にしてくれるんですか」
先生は目を閉じた。
呼吸を浅く繰り返している。
「……最初は、殿下が息子と似ていたからでした」
初めて聞く言葉。
そうだったのか……。
猫耳をつけたいとか言っていたが、あれは先生なりのごまかしだったのか。
「息子は人間として暮らし、人間として命を落としました。私には息子の気持ちが分かりませんでした。私も人間として暮らせば、息子が見えた景色が見えるかもしれないと……。そう思い、この国に来ました」
「……、見えたんですか?」
「見えない。そう思い込んでいただけなのかもしれません。私には、息子が見ていた景色を見る資格がないと。しかし、今になってようやく、宮廷魔術師として王に仕えた日々、戦場でともにした仲間やウィール、そして、殿下に出会って今までの思い出が、今でも鮮明に目の前に広がっています」
先生……。
目の前に広がって……?
あれ? これ走馬灯じゃないよね?
まさか、まさかね?
「今となっては、殿下が息子に似ていたというのは、ただのきっかけに過ぎません。殿下にはいろいろと驚かされました。殿下の考え方、とらえ方、逆境にもめげない精神力、この国を変えるほどの知恵」
ウィールが、目からボロボロ涙を落としながら、先生の手をにぎりしめる。
え、なにこの雰囲気?
よくある最期のシーンっぽいじゃないか。
嘘だろ?
嘘だろ?
「ウィール、貴方にもいろいろ思い出をもらいましたね」
先生はウィールの手を握る。
ウィールは涙をぬぐわず、何回もうなづく。
先生はそんなウィールに微笑んだあと、俺のほうに向きなおる。
「以前、殿下に言いました。人の一生は短い。そのきらめきに魅せられました。殿下はまぶしい。強く生きてください」
「先生、なんだか遺言っぽいですよ。まさか、そんなことないですよね?」
先生は俺の言葉に、これで死ぬほど私はヤワではありませんよ、と笑いながら言った。
少し横になればだいじょうぶです、と。
「ようやく気づきました。大切なものはもうそばにあった。私が今まで生きていた意味はそこにあったのだと。その前には命の長さも何も関係ありませんでした。ようやく息子が言っていた意味が」
先生は咳き込んだ。
先生は手を抑えたが、手から血があふれてきた。
すみません、少しだけ休ませてください。
先生はそう言って再び目を閉じた。
「殿下、ここを出たら、いろんな話をしましょう。殿下ともっと話をしたいのです」
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