第45話「声援にこたえました」
あっぶねええええええ。
今回ばかりは死ぬかと思ったわ……。
いや、毎回死ぬかもと思っていたかもしれないが、今回ばかりは格が違った。
目の前には、硫化水素中毒でぶっ倒れている第二王子がいる。
まったくいい気味だとは思えない。
生きててよかったと思うばかりだ。
それでも頑張って決めゼリフを言ってしまう俺の性格。
体中が痛い。
ゴムボールにでもなったんじゃないかと思うくらい、ぶっ飛ばされまくった。
マンガかよ、と消えそうになる意識の中でツッコんだね。
もちろん俺のほうがやられ役ですけどね。
身体中が痛いけど、骨とか折れてないといいな……。
それ以上に恐ろしかったのは、最短で俺を殺そうとした第二王子の剣技だ。
そこに一切の迷いもない。
ふつう、相手が死ぬかもしれないと思ったら少しくらい躊躇するよな……。
あんなにきれいに急所狙いに徹する冷酷さよ。
予見眼がなければ一発で死んでたな……。
予見眼で未来が見えていても、あんだけ距離縮められたらギリギリだ。
回避が間に合って本当に良かった。
おっと、振り返っている場合じゃない。
まだ審判はジャッジを下していない。勝負はついていない。
そう思って審判を見たら、審判がぶっ倒れていた。
あ、やべえ。
「ウィールさん!」
ウィールさんの名前を叫びながら右手をあげる。
すると数分後、小粒の雨が会場に降り注ぐ。
硫化水素は水に吸収されるのは実験済みだ。
雨が降り注いでいくとともに、不快な硫化水素の臭いが消えていく。
さて、今回の狙いは硫化水素。
使用したエナドリ缶は、2号と3号だ。
2号は三酸化硫黄を発生させる。
中身は硫黄とプラチナだ。
硫黄が燃えて二酸化硫黄、そこからプラチナを触媒として三酸化硫黄になる。
着火剤はリン。
発火しやすいように、威力重視のクロスボウを使った。
3号は硫化水素。
水と硫化鉄が入っている。
3号は、2号の三酸化硫黄があって初めて成立する。
三酸化硫黄と水が反応して、硫酸が発生する。
その硫酸が硫化鉄と反応して、硫化水素を発生させた。
硫化水素の毒性は、実験中に俺とアリスが身をもって体験している。
二人そろってきれいにリバースした。
俺は男だからいいが、女の子なアリスにはショックは大きかったらしい。
しばらく口をきいてくれなかった。
そもそも
そうでなくても、硫化水素の毒性はだいたいの人が知っているだろう。
温泉のにおいとか、硫黄のにおいとか言われているヤツは、だいたい硫化水素の臭いだ。
そういう硫黄のにおいが強いところにはたいてい、硫化水素の注意書きの看板が立っていたりする。
濃度によっては死ぬってね。
それよりか、中学校の硫化水素の実験のほうが有名か。
内容はあんまり覚えていないけど、あの強烈な臭いは覚えている。
理科の先生が、
「さあ、かいでみろ。卵が腐った臭いがするから」
とか言っていたが、正気で言っているのかと思ったね。
この世のものとは思えないほどの臭さだった。
そもそも卵が腐った臭いなんてかいだことがないっていう。
これ、オマエんちの臭いじゃね? とか言っているやつがいたが、お前は俺の友達かと。俺んちに来たことがあるのかと。
そんな比較的
なんでも、ある濃度を超えると細胞が酸素を取り込めなくなるという。
怖すぎる。
そんな硫化水素に賭けたわけだが、第二王子にも効いてくれたようでホッとしている。
硫化水素が発生しても、しばらくは元気に動き回っていたので、失敗したかと思ったわ。
今は逆に、効きすぎていないか心配だ。
濃度によっては、人を即死させるほどの毒物だ。
慎重に濃度調整していたから、だいじょうぶだとは思うが…。
俺のほうは、手作りのマスクを装着している。
麻布を水で湿らした程度の簡単なものだが、それなりに効果はあるようだ。
ただ、ゴーグルがほしかった…。
目がめっちゃ
この国にガラスの技術も概念もなかったから、しかたない。
俺も作り方も原料も知らないし。
鉄仮面をかぶっているから、幾分マシか。
呼吸で吸い込まなければ命に別状はないだろう。たぶん。
雨のおかげでだいぶ臭いがおさまり、体も楽になってきた。
「ウィールさん、ありがとう!」
そう言って左手をあげると雨がやんだ。
このときのためだけにウィールさんを呼んでおいた。
文句を言……っていたが、言われたとおりに遂行してくれてありがたい。
さて、第二王子は動く気配がない。
俺の勝ちで間違いないことは確かなのだが。
この場合の試合結果はどうなるのだろう。
スタッフに他の審判を呼んでもらうように頼むか。
そう思ったときだった。
剣が胸元に飛び込んできた。
………!
剣が鎧にはじかれ落ち、俺は衝撃で倒れこむ。
慌ててうつ伏せになり、頭を抱えて防御態勢になる。
何が起きた!?
第二王子のほうを見ると、立ち上がってこちらをジッと見ていた。
思わず、ヒッと声がもれた。
中学生くらいのやつがするような目じゃない。
虎が獲物を狙う目をしている。
やられたフリをしていた?
なんで硫化水素が効いていない?
いや、それよりもどうする?
もう一度2号を使うか?
いや、もうあたりは濡れきってしまっている。
手持ちのエナドリ缶はほぼすべて不発に終わってしまうだろう。
他に手を考えないと、やられる……!
そんなことを考えていると、再び第二王子は倒れた。
焦った……。
最後の力を振り絞ったのか。
マジで怖すぎるわ。
そうこうしているうちに、スタッフが来た。
審判と第二王子に駆け寄り、何かを確認して、マジカをかけ始めた。
あれが陽級魔術の回復魔法だろうか。
治療し始めたってことは、もう終わりでいいのかな。
なるべくここから早く立ち去りたいんだが。
第二王子が回復して俺を襲い始めたら、どうしてくれる。
そうこうしているうちに、審判みたいな人が駆け寄ってきた。
その人が俺らの試合会場で立ち止まり、手をあげた。
待ってました! 早く俺の勝ちをジャッジしてくれ!
「勝者! 第二王子 マルク・ド・アトランス!」
審判が叫ぶ。
よし、これでこの戦いも終わった……、って、え?
第二王子? マルク?
俺は第三王子、ジャン=ジャック。
「負けたあああああああ!」
思わず叫んだ。
なんで負けてんの俺!?
「今回、ジャン=ジャック王子自身ではない、他者によるマジカが確認されました。よって、反則負けとなります」
他者によるマジカ? そんなのあったっけ?
ないよな? そもそも、マジカが使えないから、着火でリン使ったりして苦労したんだぞ!
だよな?
………。
あ、あれか! ウィールさんの水級魔術か!
あんなの、もう勝負ついたあとじゃん!
「しかし、マルク第二王子は戦闘不能であると判断されたため、次の試合は不戦敗あつかいとなります」
そう審判が補足する。
どちらにせよ、この試合は俺が負けだということだ。
思わず、その場に座り込む。
「はあ……」
めっちゃ悔しい。
そう思う自分に、なんだか笑えてきた。
最初は、母さんを救うために嫌々参加しただけだった。
それが、マジカが使えない俺が、どこまで通用するか見たくなった。
いや、本当は認めてもらいたかった。
母さんや、先生に。
王にも。
こんなに悔しくなるとは、思わなかったな。
前の俺なら、死ななきゃ御の字くらいにしか思わなかったと思う。
「おつかれさま」
そう声がしたので、顔をあげた。
「兄様」
第一王子だった。
手を差し出してくれたので、手をつかみ、立ち上がる。
「来てくれたんですか」
兄様の気遣いをないがしろにして負けた手前、気まずい。
「当たり前だろ。お前が頑張ってるんだ。応援くらいするさ」
あ、やべ、うっかり泣きそう。
「思ったより元気そうだな。お前にはつくづく驚かされるよ。それに、お前があんなことを言ってくれるなんてな。正直、うれしいよ」
あのときの、セリフ。
第一王子の右腕になって、この国を救う。
アドレナリン全開で勢い任せのセリフだったが、まぎれもなく自分の本心だった。
「兄様、僕は」
「うん。俺もいろいろと話したいところだけど、まずは声援に応えてくれ。民衆の数少ない娯楽だ。民衆を楽しませるのも、王族の大切な仕事だぞ」
「声援?」
そう言われて、ようやく気づいた。
いや、騒がしいとは思ってたんだよ。
でも、それは試合中も同じなわけで。
それが俺に向けられているなんて、考えもしなかった。
だって、俺、マジカが使えない、王族の落ちこぼれだよ?
それに、マジカで戦ったわけでもなく、ボロボロにやられまくってる。
しかも負けてるし。
ジャンコールと王子コールが入り乱れてる。
王子コールは第二王子かもわからんけど。
前世から思い起こしたって、こんなに声援を送ってもらえたことなんて、ない。
兄様のほうを見ると、優しく頷いてくれた。
だから、手を広げた。
だってやり方が分からないからさ。
でも、たったそれだけなのに、歓声が空気を打つ。
第二王子に勝ったとは思ってない。
民の人たちの期待に、本当の意味で応えられているわけじゃない。
王に認められてもいないだろうな。
でも俺は、この日確かに、自分の生き方を見いだせたような、そんな感触を感じた。
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