第46話「迎えに行きました」
負けた日の翌日。
昼くらいに目が覚めた。
だいぶ太陽の差し込む角度が高い。
思った以上に疲れていたらしい。
まだちょっと硫化水素による気持ち悪さも残っている。
今日は武闘会の本戦が行われているはずだ。
昨日よりも、注目度は上がっているだろう。
欲を言えば、今日まで残って、王や貴族たちに見せたかった。
そしたら、王族に返り咲くという母さんの望みがかなう足がかりがついたかもしれない。
朝食が2人分、テーブルに置かれていた。
母さんはまだいない。
まあ、第二王子はまだ復調していないのだろう。
約束も無事果たしたし、そのうち帰ってくるか。
いや、帰ってくるのか?
のんびりしている場合じゃない気がしてきた。
よく考えたら、めちゃくちゃ怒ってるだろうし。
俺への腹いせと見せしめに、母さんにひどいことをするかもしれない。
向こうは負けると思ってなかっただろうし。
あ、俺が負けたのか。
どちらにせよ、第二王子が何するか分かったもんじゃない。
母さんを返してもらいに行こう。
急ごう。
階段を駆け下りる。
ふと思う。
第二王子って、どこにいるんだっけ……?
当たり前だが、行きたくもないので一度も行ったこともない。
城に行けばなんとかなるか……?
「よお、元気そうだな。鍛錬でもしにいくのか?」
第一王子だった。
「兄様!? 今日は本戦では!?」
「兄貴でいいって言ってるだろ。お前の見舞いにな。本戦なんかより、こっちのほうが大事だろ?」
あ、兄貴! いや、でも、あきらかに本戦のほうが大事だろ!
「なんてな。残念ながら負けたから、ヒマしてるだけさ」
兄様、負けたのか。
笑顔に影が見える気がする。
笑ってはいるが、本当はめちゃくちゃ落ち込んでいるのかもしれない。
長男だから、プレッシャーもあるだろうし。
「マルクのところに行くんだろ? 母君、心配だよな」
「あ、ありがとうございます」
そうだ、兄様はずっと俺と母さんのことを心配してくれて、根回しまでしてくれた。
それをふいにする暴挙に出た俺のことも、こうして面倒を見てくれる。
優しすぎる。菩薩か。
それに、負けた悔しさもあるし、疲れているだろう。
なんていい人なんだ。
「じゃ、行こうぜ」
兄様は本邸のほうを指さして、俺に笑いかけた。
「心配するな。マルクは、手段は
歩き出してからすぐに、兄様がそう気を遣ってっくれた。
浮かない顔でもしてたのだろうか。
約束以前に、ムカついたからお前を殺すとか言ってきそうなんだよなあ……。
だから、兄様が来てくれるのは本当に心強い。
「マルクとの闘い、すごかったな」
兄様がそう言う。
「正直、ジャンがマルクを圧倒するとは思わなかったよ」
「圧倒、ではなかったですし、実際に負けましたし」
「何言ってんだ。ずっとお前の勝ち筋だったじゃないか。それなのに、審査員どもがつまらないことでケチつけて、興ざめだよな」
第一王子には、俺が狙いをもって耐えていたのが分かったのか。
本当によく見てるな。
「たまたま狙い通りに行っただけで、負けてもおかしくなかったですよ。圧倒してたとは、とてもとても」
「お前って、ほんとに変に遠慮するよな。それがお前のいいところなんだけさ」
兄様がくったくのない笑顔を向けてくれた。
こうしてちゃんと見てくれて認めてくれる人がいるって、嬉しいな。
「それにしても、お前って変な道具を使うよな。あの吸い込む毒って、あんなの初めて見たぞ。俺の部下に使った、なかなか消えない炎もすごかったな」
兄様が目をきらきらさせながらそう言う。
どう説明すればいいだろう。
「あれはちょっと一口には説明できないんですが、まず、火山口にある硫黄っていう黄色い石が……」
「いや、いい」
兄様が言葉を遮る。
「あれの作り方は、ジャン、お前の中にちゃんとしまっておいてくれ。あれが世に出たら、三国のバランスが崩れて、必要以上に人が死ぬ」
つばを飲み込む。
さっきの雰囲気とのギャップがすごかったから。
兄様は本当にそう思って言っている。
「そこまで考えている人がいるでしょうか?」
「大多数は、何かのマジカを使ったと考えるだろうな。でも、気づくやつもいる。用心しろよ」
王族に返り咲くという功名心で、早まったことをしてしまっただろうか。
見てもわからんだろう、と高をくくっていた。
「お前の注目度は良くも悪くも上がっている。お前はお前が思っている以上に、世の中を変える力を持っている。俺はそう思ってる」
「さあ、着いたぞ」
話に夢中になっている間に、到着したらしい。
本邸に入り、西棟の3階にたどりついていた。
「マルク、入るぞ」
ノックもそこそこに入る兄様。
ああ、そんな沸点低めな第二王子に対して、そんなフレンドリーに入っちゃってだいじょうぶ?
俺がいるんですよ?
ずかずかと居間みたいなところを通り過ぎ、奥の部屋を開ける。
おしゃれな
しっかりと硫化水素が効いていらっしゃるな……。
「よお! 負けたな!」
「ひえ!」
兄様!
「何しに来た……」
第二王子がごもっともなことを言う。
俺らは
「お前の見舞いだよ。蜂蜜だ。毒に効くぞ」
兄様は腰掛に下げた革袋を外す。
蜂蜜は毒に効くらしい。
抗菌作用だろうか。
「……蜂蜜だけはもらっておく」
おいおい、その性格で甘党かよ。
「それとだな、こいつが心配してたからな。人さらいなんてお前、そんな恥ずかしい真似して、どれだけジャンと戦いたかったんだよ」
兄様の言葉に、第二王子は無視を決め込む。
第二王子がおとなしいのは、弱っているせいなのか、それとも兄様だからなのか。
「……殺すぞ」
ぼそっと第二王子が言い放つ。
こわっ。
「ジャン! なんでここに!」
半年ぶりの声だった。
声のしたほうを見ると、メイド服を着て、ホウキをもった母さんの姿があった。
「母様!」
思ったより、声がはずんだ。
半年間、申し訳ないが、一切寂しいと感じたことはなかったと思っていたが、元気そうな母さんの姿を見て、ちょっと涙ぐんでしまった。
母さんがホウキを放して、駆け寄ってくる。
涙と鼻水をたらしながら。
「会いだがっだあああ」
貴族のかけらも感じない声で、俺を抱きしめた。
「ジャンったら、全然会いに来てくれないんだもの!!」
「ん!? いやいや、会いに来られる状況じゃなかったでしょ!? そもそも母様、書置きで、
「それは、本当はジャンは自由に生きたほうがいいのに、私がいろいろジャンを縛り付けちゃって、だから、私がいないほうがいいと思って……。装飾品を買うお金も欲しかったし……。でも半年も会いに来てくれないとは思わなかっだああああ!」
「いやいや、会いに来たいなら来ればよかったじゃないですか……。てっきり軟禁されていると思ってましたよ……」
「それは親としてのプライドが……」
もう親としての威厳も何もないから!いろいろと台無しだから!
「感動の再会シーンだな」
兄様が笑いをこらえきれずに吹き出しながらそう言う。
俺だって笑うわこんなもん。
「さあ帰りましょう。会いたかったのは僕も同じなんです。母様がいないほうがいいわけなんかないですから、ずっと一緒にいてくださいね」
「ジャンんんんんん!」
抱きしめられる。
俺を生んだのが十代中盤だとしても、もう二十歳過ぎているんだろうから、もう少し大人の振る舞いはできないのかね。
「ジャンの言葉は嬉しいけど、もうちょっとここにいるわ」
母様が、涙と鼻水をハンカチで拭いながらそう言う。
「なぜです?」
不思議に思って聞き返す。
「この子の体調が戻るまでわね。面倒みてあげないと」
第二王子をこの子とか言っちゃってるよ。
第二王子のほうを見ると、顔をそむけた。
おいおい甘えん坊かよ。
まあ、ずっと忘れてたが、年齢的には小学生か中学生くらいだからな。
でもちょっと待て。
第二王子の母親どうした?
メイドとかもいるはずだろ?
「俺のことはもういい。さっさと第三王子のところに行け」
第二王子が母さんにそう言う。
「はいはい。元気になったらそうするから、早く寝なさい」
母さんにそういわれて、黙り込む。
「あいつはね、部屋に誰かがいると寝られない性分なんだ。昔、いろいろとあってね。今回の件も許されることじゃないが、大目に見てやってくれないか」
兄様が小声で俺に耳打ちする。
「しかし、いつの間にか、おしゃれな天蓋もついているし、猫の置物とかもあるし、マルクに心を許させるなんて、ジャンの母君はすごいお人だな」
兄様と別れる。
まだ日も明るいし、先生とアリスにお礼しに行こう。
そう思って、森に向かった。
森に入り、少しばかり歩けば先生のところに着く、そんな時だった。
「え?」
腹に何かが巻き付いて、体が浮いた。
飛んだと言ってもいい。
キツネのような金色の毛が生えた何かが、俺の体に巻き付いている。
遠心力を感じるとともに、森とは反対方向の景色が変わった。
そして、景色が上下に揺れる。
「殿下!」
何か異変を感じとって駆けつけてくれたのか、先生の声が後ろから聞こえた。
それと同時に、ツタがこちらに伸びてきた。
それが目の前で切断された。
何か大きな動物が、次々と迫ってくるツタを爪で切り落としていく。
「そいつは獣族です!」
先生の声で回りを見渡す。
上に、大きな動物のアゴと、犬のような鼻が見えた。
アゴも金色の毛に覆われている。
金色の毛で覆われていた何かは、大きな手だった。
そこから腕が伸びていた。
獣族は着地とジャンプを繰り返しているようで、風景が上下に激しく揺れた。
次々に先生のツタが俺をとらえようとするが、もう一つの影が次々と払い落としていく。
獣族は複数いる。
風景はどんどん前に流れていく。
俺は後ろ向きに抱えられているので、前方は見えない。
どこに向かっているのかわからない。
ただ、すごいスピードで移動しているのは、流れる風景と風速でわかる。
いつの間にか城ははるか遠くなり、先生のツタはとっくに見えなくなっていた。
やがて、カルデラの崖を越え、風景は森林になっていった。
木すら珍しい俺の国とはまったく違っている。
すべてが一瞬過ぎて、いやそう感じるだけかもしれないが、
人生終わったかもしれない。
そんな諦めの感情が俺を支配していた。
目的の場所に来たらしい。
止まった。
すると浮遊感があり、なにか小屋のようなものの中に入り込んだ。
辺りは暗い。
ぼぼぼぼぼ。
俺を抱えている奴が鳴いた。
ぼぼぼ。
奥のほうで鳴き声が返ってきた。
俺は投げ捨てられるようにおろされ転がった。
その俺を、獣人は縄のようなもので俺を縛り上げた。
そして対面する。
が、暗くて見えない。
鋭い眼の光だけが俺を見つめていた。
隣にいる、俺をさらってきたやつと思われる獣族と、ぼぼぼぼという低い鳴き声のやりとりが何回か交わされた。
「オマエ、特別なチカラが使えるようダナ?」
目の前にいる獣族が人間の言葉でそう尋ねてきた。
人間の言葉が話せるのか。
「……はい」
俺は短くそう答えた。
ノーとは言ってはいけない緊張感を感じた。
「そのチカラ、ワレラに教えろ。そうしたら、オマエの命を保障してやる」
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