第21話「ウィールのことを知りました」

 暗くなりつつある道を進んでいく。

 街灯がない道は、数メートル先も見えないくらい、暗い。

 夜になったら、何も見えないくらい暗闇に包まれてしまうのだろう。


「こういうときは、火が使えるといいと思ってしまいますね」

 先生はぽつりと言った。

 先生は木級魔術師だから、火は使えない。


 先生は村で一泊するのを勧めたが、そんな気にはなれなかった。

 残れば看護の手伝いなどができるかもしれないが……。

 村の人たちも望んでいないだろう。

 いや、それは建前だ。

 薄情だけど、あの空気の中に一泊なんてできない。


「先生は、毒の臭いがわかるのですか?」

「いえ、あれはハッタリのようなものです。ほぼウィールの仕業だと思っていましたが確たる証拠がありませんでしたので」

 ハッタリであそこまで追い詰めるとは……。さすがだ。


「ウィールをどうしたいと考えていますか?」

 先生がそう聞いてくる。どこか不安そうな声だった。

 ウィールは縛られたまま村にいる。

 馬に乗れるのは先生とウィールだけだ。置いてくるしかなかった。

 村人に危害を加えられるかもしれないから、モイに護衛を頼んだ。


 『なぜ、こいつを守らなければならないんだ?』


 モイのストレートな問いに、俺は答えられなかった。

 もちろん俺は本心からウィールを守りたいわけじゃない。

 下手な道徳心でそうしているだけだ。

 それに護衛をつけずにあのままにしていたら、裁判もなく村人に殺される心配もあった。


 ふと、前世の流出動画で見た、リビア国の大佐の最期を思い出した。

 反対派に殴る蹴るの暴行を受け、血だらけになった後、銃殺されて死んだ気がする。

 その映像を見た時、思った。

 戦慄したのと同時になんか違うなという感覚。

 前世の、しかも70年以上も戦争もないような平和な国で育ったから、そう思うだけなのかもしれない。

 ウィールは、あれだけのことをしたんだから恨まれても仕方ないと思うが……。

 恨みのままに殺されるようなことがあっては、村の人たちにとっても良くないような気がした。


「死刑になってほしいとさえ思っています。でも、それは僕が決められることではありません」

 先生の問いに、なるべく正直に答えた。

 感情に任せて言っていいのなら、死刑にしてほしい。

 少なくとも、あの時はそう思っていた。

 今もその思いは消えていない。

「王の命令であれば、死刑にしますか?」

「王が下した判断なら、無罪でも死刑でも受け入れます」


 無罪。

 そうなるかもしれない。

 王が村人の命よりウィールを擁護するかもしれない。

 そして、なにごともなく明日からウィールが普通の生活をすることになったら。

 そうなったら俺は、どうするだろうか。

 ちゃんと納得できるんだろうか。


「先生、ウィールさんの言ってたことはどう思いますか? 自分の利益のために、人の命を踏みにじっても良いと思いますか?」

 俺の質問に、先生は言葉を選んでいるようだった。

 すぐに返答がくると思っていた俺にはそれが意外だった。

 先生はやがて重く口を開いた。


「その問いには答えられません」

「なぜです?」

「私も同じようなことをしていたからです」

 空気が止まったような気がした。


「どういうことですか?」

「私は戦争で多くの人を殺めてきました。私は魔族です。この国を守る義理も大義名分もありません。それでも私が人間社会で暮らすためという自分の利益のために、今回の騒動の比ではない多くの人の命を踏みにじってきました」


 先生の答えに、ホッとした自分がいた。

 先生の言ったことと、ウィールが一緒だとは、とうてい思えない。

「それとこれとは話が違います。先生はしたくもない戦争を、立場上、王の命を受け実行せざるを得なかった。ウィールは違う。自分のことしか考えていない」


「本質では同じです。正義をどこに置くかの違いでしかありません。私も結局は、自分のことしか考えていないのです」

 先生の言っていることはいまいち分からなかった。なにがどう同じなのだろうか。

 かといって、先生の真意を尋ねることも、反論する気にもなれなかった。

 ただ、先生はそのような思いを抱えながら生きていたのだと思うとつらくなった。



 沈黙が流れ、馬のひづめの音が響いた。

 このまま城に着くまで、沈黙が続くと思われた。



「ウィールとは、戦場で出会いました」

 先生は唐突に、何の脈絡もなくぽつりとそう言った。

 そういえば、戦場で2回一緒になったと言っていた。


「彼はまだ12歳で、幼さの残る少年でした。魔術はセンスがあったわけではなく、公務員になる技量にほど遠い状態でした。彼は一刻も早く家族を支えたいと思っていたようで、誰もやりたがらない戦場の給水係を志望し登用されました。飲料水の確保は重要で、技術に乏しいものでも登用されやすかったところに目をつけたようです。死の危険は第一線とほぼ同じなのに、見返りは低く、扱いも雑用と同等です。しかし、仕事をまじめに、彼なりに工夫をもって取り組んでいました。家族に少しでもまっとうな生活をさせてあげたい。彼は目を輝かせながらそう言っていました。やがて、仕事以外にも鍛錬を怠らなかった彼は、やがて公務員として採用されるレベルの技術を習得することができました。そんな彼に尊敬の念と、自分の幼い頃を重ね合わせていました」

 意外な話だった。あのウィールにそんな過去があったとは。


「今のウィールさんからは想像もつかない話ですね。怠け者で能力も低いのに偉そうに役人として権力を振りかざしている、そんなイメージでしたので」

 つい本音がぽろりと出てしまう。

「それはきっと今のウィールしか知らないから、そう見えてしまうのでしょう。本当の彼は努力家で責任感もあります。少なくとも私の知っている頃のウィールは……ですが」


 先生の言葉に、寂しさと悲しさが混じっているのを感じた。

 きっと俺の知らない色々なウィールの姿を見てきたのだろう。

 そうじゃなきゃ、人殺しと知ってまでここまで擁護しないだろう。


「なんで、ウィールさんは今のようになってしまったんでしょうね」

 先生の中のウィールは、物語の主人公のようだ。

 苦労して社会的な成功を収めていく、そんな物語の。


「そうですね…、なぜでしょうか。純粋すぎるがゆえに腐敗した環境に染まってしまったのか、それとも彼にしか分からない心境の変化があったのか。私にはいっこうに分かりません」

 先生はそう答えた。


「国土交通省に行った時に思いました。役人たちはどこか高圧的で品位に欠けている人物が多いように見えました。同情はできませんが、もしかしたら、その悪い環境に染まってしまったのかもしれませんね」

 仮にも王の子である俺をからかう連中だからな。

 もしかしたら真面目に働いているのかもしれないが、印象はとても悪かった。


「環境が人を変えるというのはよくあることです。とくにこのような権力争いの絶えない世の中では、自分の信念を維持する方が難しいのかもしれません」

 見た目が若いからつい忘れてしまうが、先生は俺とは比べようもないくらい長い人生の中を生きている。

 きっと色々と見て来たんだろうな。

 まるで何かを悟ったような言い方だ。


「少なくとも私の知っているウィールは努力家でした。この国で役人になりたい者はたくさんいます。誰でも簡単になれるものではありません。競争に勝った者だけが公務員になれるのです。その過程で、ウィールを変える出来事があったのでしょう」

「僕はマジカが使えないので分かりませんでしたが、公務員は誰にでもなれるわけではなかったんですね」

「少なくとも上級以上でないと務まりませんね。広い農地に水を撒き、農村のサポートをするなんて普通程度の者にはできないことです。これは以前も話したことがあるかもしれませんが、マジカの能力には優劣があります。同じ系統のマジカを持っていても、誰もが同じことができるわけではありません。能力の高い者とそうじゃない者との差は、殿下の想像以上に大きいでしょう」


 そうだったのか。

 先生が、ウィールはセンスがないというのなら、本当になかったのだろう。

 そのハンデを乗り越え、ようやく地位を手に入れた。

 努力して努力して自分のセンスの無さを呪ったりしてまた努力して、その努力が実ったと思ったら、すべて泡となって消えてしまう……。

 そんなことになったら、ヤケになったり、犯罪に走ったりする気持ちも分からないでもない。


 だからといって、許されることではない。


「失礼しました……。つい昔が懐かしくなり、思い出話と説明が長くなってしまいましたね」

 先生は少しハッとしたようにそう言った。

「いえ、僕はまだまだ、何も知らないということが分かりました」

 ウィールのことも、水不足の理由も、この国の問題も、分かっていたような気になって、何一つ分かっていなかった。

 俺はまだ “恵まれた側”の人間だ。

 問題の表面しか見ていない。


「殿下……、どれくらいの水源があるか分からない今の段階では、依然としてこの国でもっとも必要とされるのは水級魔術師です。今回のことを無視して言うなら、ウィールはこの国に必要です。……いえ、罪の前に、必要不必要などというのは愚かでしたね……、今のは忘れてください」


先生の言葉に、ウィールを擁護しないように中立的な視点で話そうと努力しつつも、心はウィールに寄っていってしまう、そんな葛藤が透けて見えた。


「ウィールは取り返しのつかない罪を犯してしまいました。ウィールの行動を止められたらと、今更どうしようもないことを考えてしまいます」


 そんな先生に対して、俺は何も答えられなかった。


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